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のんちゃん 便り

139  2008年 11月

中学最後の文化発表会

10月30日、31日に中学校の文化発表会がありました。文化発表会の音楽コンクールのために、早朝や帰りの会で練習をして、望は張り切っていました。昨年は、望を迎えに学校へ行くたびに、帰りの会での練習を廊下で聞いては複雑な思いを抱えていましたが(第131号「あたりまえに」参照)、今年はもう不安はありません。望はまた少し成長し、クラスが変わって顔ぶれは違ってもクラスメイト達は望のそのままをあたりまえに受け容れてくれると思ったからです。音楽コンクールは、1、2年生はリコーダーの合奏と合唱ですが、3年生は合唱が2曲です。課題曲の「山の息吹」とクラスごとの自由曲。望のクラスは「涙をこえて」です。「涙をこえて」の詩が早い時期から教室の後ろの黒板に書いてありました。ステキな詩だなあと、本番の合唱を聞くのを楽しみにしていました。

10月下旬になって、急に寒くなり、望は鼻がグスグスしていました。文化発表会の前日は、鼻づまりと咳がひどく、熱が出るのではと心配しました。小学校低学年の頃まで、鼻と咳が出始めると気管支炎になっていました。病院に走った日々が脳裏によみがえってきました。そうすると、なんだか嫌な予感がしてきました。楽しみにしている文化発表会。中学校最後の音楽コンクールです。放課後の発表会準備を途中で抜けさせてもらい、病院に連れて行きました。ちょうど、主治医が外来にいらして診てもらうことができました。喉の症状は熱が出るような感じではなく、鼻炎かもと言われ、ホッとしました。薬をもらって帰りました。薬は錠剤で、望には初めての体験でしたが、歯に引っかかってもどしそうになりながらも、何とか飲むことができました。

30日、音楽コンクール。この日も朝練でした。体調が悪くても、朝練に行かないと納得しない望です。鼻づまりはあるものの、元気に登校をしたのですが、8時半に先生から、望が少しもどしたと電話がありました。朝、熱も無いし食欲もあったので、大丈夫とは思ったのですが、心配になって学校に様子を見に行きました。望は何事もなかったかのように、クラスメイト達と一緒に展示物を見て回っていました。朝食をたくさん食べて、朝練で頑張って大きな声を出そうとして、鼻づまりでむせてもどしたようです。ひとまず安心。私はいったん帰宅して、午後の3年生の発表を見に行きました。

望のクラスは、1番最初の発表でした。最初のクラスは、優勝できないというジンクス(?)があるとか。採点を考えるとトップバッターは不利なのかもしれません。2曲目の「涙をこえて」を歌い終わった瞬間、生徒の礼を待たずに保護者席から拍手が沸きあがりました。優勝できずとも、聞く人を感動させたことは確かでした。望は鼻づまりで大きな声が出せなかったのか、あまり声が聞こえてきませんでした。でも、口が友達と同じように開いているのがわかりました。昨年より、自分のパートがきちんと歌えていたと先生に言われました。コンクールの後、クラスメイトのお母さんが、「今年は、のんちゃんの声が聞こえんかったなぁ」と残念そうに言ってくれ、うれしかったです。

31日は、3年生全員による合唱がありました。素晴らしい合唱で、私は涙が出そうになりました。保育所で一緒だった子、小学校から一緒にやってきた子、中学で一緒になった子。まじめな子、お茶目な子、やんちゃな子。いろんな思いを抱えた子ども達。一人ひとりの顔を見ながら、愛おしい思いが沸いてきました。子どもたち一人ひとりの未来が希望に満ちていますように。悲しいことや辛いこと、不条理なことも、きっとたくさんあるだろうけど、でも、生きていこうよねと、心の中でつぶやいていました。

保育所の3年間、小学校6年間、そして、中学校の3年。望はたくさんの友達に出会ってきました。そして、私もたくさんの子ども達に出会いました。望がいたから、出会うことができ、その成長を見ることができました。それは本当に幸せなことだと思っています。

読売新聞「育ちささえる」11/18朝刊から

妊娠8か月の時、医師から死産か、生まれても育たないと宣告された娘は、この秋、15歳になりました。元気に校区の中学校に通い、大勢の友達とともに毎日を過ごしています。

 生活のほとんどに介助が必要で、言葉だけでのコミュニケーションは困難ですが、友達と支えあい育ちあって、9年近くの学校生活を送ってきました。周りの子どもたちとの関わりに「子どもってすごい」と感動することもしばしば。

 でも、子どもにとっては特別なことではなく、「あたりまえ」のことなのです。様々な子どもたちが一緒になって、すてきなハーモニーを奏でてきました。

 娘との暮らしは、いろいろなハプニングに満ちています。楽しいことやつらいこと、子育ては予測のつかないことばかり。でも、それが生きているということ。「生まれてきてくれて、ありがとう」

 障害の有無にかかわらず、子どもたちは、様々な思いを抱えて育っていきます。一人ひとりがかけがえのない「いのち」なのだと、「あなたが大切」なのだと、周りの大人が伝えてほしいと思います。

 生まれてきた娘を初めて腕に抱いた時、なんともいえないぬくもりが、私に「いのち」を感じさせてくれました。「あなたは望まれて生まれてきた子どもなのよ」と伝えたくて、「望のぞみ」と名づけました。生まれてくる子どもすべてを「よく生まれてきたね」と迎える地域社会であってほしいと願っています。

ひとこと

読売新聞「育ちささえる」のコーナーの最後の原稿になりました。最後なら、やはり書くことはコレと、いつも書いていることを書きました。前号に書いたように、ある座談会での話が心に残っていました。私は、出産という「誕生」の場面で、「死」を突きつけられたからこそ、「生きる」ことを考えるのかもしれません。人が生まれ、死んでいくこと、生きていくこと、それは「自然」の一部なのだと感じるようになりました。何かを成し遂げることなどできなくていい、何かを残すことなどできなくていい、今、生きていることが大切。大きないのちの流れの中の、歴史の中のほんの一瞬の「ワタシ」。

私は50歳を目前にして、残りの人生を考え始めました。多くのことを中途半端にやり残して逝くだろうけどそれでいい。だからといって焦ることなく、諦めてしまうことなく、とらわれることなく、1回限りの人生を生きたいように生きていこうと思っています。



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