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のんちゃん 便り

第15号 1997年 4月 文:向井 裕子、WP:向井 宏

ジョイスティックカー

最近の子供のおもちゃは、知育玩具と呼ばれるものやハイテク技術の使われたものが多数販売されています。それらのおもちゃが、進歩なのか、子供にとって本当に良いものなのかどうかは疑問なのですが、望にとっては、利点が多くあります。スイッチ一つでおもちゃを動かしたり、パソコンでゲームを行う事ができます。望は、おもちゃにスイッチを付けてもらい、それを右腕で押して遊んでいます。スイッチと言っても様々な種類があります。押しボタン式のものや電動車椅子に使われているようなスティック式のもの、この頃では、指のかすかな動きや眉の動きを使用するもの、息を吹きかけて使うスイッチもあります。スイッチ一つ、工夫次第で楽しみがどんどん広がります。子供がまたがって乗り、足で地面を蹴って進む車のおもちゃは以前からありましたが、最近ではアクセルを踏むと動くカート(電動自動車)のおもちゃが登場しており、このカートのアクセルをスイッチに変えれば、望にも乗ることができます。スイッチ一つで移動できるようになります。

私達は、カートのおもちゃにスイッチを取り付けて望の自動車を作ってやることにしました。おもちゃ屋さんで、車体が低くて広い充電式のアクセルで動く赤いマリオカートを見つけました。値段を見て高いなぁと思いながらも、望の喜ぶ顔を思い浮かべ、エイッと購入しました。いざスイッチを取り付けようとして、充電式にどう対応しようかと困ってしまいました。

2月9日に大阪府肢体不自由者協会のボランティアグループ「自助具の部屋」に行き、相談しました。グループの方々が早速対応して下さり、カートに望が一人で座れるように座席を作る係に清水さん、スイッチの取付けを津守さんが協力して下さることになりました。

2月17日に座席の仮合わせ、3月9日には、望用の座席のついたカートにジョイスティックが取り付けられ、望のジョイスティックカーが完成しました。バンパーまで作って頂きました。その上、中島さんがおもちゃの電動バイクをリサイクルして、電池式のボタンスイッチで動く車を作って下さいました。一日にして望は2台の車の所有者です。

さあ、試乗会の始まりです。(次ページ写真)右手でジョイスティックを倒してウイーンと前進。「ヤッター拍手して」とばかりに右手をあげ「アー」と叫び声。ハンドル操作はできないので、大人が時々軌道修正をしなければなりませんが、望は大喜び。自助具の部屋のボランティアさん達の笑顔と歓声。私達も、望の喜ぶ様子と暖かい人達との出会いが本当にうれしかったです。ボタン式の方は、スイッチを押すとゆっくりと進むだけの車ですが、望にはゆっくりな分よくわかるのか、使い慣れているボタン式スイッチだから余裕なのか、よく理解して操作し、移動を楽しんでいるように見えました。今度は前進とバックができるようにしよう。ここでも楽しいアイディアが出てきます。

今、望は、青空の下でドライブを楽しんでいます。これらの、望の自動車は、将来の電動車椅子につながって行きます。望を喜ばせるために作ったものが、将来の望の役に立っていくとしたら、こんなにすてきな事はありません。いつもこんなふうに、楽しいことが、望の暮らしや将来に役立ってくれるといいのですけれど。ジョイスティックカー作成から、また夢は広がって、胸がワクワク。次は何をしようかなと期待に胸をふくらませています。

卒園式

3月19日、望は大阪市更正療育センターを卒園しました。卒園と言ってもこれからも訓練に時々通うことになるとは思いますが、通園は終了です。当日は、白いブラウスに紺色のジャンパースカートを着て(初めてのスカートです)、白いタイツに黒のエナメルの靴といっちょまえの女の子になった望ちゃん。いつもさか立っている後頭部の髪は、朝からお父さんがムースまで付けてセットしてくれました。いつになく整った髪型です。望は、おしゃれして今日は何か違うぞと思ったのか、卒園式の時は、最初に椅子に座っているのが暑くて抱っこをねだったものの、母にだっこされると最後までおとなしくしていました。卒園アルバムをもらいに前に出た時は、右腕を差し出して、担任の池田先生からアルバムを受け取りました。(もちろん持つことはできませんが、気持ちは自分で受け取っていました。)思わず私は涙ぐみそうになりました。

望は、通園の最初の1年は、人見知りもひどく、恐いものも多く、よく泣き、ひたすら回りの様子を観察するだけで声も出ませんでしたが、2年目は段々と積極的になってきて、気の強さも表れてきました。卒園近い頃は、早退しようとすると怒って泣くほどセンターが楽しくなり、母のみならず、担任の保母さんやお友達のお母さんに手差しやアッアッという声で要求も出すようになりました。風邪や下痢、通院等で時々お休みしましたが、本当によくがんばって通園しました。私の方は、毎晩、望に何度も起こされて、慢性睡眠不足になりながら、車で片道1時間の運転をして療育センターへ。センターでは、お母さんといっしょに保育も訓練もしますから、休憩するわけにはいきません。給食だって望は1時間かかりますから、私は5分や10分で食べることはしょっちゅうでした。朝8時半過ぎに家を出て、夕方4時頃に帰宅。なんだかパートに行って、お金を払っているみたいだなんて冗談が出るくらいでした。望も私も、2年間よくがんばりました。

センターに通った2年間に、望も私も成長しました。それが母子通園の良い所でしょうか。私が思うに、母子通園には、もう一つ長所となるべき点があります。職員の方々が子どもだけでなく、その母親や家族を見ることにより、その母親や家族の子どもへの思いを知ることができ、その子どもに最も合った療育を考えていくことができる所です。単なる、話すことや歩くことや食事や排泄ができること、集団からはみ出さないようにしつけることといった目的ではなく、子どもや家族によりそい、その将来を考えていくことのできる療育を行うことができる点だと思います。療育センターの大浦所長が、以前、私に、お母さんの思ったようにしたらいいのですよとおっしゃいました。その言葉は、私の心の奥で、私を支えてくれました。親の気持ちは理解できないが、この仕事が好きだからと職員の方々が療育に取り組めば、大切なことを見失ってしまうように思うのです。職員の方々が、母親や家族とコミュニケーションをしっかりとって、障害児とその母親を育てるというだけではなく、自分も一緒に歩んでいくという思いでいて下さればいいなぁと思っています。2年間お世話になった職員の方々、ありがとうございました。

(ボタン式の自動車。右手の下がスイッチ。)

(右手で倒しているのがジョイステック。)

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