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のんちゃん 便り

第25号 1998年 2月 WP:向井 裕子、絵:静代

不思議な力

昨年、「わ・はは」第3号(ワハハと笑いながら障害児の母の輪を広げようという通信)に「不思議な力」という題で文章を書かせていただきました。「望ちゃんにはまわりの子ども達の心をほっこりさせ、温かい気持ちにさせるすごい力があると気付きました。それは、小さな子もやんちゃな子もみーんなを引き込む不思議な力です。そのおかげで私は子ども達の素敵な笑顔にたくさん出会えるとってもいい役をさせてもらっています。」という保母さんの言葉や「望ちゃんが皆をいい人にしているんですよ。」というボランティアさんの言葉を引用させていただき、望の力によって私達がたくさんの出会いをしたことや、望の周りの温かい人達の様子を書いたものでした。

「わ・はは」が発行されてしばらくすると、望を見守ってくださっている方々からのお便りが届きました。長く障害児と関わったり見つめていらした教師、医師、ジャーナリストの方々からで、「『いい人ばかりに囲まれているのではない。望ちゃんがみんなをいい人にしている。』というのは本当だと思います。クラスに障害児がいることでワルが大変やさしい面を見せるという事例はよく聞きます。」、「望ちゃんの存在でまわりの人達がたくさんの贈物をもらっている様子を思いうかべることで心が和むようです。(中略)日本では、障害をもつ子ども達のほうが生き生きとした目をしているような気がしております。」、「こういう不思議な‘関係’というものをたくさんの人に知ってもらいたいです。」という内容でした。

そして、昨年の暮れに「わ・はは」の事務局の方から、「不思議な力」についての読者の方々からのお便りを送っていただきました。いずれも障害児の母親からのものでした。どの人も、私と同じように、我が子の不思議な力を感じていました。担任の先生や周りの人に「わ・はは」を見せたとも書いてありました。きっと、「同じ事、うちの子にも感じるでしょう」とか、「先生と同じ事を望ちゃんの担任もおっしゃてるね」とか話されたのだろうと思います。あちこちで障害児達が不思議な力を発していると思うとうれしくなりました。望が産まれた時、私は、社会の役に立たないと思われがちな障害児の、生きる意味や果たす役目について考えました。でも、望の成長が、「お母さん、生きるってそんな理屈じゃないんだよ。」と命の尊さに理由や役割なんて関係ないと教えてくれました。ですから、私は、望は重い障害をもっているけれどそれ以上にすごい力を持っているなんて言うつもりはなかったので、望の不思議な力をちょっと遠慮気味に書いたつもりだったのです。偶然の出会いがある度に望の力を感じて望に感謝しながらも、親ばかだから、望の力ってすごいなあと思っているだけと考えていました。でも、望だけではなかったことがわかりました。障害児の力を感じていたのは私たちだけではなかったのです。

この頃、少年犯罪が連日のように起こっています。物や情報があふれすぎて生きていく目標を見失っている子ども達、ストレスを溜めてイライラし「ムカついた」り「キレた」りする子ども達。神戸の小学生殺害事件以来、マスコミでは、最近の子ども達について、家庭や学校のあり方についてよく論議されています。神戸の小学生殺害事件は、被害者が知的障害児であったことや、少年の祖母の死が死への興味の引き金になったという報道が行われたことに私の心は苦しみました。なぜ純粋な心の障害児が殺されなければならなかったのか、報道が本当なら、なぜ、肉親の死が命の尊さの教えにならなかったのか。もはや成すすべが無いように私には思われました。でも、マスコミで報道される「近頃の少年像」が別世界のことであるかのように、望の保育所の子ども達は輝いています。その生き生きとした子ども達を見ていると日本の将来も捨てたもんじゃないぞなんて思えてくるのです。

以前に第一びわこ学園の高谷清氏が、どうしようもなく荒んでいく子ども達を最後に救うことができるのは、重度障害児かもしれないとおしゃったことがありました。その時、私は、重度障害児を愛してくださる高谷氏が、少しだけ障害児をひいきめに見ておっしゃってくださったのだと思いました。(高谷先生、申し訳ございません。)でも、この頃、高谷氏のおっしゃったことが理解できるような気がしています。望のまわりの子ども達を見ていると、ありがとうとも言ってくれず時には偉そうに欲求をあらわす望にやさしかったり、すぐかんしゃくを起こす子が根気強く望と遊んでくれたりしています。そこには、損得もなければ、我慢もありません。本当にみんな素敵な笑顔をしています。子ども達みんなが、こんな素敵な笑顔のままで成長してくれたらと思います。生きることだけで精一杯の重度障害児達のいのちの輝きと力が人の心を潤し豊かにするのかもしれません。でも、重度障害児達が救わなければならなくなるほど、日本の社会が荒んでしまいませんようにと願っています。

鬼が来た

2月3日は、節分。午後、保育所に、鬼がやってきたようです。保育所では、行事の度に保母さん達がかぶりものをしたり変装して子ども達を楽しませてくれます。でも、今回は楽しむどころではありません。みんな恐くて大騒ぎ。もちろん望も大泣きだったそうです。大きくってこわーい鬼がやって来たそうです。来年は、お母さんもしませんかと鬼役の保母さんに誘われてしまいました。ピッタリの役かもしれません。望は、鬼は恐いし、その上、友だちが泣いているのが相乗効果になって、真っ赤な顔をして泣き、そして、保母さんの胸に顔を埋めて泣いたようです。夕方、保育所に迎えに行くと、望のクラスの子ども達が、「鬼が来た。」と口々に教えてくれました。「望ちゃん、泣いたで。」と教えてくれる子どもの目は、皆赤くて「私も泣いたけど。」と語っていました。泣いていない子は、「僕、泣かんかった。」と自慢そうでした。

夜、テレビのニュースで保育所や長野のオリンピック選手の宿舎に鬼が来ている様子が放送されると望の顔はだんだんとこわばりました。でも、ニュースはすぐに終わったのでほっとしていました。お父さんが帰ってきて、豆まきをしました。鬼のお面をかぶるとおもしろがって、もっとしてと大笑いの望でしたが、翌日のテレビで養護学校に鬼がやって来て皆が恐がっている様子が映ると、恐くて泣いてしまいました。

来年も、やっぱり恐くて泣くだろうなあ。来年、もっとでかくてこわーい鬼がきたら、もっと盛り上がるかなと、責任感の強い(?)私は、来年まで、この体型を維持しなければと仕方なく思っています。

ひとこと

新年早々、私は、ぎっくり腰になってしまいました。1月2日に京都まで初詣に行こうと家族3人で出掛けようとした玄関先での出来事でした。身動きできなくなった私は、選択の余地なく寝正月。「お母さん、なに寝てるのよ。外に行こうよ、外。」と望は怒っていました。知人に薦められ、初めて鍼に行きました。「腰から背中まですごく硬いよ。」と積もり積もった疲労を指摘されてしまいました。自分でもよくわかっているのです。毎晩、寝床で、変な体勢のまま、望に水をやったりおむつを換えてきたせいか、腰と膝に痛みは時々あったのです。痛いなあと思いながら、そのまま見て見ぬふりできたのです。今年の目標は、体をいたわり体を鍛えるに決まりのようです。インフルエンザが流行っています。皆さんご自愛下さいませ。

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