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のんちゃん 便り

創刊号 1996年2月 文:向井 裕子、WP:向井 宏

望がずりばいを始めました

1996年1月15日午後8時頃でした。洗面所でおしめを洗って部屋に戻った私は「アレ?」と思いました。おしめを替えてもらった望はコロッとうつむせになって…。それはよくあることなのです。でもその日は90度位望の位置がずれていたのです。「エッ 何かへん。」と思ったその瞬間、望は右手を前にだしズリッとずりばいを始めたのです。

それはクロールかバタフライ(右手だけですからどちらでも同じようなものです)をしているかのような格好です。右手で「畳をかく」たびにズリッズリッと体が移動します。私が驚いているうちに望の体はお腹を中心に360度回り、今度は頭を右に左にしながら少し広い円を描きはじめました。私は部屋の入り口に立ったままあっけにとられ、望のずりばいを見ていました。

望は必死に黙々とずりばいを続けます。私は「望がはっている!望が部屋をぐるぐるはっている!」と頭の中で何度もそう叫び、胸がいっぱいになりました。望はひるまずズリッズリッと進みます。

私は泪を堪えながら望を抱き上げ、「もういいょ望ちゃん。そんなに頑張らなくてもいいょ。かしこかったねぇ。」と言いました。

望はいやいやをして、畳の方へ体を向けようとします。「まだしたいの。」と言っているようでした。畳に腹ばいにして降ろしてやるとまた一生懸命にはい始めました。回りにぬいぐるみやおもちゃを置いてやると、それに タッチしてはまたズリズリと進んでゆきます。

望が生まれてからは悔し涙以外は流さなかった私ですが、その時ばかりは堪えていた泪がどっとあふれてきました。暖かな涙でした。その涙は次から次へと出てきます。

しばらくしてからまた望を抱き上げ「ようがんばったね。えらかったね。かしこかったね。」と言いました。望は泣いている私の顔を不思議そうに見ていました。

望が産まれた時、この子は自分では何もできない子だと思いました。移動できても寝返り位と。ずりばいをするなんて考えもしませんでした。望は小さな右手で全身を移動させたのです。

その夜新年会で夜遅く帰宅した夫は、「予定通り8時に帰っていれば望のずりばいが見えたのに。」という私の言葉に悔しがり、そして感無量という感じで「無理と思っていたのになぁ。」と泪をうかべ誰に言うでもなく言いました。 それは成人の日の夜の突然の出来事でした。

翌朝、望のまほうの右手の先は擦り切れてかさぶたができていました。

ボランティアさん

1月よりボランティアさんをお願いしました。毎週金曜日に2人1組で望と遊びに来ていただいています。

ボランティアさんをお願いした目的は、人見知りがなかなか終わらない望がいろんな人に慣れて誰とでも遊ぶことができるように、お父さん・お母さん以外の人を信頼したり愛したりできるようになって欲しいという思いと、望が両親以外の人と楽しい時間を過ごすことができるようになれば、その間、私は望から離れて自分の時間を持つことができるという2つでした。

12月に4人のボランティアさんと社協の宇都宮さんがご挨拶にみえました。受験戦争や資本主義社会の中で、精神的にも経済的にも自立し自分のことは自分でと育ってきた私にとって、ボランティアさん達はとても新鮮に思えました。「長いお付き合いをしましょうね。」「望ちゃんの成長が楽しみです。」と言って下さいました。とても有難い言葉で頭の下がる想いでした。ボランティアの方々に感謝と敬意を表する次第です。

望の遊び相手になっていただくと同時に、私にとってもすばらしい人生の先輩として多くの事を教えていただきたいと思っています。

1月は、勘原さん、菊永さん、上野さん、小濱さん、津田さんが来てくださいました。2人のボランティアさんと私との3人が望と遊んで過ごしました。望は昨年末頃より、人見知りも落ち着き、知らない人に対して視線を避けることはあっても泣かなくなってきたので、1月からのボランティアさんとのお遊びは好スタートをきりました。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

「望に手足のかわりに与えられたものがあるとするならば、それは多くの人との出会いであり、私たちの周りの心暖かい人達なのだと感じているこの頃です。」 (望の2才の誕生日に送ったメッセージより)

「多くの人に支えられ助けられて生きていくことは幸せなことかもしれないと思い始めました。」 (今年の斎藤茂男さんへの年賀状より)

ひとこと

この度、望の通信を発行することにしました。通信なんて昨年まで考えたこともありませんでした。望の成長は望個人のことであり、私共家族のことであって、他の方々にお知らせするようなことではないと思っておりましたし、それに何より作文力のない夫婦ですから、通信など私達にはおこがましいと思っていました。しかし、望の成長の様子や自分達の想いを書き残していきたいとは思いながら、日記や家計簿さえも3日と続かない私は、何もできずに日を過ごしていました。そして、毎日は続かなくても月に一回なら、まして書かなくてはならない状況になれば、書き残していくことができるかもしれないと思うようになりました。

でも、何といっても発行のきっかけは望のずりばいでした。そのことを皆さんにお知らせしたいと「親バカ」の私達は思い始め、この度の通信の発行となりました。自己満足的な通信になるとは思いますが、皆様へ月々手紙を書くように綴っていくことができたらと思っております。お暇なときにでも読んで頂ければ幸せに存じます。

どうぞ今後共、よろしくお願い申し上げます。

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