第27号
1998年
4月
文:向井
裕子
パラリンピック
連日、テレビで放送されている長野オリンピックを見ているうちに、あの感動をあの場所で感じたいと思いました。世界中から一流選手が集まって、競い合う姿を見ることができるのは、そうめったにあることではありません。パラリンピックが障害者の祭典で、自分の子どもが障害児だから、見に行こうと思ったのではなく、オリンピックに対する思いと同じに、世界の選手の一流の競技を見たいという気持ちが大きくなり、パラリンピックを見に行きたいと思ったのです。でも、望が障害児だからパラリンピックに関心があったことは確かです。長野オリンピックの映像を見ながら、「パラリンピック、見に行きたいなあ。」と私が言うと、すぐに夫が「いこうや。」と答えました。計画性が無くすぐ動く腰の軽い夫を持つと、振り回されてくたびれることも多々ありますが、こういう時には良いものです。その上、計画しなくても、先天性四肢障害児父母の会長野支部の伝田さんがパラリンピックに出場するため、父母の会でパラリンピック応援ツアーの参加者を募集していました。個人でチケットの購入は困難と聞いていましたので、障害を持つ子どもがいると、またまたこういう時は良いものです。早速申し込みをしました。3月8日(日曜日)のクロスカントリーを見に行くことになりました。
せっかく久しぶりに冬の長野まで行くんだから、そりやスキーもしようと、遊び人の私達は、金曜日の朝から出掛けることにしました。ところが、1週間前になって、金曜日は、保育所のお別れ遠足だということがわかりました。遠足が終わって、夕方出発すると、望の体力が心配ですし、夜の雪道も不安でした。遠足を休ませようか、でも、望とよく遊んでくれた年長さん達との最後の遠足だから行かせてやりたいし、と悩んだ末に、お弁当が終わった頃に望を迎えに行って、昼過ぎに大阪を出発することにしました。相変わらず、二兎を追う、無謀な親です。
3月6日、晴れ。朝、望のお弁当を作り、望を連れて保育所に行きました。たくさんのお母さん達に見送られ、全児が鶴見緑地公園へと出発しました。望は、バギーに乗って友達に手をつないでもらい、今日は何があるんだろうと嬉しそうにして行きました。鶴見緑地公園は、我家からは徒歩5分です。保母さんに言われた12時半に、大芝生の所まで望を迎えに行きました。午前中にオリエンテーリングをしたようで、望は、シールをいっぱい貼ったカードを持って嬉しそうでした。お弁当もたくさん食べていました。友達にバイバイのキスをされ、保母さんや大勢のお友達、所長さんや副所長さんにまで、「パラリンピックに、行ってらっしゃーい。」と見送られ、公園を後にしました。
午後1時半に大阪を出発しました。望は、私が運転をしている時は、助手席に取り付けた座位保持装置におとなしく座っているのですが、夫が運転する時は、グズグズと言うらしく、まして、私が後部座席にいると「抱っこして」と怒ります。ですから、車で旅行する時(たいてい旅行は車ですが)には、私が望を抱き続けることになります。何時間も望を抱き続けることは辛いし、高速道路を走っていくので何かあったら危険です。そこで今回は、後部座席に私と並ぶ格好で座位保持装置を取り付けました。これはうまくいきました。座位保持装置に望を座らせましたが文句を言いません。出発しても遠足のことを思い出しているのかご機嫌で座っています。遠足の興奮からか、しばらく起きていましたが、やがて疲れが出て熟睡しました。オリンピックの影響か道路もよく、渋滞にも遭わずに順調に走り、ゆっくり休憩を取りながら、午後7時50分に白馬・飯森に着きました。宿で心温まる夕食を頂きました。宿泊客は、私達だけでした。
翌日は、風が強く、時折吹雪きました。朝食中から、望は宿の子ども達が気になっていました。5才のお姉ちゃんと3才の弟です。2人も望のことが気になる様子で厨房から食堂をのぞいていました。外は吹雪でしたが、せっかく来たのだから少し遊んでこようと、ゲレンデに向いました。スキーとそりと望と望の荷物を抱えて歩いた10分は、とても長く感じられました。オリンピックやパラリンピックの影響か、天候のせいか、スキー場は人が少なくリフトも空きがありました。最初にそり遊びをしましたが、望は、雪が顔にかかるのを嫌がって少しも楽しそうではありません。クッキーと水とでの休憩が一番良いようでした。それではと、望を前向きに抱いてゆっくり滑ったのですが、やはり雪が顔にかかるのがいやで泣きました。去年のそり滑りは、天気が良くて楽しかった望でしたが、今回はあいにくの吹雪で、そりもリフトもスキーも嫌な望でした。レストランに入り昼食をとると機嫌は直り、昼食の最後には疲れて眠ってしまいました。
風がますます強くなったので、ゆっくりと昼食をとった後は、宿に帰りました。帰り道に目を覚ました望は、宿の食堂で朝からお互いに気になっていた子ども達と遊ぶことができました。宿のお母さんが、おやつやりんごを出して下さいました。夜になって、隣の旅館に行きました。父母の会の応援チームは、2つの宿に別れての宿泊でした。この日は、2つの宿とも満室のようでした。隣の宿で、応援旗に寄せ書きをしていると、明日の競技に出る伝田さんが挨拶に来てくださいました。望は、「明日はがんばってね」と、伝田さんと握手をして嬉しそうでした。
翌日は、5時半起床6時半朝食で、8時に競技会場の白馬スノーハープに向いました。お天気は良く、山々が美しく、絶好の観戦日和でした。パラリンピックでは、一つの競技の中に機能的クラス分けがあります。LWn(上肢や下肢等の障害)、Bn(視覚障害)、ID(知的障害)というクラス分けです。nは数字です。例えば、伝田さんは、片上肢障害で2本のスキーと1本のストックで滑る選手で、LW6というクラスで出場します。競技は、LW12からLW10のシットスキー(下肢の障害のため座って滑るスキー)から始まりました。ストックだけで進むのです。もちろん上り坂も、カーブの下り坂もです。上り坂では、がんばれがんばれと観戦している方も力が入ります。カーブの下り坂でバランスを崩して転ぶ選手もいました。彼らの上肢のすごいエネルギーを感じました。続いて、クラシカルです。クロスカントリーには、クラシカル(スキーを並行にして滑っていくもの)とフリー(スキーは平行でなくてもよく自由)とがあります。観戦をした日はクラシカルの日でした。B3からB1の視覚障害の選手がスタートしました。前を行くガイドの指示でコースを走ります。Bクラスの応援は、競技の妨げにならない様に鳴り物は使えず、選手がガイドの指示を聞くために、下り坂やカーブでの声援もできません。ガイドとの二人三脚のゴールです。次にLW2からLW9の選手がスタートしました。伝田さんもスタートです。伝田さんは、長野の人ですが、本格的にスキーを初めてわずか2年だそうで、伝田さん曰く「オリンピックには限られた一部の選手しか出られないけれどパラリンピックは競技人口が少ないこともあってがんばれば出場できる」のだそうです。しかし、上位に入る選手の技術は大変高度で、参加することに意義があるではなく、勝利するための練習を積んできた選手たちの闘志を感じ、ゴールする選手たちの姿は、オリンピックと何ら変わる所がないように思われました。表彰台に上がる選手達は、満面の笑みでした。競技を見ていて何と手や足の無い人が多いことかと感じました。IDクラスの競技は時間が無く残念ながら見ることができませんでした。スノーハープでの観戦は楽しかったけれど、唯一困ったのは、休憩所が無く、望のおむつ交換や着替えをする所が無かったことでした。関係者しか入れない建物に頼んで入れてもらい、その建物の入り口で折りたたみ椅子を2個くっつけて、その上でおむつ交換と着替えをしました。
スノーハープから宿に戻り、宿の方々に挨拶をして、子ども達と一緒に写真を撮り、帰路につきました。帰りは大渋滞で、遅い昼食も夕食も車の中でして、大阪に着いた時は日が変わろうとしていました。
1年が経ちました
保育所に入所して1年が経ちました。この1年、望はしゃべるようになったわけでも、もちろん自由自在に動けるようになったわけでもありません。でも、望はずいぶん変わりました。1年前、友達が顔の側に来ると怖がっていたのに、今ではキスをされようと平気で、嫌な時は、キスをする友達の顔を右手でぐいぐい押しのけています。大好きな友達もできて、その数人を呼ぶ時だけは声が違います。自分のクラスの友達の顔は憶え、小さいクラスの友達と区別をしているようです。小さな子が寄ってくると「仕方ないなあ相手をしてあげよう」とか、知ってる子だと「可愛がってあげよう」といった素振りが見えて楽しいです。職員の方々の顔も憶えました。知っている人と知らない人とでは態度が明らかに違います。知らない人には恥ずかしがってすぐにバイバイをしようとします。本当に保育所によく慣れました。でも、保育所のうさぎと小鳥と金魚だけは、相変わらず苦手です。
食事も、自分ではまだ食物をすくうことはできませんが、スプーンに食物を乗せるとスムーズに口に運ぶようになりました。望のスプーンは、現在は、ピンクのスプーンではありません。保育所に入所した頃から、右手に皮のベルトをつけてそれに自由に角度を変えることができるスプーンをつけています。こちらの方がスプーンが安定しています。上手に口に入れています。又、噛み切ることが全くできず、一口の量だけを口に入れていたのですが、おにぎりなどをぱくついて食べることができるようにもなりました。おかげで白馬の帰りの昼食は、サンドイッチとおにぎりで済ませることができました。すっぱいものが苦手で、みかんやいちごは口に入れても吐き出していたのですが、保育所効果か、友達に励まされて大分食べるようになりました。これには驚きました。歯磨きもベルトに歯ブラシをつけてしています。これは本人はしているつもりですが、奇麗にはなっていないので、仕上げ(?)は大人がします。
この1年間に描いた絵を並べてみると、点と線だけだった絵が、長い曲線になりつながってきました。集中して描く時もでてきて、色も選ぶようになり、最近では数色で画用紙にたくさんの曲線を描いています。音楽も手を振って楽しそうです。できるできないは別として友達と同じ事をしたがっているようです。お当番も大好きです。ビッグマックを押して「いただきます」とやっているようです。給食袋(巾着袋)も口を使って、保母さんと2人で閉めています。できる事、させてもらえる事が本当に嬉しいようです。
保育所に入所する前、私は、「保母さん達はどのように望と接してくれるだろうか、お客さん扱いで、望は、キョロキョロするばかりで毎日が過ぎていくようなことにならないだろうか」と不安に思っていました。この1年、望は、保育は言うまでもなく、運動会や生活発表会の行事も、まさに「完全参加」したと感じています。子ども達の力もさることながら、職員の方々のご苦労は、計り知れないものがあります。「楽しく工夫をして下さい」と私は、無理かもしれないお願いをしました。楽しいどころではなかったかもしれませんが、重荷になってくたびれないようにと思っていました。でも今、望のような子どもを参加させることの難しさをこんなにも見事にクリアして下さった保母さん方に感謝の気持ちでいっぱいです。厨房や掃除の担当の職員の方々もとても可愛がって下さいました。又、巡回指導の出雲先生は、御自身が障害児の父親ということもあり、障害児の側に立った見方もして下さって、大変望に目をかけて下さいました。本当に恵まれた環境で望は1年を過ごすことができました。皆さん、本当にありがとうございました。望の保育所生活は、あと2年あります。望も、私も、そして職員の方々も、まだ課題を抱えています。この1年を過ごしてでてきた課題もあります。あせらず楽しく。今後ともよろしくお願いいたします。
いい天気でまぶしいので望もいっちょまえにサングラス