第13号
1997年
2月
文:向井 裕子、WP:向井 裕子、向井
宏
湯布院でのお正月
1997年1月1日、大阪は天気の良い穏かな日となり、家族3人で近くの神社へ初詣に出掛けました。望が宮参りや七五三をした氏神さんです。のんびりと一日を過ごした後、午後11時半過ぎに大分県の湯布院に向って出発をしました。圭くん(16才・両上肢欠損)と圭くんのご両親、私達家族3人の合わせて6人が一台のワゴン車に乗り、大阪から中国自動車道を九州へ向いました。夜、出掛ける頃から急に強い風が吹き、大粒の雨が落ちました。年末に小児科の医師に、水疱瘡に感染しているとすると3日が発病日なのに2日から旅行に行くなんて無謀だと言われたことを思い出し、不安な気持ちになりました。
望が生まれて3回の正月を、家族3人でおせちを囲み静かに過ごしてきましたが、今年の正月はにぎやかに過ごすこととなりました。昨年の秋に圭くんのお母さんが一冊の本を持って我家にいらっしゃいました。「ゆふいんの風」というその本は、大谷英之さんご一家が手足のない大五郎という猿を育てた記録を写真と文章で綴ったものでした。カメラマンの大谷さんは、私達の入っている「先天性四肢障害児父母の会」(賛助会員募集中です)の写真集「いのちはずむ仲間たち」の写真を撮られた方で、現在は故郷の湯布院で料理旅館を営んでいらっしゃいます。湯布院は以前から行ってみたい所でしたし、大五郎はもう死んでしまっていませんが大五郎の話を聞きに、大谷さんに会いに行こうと私達は思いました。圭くんのご家族も是非一緒に行きたいとおっしゃり、皆で正月を湯布院で過ごすことに決めたのです。
九州に入ったのはもう夜明けの頃でした。途中、横風が強く、時折雪も舞い予定以上に時間がかかりました。望は、興奮してなかなか寝入らず、九州に入った頃にはぱっちりと目を覚まし、お腹を減らして、一人、牛乳とボーロをぱくついていました。湯布院に着いたのは昼頃で、望は、12時間にわたる長い車中に飽きて外に出たくてグズグズ言っていました。外は雪もちらつく寒さだというのに車から降りると嬉しそうにし表情も車内と全然違います。民芸村では建物の中に入る度に恐がりました。ハーブ園ではちゃっかりレストランの入り口を手差ししてケーキにありつきました。夕方、宿に着き、望と私以外の皆が車から降りた所で、車を入れ直そうと圭くんのお父さんが車に乗り込みエンジンをかけると、ようやく車から降りることができると嬉しそうにしていた望は、一変して大泣きを始めました。車から降りるとすぐに機嫌は直りましたが。温泉につかり、おいしい夕食・・・だったのですが、望は疲れて食事中に眠ってしまいました。
翌日は、Sくん(1才・四肢欠損)に会いに熊本まで出掛けました。昨年8月に会った時よりSくんは随分大きくなって望より重くなり、人見知りも始まっていました。お母さんも明るく元気そうでした。昨年の夏の初めにお電話を頂いた時は、泣きながら、死んでしまおうと思ったとおっしゃっていました。望と出会ったことで、前向きに育てようという気持ちになり、今では訓練に通ったり、病院で装具を作ってもらったり、おもちゃ図書館で遊び方を聞いたりして頑張っていらっしゃいます。同病相憐れむという言葉は好きではありませんが、自分の気持ちを本当に分かってくれる人がいるということが大きな支えになることは否定できません。自分と同じ思いを抱えながら一生懸命生きている人と出会うということの意味の大切さを感じました。私達も、三重の沙織ちゃんとご家族に出会ってから、心の支えができ勇気づけられました。きっと子ども達もまた、自分と同じ様な状況の仲間と出会い共に成長していくことで強く生きていくことができるのだとも感じました。夕暮れの阿蘇の山々を眺めながら湯布院へ帰りました。夕食後は大谷さんを囲み、話が弾みました。大谷さんのご厚意で家族3人で温泉につかることもできました。
4日の朝は、宿の近くの金鱗湖畔を散歩した後、鶴見岳へ霧氷を見に行きました。-3度という寒さでしたが、外の大好きな望はご機嫌です。でもロープウエイが恐くて乗るまで叫んでいました。残念ながら霧氷を見ることはできませんでしたが、別府の街と港を眺めました。昼食後は、空想の森美術館に行きました。望は、絵の前に連れて行ってもらっては、じっと見たりいやいやしたりして鑑賞しているように見えました。夕方、別府からフェリーのサンフラワー号に乗り、大阪に向け帰途につきました。2等寝台個室(4人部屋)で、丁度、寝台列車のようでした。狭いベッドに望と横になりましたが、船内は少し暑くて寝苦しく、望は汗をかき、何枚もシャツを着替え、水も何度も飲み、尿もたまって、私はほとんど眠れませんでした。
車中(船中)2泊、宿2泊と強行な旅行でしたが、望は、心配していた水疱瘡には罹らず、年末の咳もぶり返すことなく、帰ってからも元気です。わたしの方も、4日の朝風呂が良かったのか旅行後に疲れを出すことなく元気に過ごしています。
(宿の玄関の大五郎の像の前で)
この頃の望は
この頃の望は、3才だというのに忙しい日々を送っています。月曜日は、時々通院(定期検査等)です。火曜日から金曜日は、片道1時間かけて療育センターに通園しています。水曜日は午後1時半頃までですが、その他の日は、午後2時半頃までセンターで過ごします。保育とPT,OT,心理の訓練時間があります。金曜日に通院することもあります。ボランティアさんには、月曜日と金曜日の望の空いている時間に来て頂いていますが、今では月3日位となっています。土曜日には、近くのなみはやドームのプールに泳ぎに行くことが多くなりました。(障害者専用ではなく)一般のプールです。土曜日は別として、月曜日から金曜日までハードスケジュールです。
しかし、望は、療育センターが大好きです。早退しようとすると半泣きで嫌がるほどです。保育では、滑り台とタオルブランコがお気に入りで、手を前に出しもう一回と繰り返し何度も要求します。保母さんが、タオルブランコと別の遊びの写真を見せて「どっちして遊ぶ」と聞くとタオルブランコを選びます。体操や歩いたり走ったりするリズム遊びも私や保母さんに抱っこしてもらい、楽しそうにしています。歌では、手や身体でリズムを取るようになりました。絵本やペープサートも好きです。アンパンマンのペープサートでは、アンパンマンの握手に手を出したり、自分も小さなアンパンマンを持たせてもらい保母さんの真似をして、ブーン(左右に振る)、パタン(下に降ろす)など一生懸命しています。たまごの赤ちゃんの絵本では、「出ておいで」で手を上下に振ったり、「こんにちは」で頭を下げたりすることがあります。(お友達の動きが気になって、センターでは以前ほど絵本に集中できなくなっていますが。)保母さんが、同じペープサートや絵本を繰り返して下さるので覚えてきたようです。その他、ままごとやお絵かき(筆、クレヨン、サインペンなどを使って書く)、工作(はさみを押して紙リボンを切る)もしています。ホットケーキも作ります。卵や牛乳、粉をかき混ぜたり、ホットケーキをフライ返しで皿に取ったりを、手を添えてもらいしています。皆が椅子に座っている時は、望は、座位保持装置やスタビライザーに座り(入り)ますが、頭は自分で支えており背骨に歪みがある為に、疲れてきたりつまらなくなると頭を左に倒してしまいます。スタビライザーに入っていて、体を動かしたい時、体を前後に動かして、スタビライザーごとガタガタいわせています。動きたい気持ちがとても伝わってきます。保育の時間は、おかたづけも得意です。カスタネットやボールを籠に入れてもらい、手に提げて職員室まで運びます。移動は、ほとんど座位保持装置に乗ってか抱っこです。火曜日や金曜日の午後は、30~50分間、私と離れ、保母さんやお友達とだけで過ごします。遊べると分かっているので、私がいなくても平気です。ただ、いつものように母が抱っこして動いてくれるという訳にはいかないので、保母さんが側を通る度に抱っこをせがんで「アッアッ」と言っているようです。お友達もよく側に来て相手をしてくれるようです。
PTは、週に1回、おもちゃやバルーンを使いながら、上半身を自分で支えたり腹筋をつける訓練や、寝返りをしたり背骨の湾曲を防止するための訓練を行っています。だいぶ身体に力がついてきたように感じます。OTも週1回、スイッチを使っておもちゃを動かしたり、自動販売機のおもちゃなど手で操作するおもちゃを使ったりしています。本物の自動販売機も好きで、時々、飲みもしないジュースを買わされることがあります。先生に抱っこされてユラユラ、スケボーでブーンと体を動かしてもらうのは楽しそうです。心理の時間は不定期ですが、先生と写真、はめ板、積み木やおもちゃなどを使ってコミュニケーションを取っています。手を前に出すとYES、首を振るとNOです。いやいやが多いのでなかなか大変です。
自宅でも、外に出たがったり、遊びたがったり、とても活発になりました。お手伝いもしたがります。自分で何かをする、参加することがうれしい様子です。相手をする私はますます大変です。毎晩何度も望に起こされ慢性睡眠不足のために、朝8時半から夕方4時までのセンター通園だけでぐったりなのに。望の「したい」気持ちを大切にしようとはしているのですが。この頃では、私が家事に忙しく相手をしてもらえないと分かるとテレビをつけてと手差ししたり、ビデオテープを見つけアレをつけてと要求することがあります。療育センターにお友達はいますが、お母さんや保母さんと遊ぶことが多く、近所のお友達と遊ぶことが少なくなりました。何だか、早期英才教育の子育てをしているような気分です。この生活はやっぱり普通じゃないなあと思ったりしています。
ひとこと
先日、重症心身障害児施設第一びわこ学園の高谷清先生から、「支子 障害児と家族の生」(高谷清著・労働旬報社)という本を送って頂きました。高谷先生は小児科の医師です。以前、重症児の中に私達には見えない深く広い世界が広がっているのではないかとおっしゃった言葉が思い出されます。昨年、びわこ学園を訪れた時、11月頃に本を出しますと高谷先生がおしゃっていましたので、本屋に問い合わせて探していた所でした。そのまえがきより。「この『支子』は本流でない枝分かれしたものであり、ひょっとしたら邪魔扱いかもしれない。しかし私は支子の『支』に『いしずえ』『ささえる』という意味をもたせたい。障害児者は人類の本流とは思われていない。あくまで支流であり、存在しているから仕方がないが、いないほうがよいくらいに思われている。しかし私は障害児者やその家族、関係ある人とつき合ってきて、また人類や生物の歴史を学んできて、障害児者が身近な人を支え、癒していくことと、人類の『いしずえ』であり、人類を『ささえ』ていることも知ってきた。」
障害児の親として贅沢を言わせていただくなら、障害児の療育に携わる方々が、高谷先生のように、障害児に対するそれぞれの哲学のようなものを持っていて下さればと思っています。そして、障害児やその家族の思いに歩みよった医療や訓練が行われることを願っています。