第17号
1997年
6月
文:向井 裕子、WP:向井 裕子
向井 宏
遠足
5月16日、保育所の遠足がありました。13日までは暑い日が続いていましたが、14、15日の雨のあとの曇り空で少し気温も下がり、まぶしがりで気温の上昇とともに体温が上がる望には良い条件の遠足となりました。朝、「望の弁当」を作りながら、私は何とも不思議な気持ちを感じていました。今まで療育センターの遠足や家族での遠足に弁当を作ってきましたが、それはいつも「望と私の弁当」でした。外出先では私が望を抱いて弁当を食べるので、二人分を一つの弁当箱につめていました。ところが今回は望一人分の弁当です。望が一人で遠足に行くなんて考えたこともありませんでした。リュックに弁当を入れて保育所に向いました。
保育所を9時に出発。大勢のお母さん方に見送られ、子ども達ははりきってバイバイをしていました。望もずっとバイバイと手を振り続けていました。行き先は鶴見緑地公園です。我家から公園入り口までは徒歩5分ですが、保育所からは大人の足で15分位かかり、公園の中を横切るだけで20分はかかります。4、5才児はずっと歩いて行きましたが、3才児は市バスに少し乗りました。お弁当の頃に私は自転車でこっそり写真を撮りに出掛けました。鶴見緑地は大きな公園で、あちこちの保育所や小学校が遠足に来ていましたが、望のバギーが目印になってすぐに見つけることができました。お友達の中で保母さんに抱っこされて望は弁当を食べていました。カメラをのぞいて良く見ると、望の顔は子ども達の中に赤ちゃんが一人いるといった感じでした。望遠レンズとはいえ、もっと良く撮ろうと近づいているうちに保母さんや子ども達の何人かに見つかってしまいました。私は「しーっ、ないしょ、ないしょ。」と人差し指を口に当てて合図しました。望のお弁当タイムはなかなか終わりそうになかったので、数枚写真を撮って帰宅しました。
夕方近く保育所に迎えに行き、一日の報告を保母さんにしていただきました。クローバーの草原に寝転がったり、噴水まで探検に行ったりしたそうです。お弁当はきれいに食べていました。保母さんは、バギーを押して道を歩き、市バスに乗って、改めて「街の中の障害」の多さを感じられたようでした。クローバーの花飾りをお土産に降所しました。
この遠足では、望がひとりで参加したこと以上に大きなできごとがありました。望は義足をつけずに遠足に行ったのです。遠足の前日、保母さんから「明日の遠足はいつも通りで行きたいのですが。」と言われました。いつも通りとは義足をつけないでという意味です。望は、同じマンションの友達の家に行ったり、電動カートに乗って遊んだり、外出した先などでは義足なしでいる事はありましたが、義足を作ってもらって以来、ずっと義足をつけて外出をしていました。それはほとんど習慣になっていて、望自身、外に行きたい時は玄関を手指しするか義足を指して訴えています。保育所入所の時、私は保母さんに「私達はまわりの眼が気になって、外出の時には義足をつけていますが、保母さん達が気になさらないのでしたら義足をしないで外に連れていっていただいて構いません。」と話しました。親だから、望をじろじろ見るまわりの視線が気になってできなかったことを他人ならしてくれるかも、また集団ならできるかもしれないという期待が少しありました。そしてその通り、望は保育所では義足をしないで散歩に行っていました。
私は、1995年11月の先天性四肢障害児父母の会の「父母の会通信」で望の義足のことを次のように言っています。「(前略)義足での歩行は不可能ですし義足をつけても自分の力で座ることはできませんが、義足を作って外出時に使用しています。(中略)義足を作った時、足の障害を隠すようで少し抵抗がありました。しかし使用しているうちに義足を肯定する気持ちになりました。(中略)また、義足を作って後、動物園・釣り・お父さんのソフトボールの試合・旅行など外出が多くなりました。ご近所の方々や友人達・ソフトボールチームの方々、皆さん義足だとご存知です。義足をつけることにより、人目を気にせず楽しむことができます。“ありのままに”とがんばりすぎて疲れてしまうより、徐々に人目に慣れながら楽しいことをすることを優先して“あえて隠そう”とはしないでいく方が私達家族には合っていると思い始めています。望は上肢だけでも十分人目をひく子供ですから。」
望が義足なしで市バスに乗って公園に行く。これは私達にとってはすごいことです。望は上肢だけでも十分に人目をひきます。そしてその視線に私達も十分に慣れています。しかし、義足をはずす勇気はありませんでした。遠足をきっかけに、まだまだ狭い範囲ではありますが、少しずつ義足をしないで外に連れて行く機会が増えています。ゆっくりあせらずに自然体で楽しく出掛ける状態を作っていこうと思っています。
(中央の保母さんに抱かれているのが望)
ひとこと
望は、5月から6月に変ろうとする頃、三台目の車を所有しました。2センチ位の厚さの長方形の台の下四隅にコロのついたものです。これは一番最初にあるべき車でした。望が台の上に腹ばいになり、台から手を出して、床をぐいとかくとスウと進みます。それではずりばいと変わらない?いいえ、この車は直進(または後進)しかしないので、望はグルグルまわらずに前に進むことができるのです。保育所の保母さん達が考えて、保母の吉田先生のご主人が作って下さったものです。とても丁寧な作りで木の温かさと共に作った人の温かさが伝わってくるようです。
5月は、元気に登所予定日はすべて出席しました。出席日数20日です。望は、ゴールデンウィーク明けは、朝、私にバイと手を上げるとすぐお友達の方を向いたのに、保育所生活にも慣れて回りの状況が見えてきたのか、縦割り保育(3、4、5才児を混合したグループ保育)が始まって戸惑ったのか、下旬から、朝、私と別れる時に時々泣くようになりました。迎えに行くと本当に嬉しそうな顔をします。昼間は楽しそうに遊んでいるようなのですが。気持ちが揺れ動いているのがわかります。これも成長の一つかなあと相変わらず親ばかの私は思っています。
私の方は、朝、保育所から帰ると簡単に掃除をして、自分のしたいことをして過ごし、昼になると一人で食事をしてと、自宅で音のない静かな時間を過ごしています。昼食をとりながら、いつかこんなことがあったなあと思いました。妊娠8ヶ月でドクターストップがかかり仕事を休んでいた時です。午前中は、もしかしたら使うことのない子どものおくるみや宮参りのドレスを作って過ごし、内容は今とかなり異なりますが一人で昼食をとって、少し昼寝をして、夕方に散歩がてらの買物へ出掛けました。あの時は、子どもが障害児なら延々育児に追われ、ダメだったらまたあの忙しい仕事に戻る、もうこんな時間はないだろうと思っていたのに。今では懐かしくさえ思います。