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のんちゃん 便り

第141号  2009年2月

受験準備その3

身体的にも知的にも重度の障害をもつとされる望が、高校を受験するということは、無謀なことに思われるかもしれません。でも、3歳の時に公立保育所への一歩を踏み出して以来、その後の進路は、私たちにとっては自然なことであり、そして、今回の高校進学希望も自然なことなのです。保育所で子ども達と一緒にたくましく育った望は、小学校に行きたいだろう、小学校の仲間と中学校に行きたいだろうと、学校選択したように、同年齢の大勢の友達と一緒に、高校で青春したいだろうと選んだのです。共に学びあい育ち合って、大人になっていって欲しいと思うのです。

「障害児」なら特別支援学校(養護学校)に行けばいいだろうといわれるかもしれません。しかし、その選択をしなかったのは、「目的」を見出せなかったからです。望の求めている教育がそこにはないと、四季の様々な行事も、望が希望している内容ではないと思ったからです。保育所の頃は、我が家の隣にある肢体不自由児の特別支援学校の運動会に連れて行くと喜んでいましたが、小学校の頃から興味を示さなくなりました。車椅子利用者に出会うと嬉しそうに親近感を表す望なのに。連れて行っても、すぐに帰ると言うようになったのです。また、望が目指しているであろう自立、親である私が考えている自立と、特別支援学校で考えられている自立に隔たりがあるとも感じたためです。中学卒業後の行き場がなく、日中の過ごし方に困るという理由で選択すれば、それは望の意志を無視した親の都合になると思いました。

重度の知的障害があるといわれても、自分と同年齢の大勢の子ども達と共に育つ中で、その年齢に応じた勉強や行事を、望はきっと全身で感じとってきたのです。運動会や文化祭では、友達と練習に励み絆を深め、共に笑い共に嘆きました。委員会活動も積極的に行い、部活動も楽しんで参加してきました。言葉がわからないのに一生懸命に先生の話を聞き、問題の意味がわからないテストの回答をし、静かに授業やテストも受けてきました。普段は人一倍お転婆でうるさい望が、です。

中学校に入学して最初の定期テストは、最終日に我慢の限界がきたようで、騒いで教室の外に連れ出されました。教室でテストを受けることも、教室から連れ出されることも、あの時の望にとっては、きっと辛いことだったと思います。「テストを受ける意味があるの?受けさせなくていいのに」と思われる方もあるかもしれません。でも、自分だけ違う、自分だけ特別扱いされることが、望にはもっと辛いことなのです。次の定期テストの時は、限界になると怒ったり寝たふりしたりを静かに(!)していたようです。その次のテストからは、最後まで頑張るようになりました。嫌なテストも受け入れて、望は、友達と教室に居続けることを選んできました。

でもそれは、決して苦痛の選択ではありませんでした。なぜなら、望は、嫌なことも楽しむ力を持っているからです。わからない授業にも前向きに参加し、だるい授業をやりすごし、友達と同じように「ハイ!」と手を挙げ、居眠りやよそ見をしている友達を注意して、その場を愉しみ、クラスの一員として教室に居ました。周りを巻き込む力を発揮し、介助者がいなくても、友達にお茶を飲ませてもらい、ノート介助をしてもらい、朝自習も、その都度、自分で友達を指名して一緒に勉強していたようです(エラソウです)。大好きな体育では、準備体操までも一生懸命です。プールの授業は、自分で浮くこともできないのに、自分から水に顔をつけて小さな右腕で水をかきます。バレーやバスケットなど、ボールを受けることもボールから逃げることさえできないのに、恐怖と闘いながらも参加してきました。ただ、どんなに頑張っても、その頑張る姿勢は評価されず、低い点数でしたが。

でも、それが今の社会の現実です。どんなに体育が好きで一生懸命やっても、身体障害があるために低い評価がされます。知的障害があれば、学力の評価は低くなります。望が学力選抜に向かうことは、やはり、無謀なことなのでしょうか? でも、私には障害があるのに、点数で能力評価されることの方が無謀に思えます。それは、身体障害があって車椅子を使用している人に、「この階段の先にあなたの行きたい所があるなら、どうぞ登って下さい。」ということと同じです。歩けないのにどうやって登れというのでしょう。進学を希望するほとんどの子ども達が高校に進む中、知的障害のある子ども達は「学力選抜」というバリアをどう乗り越えればよいのでしょう。

大阪では、知的障害をもつ生徒のための自立支援コースが、大阪府内の公立高校11校だけに設置されています。そして、各校定員が3名だけです。高校に養護学級が設置されている感じです。自立支援コースの受検は、面接と書類審査だけです。しかし、昨年度は平均倍率が4倍近く。やはり高い壁ですし、必ずしも行きたい高校にあるわけではありません。

障害児に限らず、受験はどの子にも辛いものです。私が生まれ育った市は、人口が少ないのに、なぜか「中学浪人」の多い町でした。高校の数が少ないのに進学校への希望者が多かったからかもしれません。私は、中学、高校、大学と受験をして、障害をもつ友達と出会うことなく育ちました。「普通の子」でさえ中学浪人をする町でしたから、望を産まなかったら、「点数が取れないのに高校に行くなんて!」と思っていたと思います。でも、望を育てる中で、「私は『学校』で何を学んできたのだろう?」と思うようになりました。「教育」について考えるようになりました。確かに、勉強するのは大事なことですし、それで、私自身、大学進学や就職をしてきたわけです。でも一方で、変なプライド意識や優生的な価値観を持ってしまいました。私は望の学校生活から、自分がかつて学べなかったものを、子ども達と共に学んできました。望から「いのち」や「受容」のことを学んできました。望の周りの子ども達からも多くを教えられました。子ども不在の教育理論を振りかざすことなく、目の前の生徒に向き合ってくださる先生方にも出会いました。そしてまた、自分の高校時代を振り返ると、思春期の揺れる想いを抱えもがきながら友達と過ごした日々が、自分の人生の肥やしになったと思います。ですから、望にも色々な友達と共に様々な体験をし、それを肥やしにして欲しいと思います。重度の障害をもちながら自立していくための準備をする場として、高校教育が必要なのです。

今まで、様々な情報を聞き、冷静に自身の目で見ていろんな視点で考え、望に向き合い寄り添いながら、進路を決定してきました。学校生活においては、先生方と話し合いを重ね、信頼関係を築く努力をしてきました。今回の受検という選択も今までと同様で、知的障害があっても高校へという運動に感化されたわけではなく(制度がないので運動は必要です)、親の一方的な思いからでもありません。

教育を必要としている我が子が、障害を理由に教育の場から排除されるのは辛いことです。「制度」という高い壁を前に、途方にくれもします。けれど、望は、いつも通り、「『アシタ』がある」ことを信じて楽しく学校生活を送っています。つんのめるようにして前を向いて生きていく望に励まされている毎日です。

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