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のんちゃん 便り

127  2007年月、5月

スポーツの春

3月31日、4月1日と志賀高原にスキーに行きました。毎年行っている障害児の親の会主催のスキーキャンプです。4月14日、15日にはアクセスディンギー(ヨット)の合宿にも参加しました。そして、ハッと気づけばもう大型連休に突入していました。のんちゃん便りの発行が遅くなってしまいました。春休みの平日は望の定期通院で過ぎていき、年度変わりの私の仕事の忙しさや、望の進級に伴っての導尿の体制確保や、何やかやと慌しく日が過ぎています。

スキーキャンプは、今年は夫の仕事の都合でツアーバスに乗ることができず、3月30日の夜に自家用車で出発しました。昨年、バスで行ったからか、望は『スキーに行くよ』と伝えると「バス!」と訴えていました。本当にバスが大好きです。深夜、車を走らせて、翌朝8時半に志賀高原に到着しました。今年の冬は雪が少なくて心配しましたが、行く道中はチェーンをかける必要がなく、スキー場の雪も思ったより良くて、曇りや晴れのいい天候で、楽しくスキーをしてきました。親の会の行事はいろいろとありますが、望のように重度の障害をもつ子どもが会に少ないためか疎外感を感じさせられたり、望の相手をして(つまり、望も親の相手をして)いて、他の参加者との交流ができなかったりで、あまり気が進まないのですが、このスキーキャンプだけは、昼間はスキー班で友達と一緒に滑ることができ、宿では生活班で行動するので、望はたくさん友達ができて楽しそうです。私達も他の親御さんと交流することができるので、毎回楽しく参加しています。スキー班のメンバーが中学生前後のパワフルな子ども達でかっ飛ばして滑るので、指導員の大人達はくたくたでした。子ども達は、望とコミュニケーションをとったり、望をうまく利用して「親分ののんちゃんもそう言ってる」などと言って自分たちの欲求を通したりと、なかなか面白い関係を作っていました。2日目、リフトを降りたところで、見知らぬ方が声をかけてこられました。望のバイスキーに興味をもたれたようでした。スキーサポートのNPOの方にも質問をされていました。数日後、その方からメールが届きました。のんちゃん便りのHPを見つけてくださったようです。東京の養護学校の先生でした。望はいろんなところでいろんな出会いをしています。

アクセスディンギーの方は初めての合宿でした。私は14日に東京で会議があり、早朝から東京へ行き、夕方に東京を出て合宿をしている会場に直行しました。望は、ボランティアの方々と入浴を済ませ、みんなでゲームをしていました。私を見ても「ああ、お母さん来たの」という感じで、あっさりしたものです。宿泊の部屋が家族3人だけだったので、それが不満でしばらく怒っていましたが、疲れが出てぐっすりと眠りました。私は大人の交流会に出るつもりが、早朝からの疲れで望と一緒に寝てしまいました。翌日は、絶好のヨット日和。大きなヨットに乗せてもらいクルージングもしました。昼はバーベキューでおいしい時間を過ごしました。ところが、肝心の望が乗る電動アクセスディンギーの調子が悪くなかなか動きませんでした。ようやく動いて乗ったのですが、横風をもろに受けて横倒しになりかけて、望は怖かったのか、その後、乗ろうとしませんでした。小さな犬を連れてこられた方があり、いつもは犬が怖い望ですが、電動車椅子に乗っていると大丈夫なのか、興味を示していました。そこで、望の右腕に犬をつないだロープを通しました。なかなか思い通りに動いてくれない犬に何か言ったり、犬をつないだロープをウンウンと引っ張ったりしながら、望は電動車椅子で犬の散歩を初体験しました。3月末から5月、望は休日をスキー、アクセスディンギー、電動車椅子サッカーと活発に過ごしています。

中学校の方はというと、2年生になりクラスが変わりました。2年4組です。体育委員になったようです。担任の先生はかわらず、教科の先生もほとんど持ち上がりです。クラスメイトも小学校や保育所で一緒だった友達が多く、名簿を見て私は安心をしました。望は毎年繰り返されるクラス替えに、特に感情の揺れもなく、新しい友達との関りを始めています。新しく来られた養護学級担当の先生にわがままを言ったり、照れたりしながら、関係を作っているようです。2年生では職場体験があります。どんなところに行くのか、どんなふうに過ごすのか、そして、望の中学2年生はどんな1年になるのか、楽しみです。


ひとこと

年に1回だけですが、障害児の母5人で「わ・はは」という冊子を発行しています。文章はいろんな障害児の母達に書いていただいています。最初、私は1読者1筆者でした。発行作業の時に呼んでいただいているうちに、スタッフになってしまいました。「わ・はは」との出会いは、望が保育所に入所した時でした。創刊号を手にして、表紙裏の「楽しく笑いながら障害児の母をやっていこう」の言葉に励まされ、「障害児の母であると同時に1人の人間であり女性…。…自分の人生も大切にしたい…。障害児と共に生きる生活を楽しみながら、一度しかない人生を豊かに生きたい」の言葉に頷いていました。先輩母達にたくさんの刺激を受け、重度の障害児の母も仕事ができるのだと驚き、地域で暮らしていくたくましさを学びました。地域でありのままにあたりまえに暮らしていくことを「わ・はは」に教えられたと感じてきました。現在、スタッフ5人が順番に編集を担当しています。今年は私が編集当番。そろそろ編集会議を開かねばと思っていた矢先に、スタッフから電話が入りました。お子さんが亡くなられたとの報告でした。言葉が出ませんでした。望が生まれてから、たくさんの重い障害をもつ子ども達に出会い、たくさんの子どもの死を見てきました。子どもを亡くした親の悲しみを見てきました。子どもが亡くなるほど辛いことはありません。本当にしっかりと生き抜いた子どもに、よく頑張ったねと、ゆっくりとお休みと・・・、もっと生きていて欲しかったという悲しみやさまざまな想いが入り乱れる中で、そう語りかけています。

リフトの上で ちょっとひと休み

(撮影:パルネットワーク・永瀬正明さん)

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