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のんちゃん 便り

第163号  2013年12月

10月に望は二十歳になりました。成人です。二十歳になったからといって急に「大人になった!」わけではありませんが、4月に大学生になり、世帯主になり、そして、成人して、また一歩前進です。振り返ってみれば、本当にいろんなことがありました。

赤ちゃんの望はいつも抱っこをしていなければならないような子で、私は小さな望を左手に抱えたままで家事をする日々でした。ベビーカーで緑地公園へ散歩に行くとたいてい寝てしまうので、木陰で本を読みました。手術や通院が続いたためか、望は警戒心が強くて、通園施設に通った頃は人見知りがひどくて親から離れられず、周囲を観察し続けていました。内弁慶で家では自我がはっきりしていましたが、外に出ると怖いモノがたくさんあってよく泣いていました。3歳で保育所に入った頃から、大きく変わりました。すんなりと親から離れて保育所に行き、大勢の友だちと遊びました。絵本を読むのが大好きだったのに、絵本には目もくれず、外へ外へと目が向いていきました。もともといろんなことに興味をもっていたようでしたが、じっとして観察ばかりしていたのが行動に移ってきて、好奇心旺盛でチャレンジ精神いっぱいになってきました。小学校に入学した頃は、すっかり意志の強い(気の強い?)、今の望の「基礎」が出来上がっていたように思います。入園式、卒園式、入学式と、式があって次のステップに行くのだと理解したようで、小学校という新しい環境へもすんなりと順応しました。体調面では、高熱を出して夜に病院に走ることがよくあり、気管支炎になって長く患うことがありましたが、鼻をかむことができるようになってきてからは気管支炎を起こすこともなくなりました。小学校3年生の時、インフルエンザ完治後に嘔吐下痢の風邪をひいて入院した後からは病気をすることも少なくなりました。今では、たまに膀胱炎になったり、ホンのたまに風邪をひいたりするくらいです。こんな「身体」で、今まで救急車に乗ったことが無いのは奇跡のように思います。

小学校中学校と、いい友だちや先生に恵まれて、人との関係を築きながら、フツーの子ども達と一緒に学校生活を送り、充実した9年間を過ごしました。中学校では、高校受験という高い壁にチャレンジすることもできました。支えてくれた先生方に感謝するとともに、望の成長を強く感じました。高校では、医療的ケアの壁に悩まされ、学校行事が少なく修学旅行もなくて、望は寂しい気持もあったと思いますが、そんな中でも楽しく登校を続けました。本当に、彼女はポジティブにイキイキと生きていきます。夜間定時制高校であるメリットを活かして、昼間にいろんな体験をしました。高校卒業後の進路を決めるのに、望の思いを受けとめる時間を作ることができたと思います。そして今、大学に入り込んで同年齢の学生と過ごしながら、自立にむけた生活を試行錯誤しています。

思えば、いつも試行錯誤でした。あえて試行錯誤してもきました。そして、いつも思ってきたのは、今年の流行語ではありませんが、「今でしょ!」ということでした。望の今は、今この時しかないのです。先生方にとっては、毎年毎年の繰り返しかもしれませんが、新入生の望は、卒業生の望は、○年生の望は、今しかないのです。望が1歳の時、ケースワーカーに「お母さん、今は大変かもしれませんが、養護学校になれば少し楽になりますよ」と言われて以来ずっと、「今」の大変さを棚上げして、何の課題解決?と思ってきました。かかわる人にとっては、またいつかやまた今度ですむかもしれませんが、その人の見えないところでも、望の生活は人生は続いているのです。望の後に続いていく子どもたちのために役に立てば嬉しいことではありますが、望にとっては、今この時しかないのです。

しかし、いろんな人が居ていろんなモノがあるのが社会です。いつもいい人やいいモノばかりではありません。それは、本人にはどうしようもないことだったりします。それでも、生きていくのです。社会の中で生きていくということはそういうことです。「今」はいつも「通過点」です。今がどんなに悪くても、次に行くための通過点なのですから、通っていくしかないのです。望は、「今」が「過去」になれば振り向きもしません。「未来」に向かって、今この時をつんのめりそうなほど前向きに生きています。

この20年間で私は大きく変わりました。のんちゃん便りを読み返しても変化がわかります。望が幼いころは、医療が整い生活が保障される施設が安心の場だと思っていました。今思えば、ビックリ!です。エライことが起きようとも、悪い環境に置かれようとも、今は、地域の中で生きていくことが、望の道なのだと思っています。もちろん、決めるのは本人です。望は言葉で伝えられないから、想いを聴いてきました。幸せは人それぞれですから、他人が幸せを決めたり、評価したりすることはおかしなことです。ゴールに何が待っているのか、その時が来なければわかりません。「わたしはワタシ」と胸を張って生きている望ですから、「わたしはワタシの道を行く!」が望らしい生き方だと思っています。でも、それは「独りの道を行く」ではありません。私は一つの団体や運動体に属すことなくやってきました。組織の力に抑圧を感じたり、一人ひとりは好い人でも集団になると変わる組織の怖さを感じたりしたからかもしれません。権力で人を動かしても、根っこは変わりはしないことも感じてきました。けれど、人とのつながりを大切にしてきました。様々なつながりの中で暮してきたからこそ、今があるのだと思います。

望の生活についてだけではなく、自分自身の人生についての考え方や価値観も変わりました。望を育て、望に育てられ、そして、自分と向き合ってきた20年間でした。望を見ていて、私も私らしく生きていこうと思うようになりました。いろんなことに頑張っていても、肩肘を張ることはなくなりました。人がどう思おうとも、自分の人生を悔いのないように生きたいと思っています。名を残そうとか、何か(子孫も含め、です)を残そうみたいな考えは消え、名声や権力や富は魅力のないものになりました。私たちは、大きな歴史の流れの中で、その流れを作る一つの小さな点なのだと、その点はそれぞれが尊くてかけがえのない点であり、その一つひとつによって歴史が作られていくのだと教えられました。

「今、ココに居る」という存在自体が尊いことで一番大切なことだと、そのことは望の誕生からずっと変わらぬ思いでした。それはきっとこれからも変わりません。改めて、望が生れてきてくれたことに感謝です。最後に、よく頑張ったと自分を誉めてやりたいと思います。そして、アナタが生れてきてくれて、ありがとう。長い間、のんちゃん便りを読んでいただき、ありがとうございました。

1月には成人式です♪

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