第24号
1998年
1月
文:向井
裕子、WP:向井
宏
初春
旧年中はお世話になりありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いします。
1998年が良い年になりますように。
出会いと別れと
昨年もたくさんの出会いがありました。春、望は保育所に入所してたくさんの友達ができました。保育所の子ども達は、自分とは少し違う望に関わりたくて、もう右からも左からも大変です。お世話大好きの友達も大勢います。入所して9ヶ月が経ち、子ども達に望と遊ぶ工夫をしようとする様子が見えてきました。「赤ちゃんの望ちゃん」ではなく「お友達の望ちゃん」として、助けられたり助けたりして過ごして欲しいと願っています。私は、望のおかげで保育所のお母さん達と出会いました。保護者会の活発な保育所で、朝夕の送り迎えだけでなく行事や交流会などでお母さん達と会うことも多く、望のこともわかってもらえ、私も楽しく過ごしています。
夏、ホームページを開いたことにより、この「のんちゃん便り」を知ってくださった方もたくさんいらっしゃいました。療育センター通園中に実習生だったかわいい女子学生は、今は大学院生で、恋人と二人でホームページを見ているとお便りをくださいました。彼女の恋人は、大学院で電子工学を学びながら、障害児のボランティアをやっているという素敵な青年です。若いカップルがこの通信を読んでくれているなんてうれしくなります。こんなふうに望の周りのつながりが広がることはありがたいことです。私は、既にホームページを開いている素敵な障害児のお母さんに出会いました。電子メールのやりとりだけでなく、住所が近いこともあって、ランチタイムミーティングならぬランチタイムデートをして、たくさんお話をしました。長いお付き合いをしていきたいと思っています。
「わ・はは」のスタッフの方々とも出会うことができました。一年に2,3回、数時間だけしかお会いしていませんが、会う度にとても刺激を受けています。尊敬する大先輩の「障害児の母」達です。彼女たちの自分の人生を生きていくその姿勢は、私に多くのことを教えてくれます。
また、私は、隣の区にある総合福祉施設の中の乳児院と知的障害児入所施設の子ども達にも出会いました。知的障害児入所施設の方は7割が18歳以上ですから、正確には子どもや青年に出会ったことになります。在宅で障害児を育て地域で育つことの大切さをアピールする一方で、私は、社会福祉を支えてきたのは学者や政治家よりも施設現場の職員だという思いも持っています。施設で暮らす子ども達と遊びながら、最低基準が低いがための職員の仕事の大変さと職員の情熱をしっかり受けとめてきました。
望を産み育てることで、日々多くの出会いがあることは、私たちに与えられた幸せだと思います。これからも出会いを大切にしていきたいと思っています。
一方で、昨年は多くの別れもありました。この通信の冒頭におめでとうございますと書くことができなかったのは、そのためです。両足と右手を切断し、左手だけで陶芸をされていた岡田さんとは一期一会の出会いになってしまいました。自らを幸せを売る男と称された暖かな笑顔の方でした。望が保育所に通い始めてゆとりができたので、陶芸を教えていただこうかなあと思っていた矢先の別れでした。岡田さんにいただいたどっしりとした花器には、ご近所でいただいた珍しい白いあじさいが美しく咲いていました。
また、幼い頃からお世話になっていた方ともお別れをしました。私は、4年ぶりに私が生まれ育った山陰の町に行ってきました。本当に昨年は、洋服ダンスの奥で眠っていた黒い服を何度も着ることになりました。その一回一回を、その時のご家族の思いを私はしっかりと心に刻みつけています。そして、望が産まれたときのことを思い出しながら、命の尊さと生きていくことの意味を思っています。
一回限りの人生を、時々後ろを振り返る余裕を持ちながらも、つんのめりそうなくらい前向きに生きていきたいと思っています。出会いと別れの繰り返しの中で、人の命の強さとはかなさを感じながら。
ぺったんぺったんおもちつき
11月下旬にマンションの10周年行事のおもちつきがありました。望はお父さんに連れられて参加し、たくさんおもちを食べました。私は風邪でダウンして家で留守番でした。
12月には、保育所で保護者参加のもちつき大会がありました。これには親子3人しっかり参加しました。夫はつく役、私は丸める役。そして、望はついて、丸めて、食べる役。保母さんに抱っこされペッタンペッタン。杵をあげる度、ハハッと喜んでいました。丸めるのは、泥んこ遊びや粘土と同じで苦手です。おそるおそる出した望の右手にお友達がもちとり粉を塗して、望は観念したのかそっとおもちにさわりました。食べるほうは「まかしてちょうだい」とばかりに、小さく切ったきな粉もちをほおばっていました。天気も良くて楽しいもちつきでした。望は三角巾とエプロンが似合っていました。
望が2才の頃、療育センターでの努力目標に「積極性を引き出す」と書いたことを覚えています。その頃望は、自分から要求を出すことなく、与えられたものをひたすら観察していました。親に対してだけ、要求を示す程度でした。3才の頃には、友達に興味が出て少し友達の真似をし始めましたが、要求の表現もうまくできず、集団の中で積極性を出すところまでいきませんでした。保育所に通い始め「友達といっしょ」に慣れて楽しさを覚えた望は、その中で自分の欲求を訴え始め、積極的になってきました。昨年最後の通所日の連絡帳には、次のように書いてありました。
「今日とってもおもしろいことがありました。部屋でみんな椅子に座って吉田先生からすごろくゲームの遊び方を説明してもらっている時のことです。誰かが『すごろく知ってる』と言い出し、そのうちに数人が『僕が…』『私も…』とにぎやかになるとすかさず望ちゃんも『アーアー、ムニャムニャ』と大きな声で応戦。吉田先生から『ハイ、望ちゃんなんですか?』と聞かれるとサッと下を向いて知らん顔。その後もみんながハイハイと手を挙げているのを見て望ちゃんも何回も手を挙げていました。友達のしていることは、私もしなくちゃと言わんばかりの望ちゃんでした。たくましくなりましたね。小麦粉粘土を作ってみました。すると私の手をじっとよく見ていて少しずつでしたがさわりはじめ転がしたりたたいたりとよく遊びました。」とっても臆病だった望がたくましくなって、自分の要求を表現し、苦手な粘土まで触れるようになりました。望の一年の成長を表した文章でした。今年は、どんな望を見ることができるのか楽しみです。
おしらせ
山口平明さんが本を出されました。「娘天音妻ヒロミ 重い障害をもつこどもと父の在り方」(ジャパンマシニスト社)です。そうです。平明さんは、以前この通信で紹介しました山口ヒロミさん(「寝たきり少女の喘鳴が聞こえる」著者)の夫さんで天音ちゃんのお父さんなのです。そして、ご職業は執筆業です。「天音ちゃんの誕生から、重苦しい日々を経て、家族で生きる喜びを生み出し、娘を『我が家の寝たきりなぞなぞ少女』と呼ぶようになるまでを、ユーモアを交えて描いている。」(読売新聞)表紙は、ヒロミさんの銅板画で飾られています。特に男性方、ぜひ読んでください。