第12号
1997年
1月
向井 宏 、向井 裕子
豊かさについて
望には手足がありませんので、おもちゃで遊ぶために様々な工夫が必要です。2才の時から電池で動くおもちゃにスイッチをつなぎ、そのスイッチを小さな右手で押すことによりおもちゃを動かして遊んでいます。望の使っているスイッチは療育センターのOTの先生や宏の手作りですが、香川県のこころ工房(高松市田村町311-102、TEL0878-68-8919)では、Ablenet社の美しくて丈夫なスイッチやコミュニケーションエイド等の製品を扱っています。昨年9月に西宮市で行われた「障害を持つ子ども達のコミュニケーション支援」の講演会に望は私と共に参加して、演習時間に、こころ工房の英さん、奥山さんとスイッチを使って「いぬ犬ベロリン」というおもちゃやパソコンを動かし遊んでもらいました。
この講演会で幾つかのビデオを見せてもらいました。段差があっても大丈夫な電動車椅子といった最先端の電動車椅子のビデオや、障害児がシンプルテクノロジーを使って集団に参加している様子のビデオなどを見て、海外の進んだ福祉機器に感心をしました。でも、私の心に強く残ったのは、ビデオの中のほんの一部の、学校での資料作りの様子でした。一人の障害児Aさんがスティックを使って資料の各1ページずつを集め、他の生徒Bさんがそれをそろえてもう一人の障害児Cさんの前のホッチキスに差し込みます。そのCさんがスイッチを押すと資料はホッチキスで綴じられ資料ができあがります。Bさんが一人でやれば済む作業を3人が時間をかけて行っている様子に胸が熱くなりました。障害を持った人は見ていたらいいよではなく、皆が参加し力を合わせて作業を行っていました。会社でも学校でも効率性が重視されているような日本では、とても考えられないことです。
私は10年間、コンピュータのプログラミングやシステムエンジニアリングという仕事に携わっていました。これらの仕事は特に生産性や利益がとても重要視されていて、私の頭の中にはいつもこの「生産性が良いか効率的か」ということがありました。以前の私がこのビデオを見ていたら、こんな生産性の悪いこと、こんなスイッチは実用的じゃないなんて思ったに違いありません。腰掛けの女性社員や仕事のできない社員はいらないという企業の考えにうなずきながら、企業の中の歯車としてきちんと動くことの出きる会社員になろうとしていたように思います。いつもストレスを抱えながら、時間に追われ必死でもがいていました。時間がかかっても皆が参加することの大切さなんて気付きもしませんでした。大切なのは形のある物ではなく、目にみえないものだと頭では思いながら、結局は経済的な豊かさを求めていたと思います。
望が産まれ、考えさせられたことや教えられたことはたくさんありますが、その中の一つに「本当の豊かさ」があります。望が重い障害を持って生まれたために私の人生設計は大きく変りました。ずっと続けるつもりだった仕事も辞め、夫の収入のみでの生活やマンションのローン返済も楽ではなくなりました。毎日ゆっくりの望のペースに合わせて、時間も過ぎて行きます。でも、それらのことはとてもささいなことに感じられます。豊かに暮らすってどういうことだろう。人生を豊かにするってどういうことだろう。本当の豊かさは金銭や物ではないことを実感しました。望のような子どもを育てるのに経済的に豊かであることは大切かもしれません。でも、それ以上に大切なことを私は望に教えられました。ビデオを見て、こんな実用的じゃないもの役に立たない、なんて思わずにすんだことを、時間や費用がかかっても一人一人の人間を大切にするという心が私の中に育ったことを望に感謝しなければと思いました。心豊かな人生を望と共に送っていきたいと思っています。望が生きていくことで地域社会が豊かになることを願っています。皆様にとって今年が本当に豊かな一年となりますよう心よりお祈り申します。本年もよろしくお願い致します。 (裕子)
正月を迎えて
1997年1月、望が生まれて4回目の正月を迎えることになる。1年目の正月のことは、今ではまったく覚えていないが、きっと暗い正月だったに違いない。いや、思い出したくはないという方が正確だろうか。2年目の正月は、お節料理を作り、家族3人でのんびり過ごしていたように思う。京都の八坂神社へ初詣にも行った。その頃、仕事が忙しく少し出勤もした。そして、1月17日、阪神大震災が起こった。その日は、前夜から徹夜で仕事をした後、朝4時頃に帰宅し、その寝入りばなに家が左右に大きく揺れた。私は妻と望を必死で覆い揺れがおさまるのを待った。恐ろしい出来事であった。以前にも述べたように、私の仕事はコンピュータ関係のSE(システムエンジニア)である。震災の日に行った処理に大きなバグ(プログラムのミス)があった。その日からは毎日がトラブル対応で、徹夜もし、私は苦しい日々を送った。そんな状態が1ヶ月余り続いた。その状態から脱した頃、今からお話するボランティアを始めた。
本当は震災の頃から始める予定であったが、そんな状態で少し後に延びたのである。それは、障害者のためのコンピュータセミナーのボランティアである。「プロップ・ステーション」という市民団体が主催するセミナーである。「チャレンジド(障害者)を納税者にできる日本」を目指して、コンピュータを活用したチャレンジドの自立と社会参加、就労の促進を目標に活動するNPO(非営利の市民組織)である。その代表は、竹中ナミ(通称ナミねぇ)という女性である。彼女は障害者の娘、麻紀さんの母親である。事務所のプロップウイングに望を連れてよく行くのだが、いつも望はナミねぇと楽しそうに遊んでいる。私達夫婦にとっても良い相談相手となってくれている。
このセミナーは新聞で知ったのだが、参加した動機はボランティアというわけではなく、望が将来コンピュータを使って何ができるだろうかと思い、その様子を探りに行っただけである。手も足も無い望がコンピュータを使えば何かできるだろうとその当時は思っていた。今では少し考え方が違っている。この通信をずっと読んで下さっている方には分かるでしょうが、望は今まで考えもしなかったことを次々とやり始めた。「コンピュータはあくまでも手足の替わりとなる手段の一つである」と最近思うようになってきたのである。また、望のことに関係なく仲間たちからも多くの刺激を受け、自分自身楽しくなってきた。というわけで最近はどっぷりとボランティアにはまってしまい、講師をするほどまで古株になってしまっている。
毎週金曜日の夕方に、大阪ビジネスパークのNECビルに仲間たちが集まってくる。必死で就労に結び付けたいと思っているチャレンジド、その手助けをするボランティア、プロップのスタッフ。せっかくのはなきんにとは思うが、私も仕事の合間になるべく参加するようにしている。仕事で身につけた知識、技術をこのような形で社会に奉仕(大げさかな?)できるとは、望が生まれるまで考えもしなかったことである。また、新しい仲間にたくさん出会えたことを望に感謝している。
(宏)
‘96年11月15日、望3才
七五三のお祝い
ひとこと
12月の療育センターの今年最後の通園日にクリスマス会がありました。望は、かぶり物が大の苦手(テレビだと大好きなのですが)、先生のサンタさんやお母さんのお面を頭につけての踊り等、練習では泣いていましたが、当日は大丈夫でした。本番に強い望でした。12月の初めより、療育センターで水ぼうそうが流行り、もし最後に望がもらっているとしたら発症予定は1月3日。この通信が届く頃でしょうか。無事にお正月が過ごせますように。
12月は、小濱さん、津田さん、上野さんがボランティアをして下さいました。療育センターに週4日通ったため、ボランティアの方に来て頂く日がとれませんでした。早いもので、ボランティアをお願いして一年が経ちました。望の人見知りもなくなり、親以外の人とも楽しく遊ぶことができるようになりました。
何かと慌ただしい12月が終わり、新しい年を迎えると何かしら心引き締まる思いがして、さあ今年もがんばろうなんて以前は思っていましたのに、大掃除をしてお節の準備をして年越しそばを食べてお決まりの様に1年は終わるのに、段々と、年が変っても今日が明日になるだけのことと思うようになっていました。それは喜ばしいことか悲しむべきことか。なにはともあれ、今年も良い年となりますように。皆様にとって、幸多き一年となりますようお祈り申し上げます。