第30号
1998年
7月
文:向井
裕子
やりたい放題
6月は、望は元気で、保育所の望の登所予定日は休むことなく登所しました。元気でといっても、咳をしていたり、夜中に熱を出したり、給食後の午後1時には迎えに行ったりという日もありましたが、1ヶ月の間、保育所を休んで自宅で寝込むことなく過ごせ、ほっとしています。4、5月は、体調が悪いこともあって、保育所でも機嫌の悪い日が多かったようでしたが、6月は、楽しそうでやる気まんまんでした。
昨年度は、かわいいとか楽しいと言われた望でしたが、いまや「望ちゃん、笑わせてくれるわ。」と保母さん達に言われるようになりました。大きな声を出して欲求を表わしたり、手差しや視線で意思を伝えようとしています。望の言語ではないコミュニケーションは、私達親にだけではなく、保育所の保母さん達にもよく伝わるようになりました。これをどうしてほしいとか、誰に何してほしいということを、望の小さな右手と視線と言葉にならない声で、望なりに上手に伝えるようになりました。声もよく出ています。保母さんや友達を呼ぶときも「あーあー」ではなく何やら言って呼んでいます。保母さん方は、「せんせい」と言っているように聞こえるとおっしゃるのですが、望の呼びかけは、聞く人に都合の良いように聞こえる声なのでなんとも言えません。
望のクラスの隣が職員室なのですが、職員室にいらっしゃる副所長に「ゆり(望のクラス)さんで一番よく声が聞こえるのが望ちゃん」と言われるまでになってしまいました。そんなにうるさい望ですから、周りは言うことを聞かざるを得なくなります。いまや、保育所でやりたい放題の望です。自分の気持ちが人に伝わることがうれしくてたまらないようです。
給食ですいかが出た時、副所長の検食のすいかを「くれ~」とねだり、一口すいかにありつくと、今度は、「○○くんにも、やれ~」「△△ちゃんにも、やれ~」と指図していたそうで、それを後で聞いて、私はもう、恥ずかしいやらおかしいやら。本当に望は、わたしの言うとおりにしろ~とばかりの勢いなのです。療育センターの母子通園中に「積極性を引き出す」と目標を立てたことが嘘のようです。
望の積極性を引き出したのは、たぶん保育所の子ども達。次の目標は、「時には、我慢する」です。きっとこれも保育所の子ども達が生活の中で教えてくれるのではと、「望のしつけ」方に困っている私は、子ども達に希望を託しています。でも、それって、学校に子どものしつけを押しつける親達とまったく同じですね。どなたか、望のしつけ法を教えてください。
この頃、巷では
この頃、巷で騒がれている「環境ホルモン」。(この言葉は、医学用語ではないと聞きました)ごみ焼却場から発生するダイオキシンが問題になっています。ダイオキシンは、枯葉剤などが例にとられ、胎児への影響の大きさを表わすために、奇形(この言葉は、なかなか慣れることができません)の子どもの写真などがマスコミで取り上げられることが多くなっています。そのせいか、先日あるところで「お母さん,妊娠中にゴミ焼却場が近くになかった?」などと聞かれました。障害児を取り上げてダイオキシンの危険性を報道するやり方は、「障害児=怖い」とでも言って脅しているようで、障害児の親である私には、腹立たしく思われます。「障害児を生まないために環境を守る」では、障害児は生まれてきてはならないのかと思います。これは、現に障害を受けて生きている人達の人権侵害に他なりません。「危険な環境化学物質の排除」が目的のはずなのに、「障害児を生まない」ことが強調される危険もあります。望のような子どもが生きて行き難い社会です。
「障害児を生まない」といえば、出生前診断。新聞にも度々取り上げられています。出生前診断は、命の選別につながります。私は、望が普通の子どもでないことが妊娠中からわかったこともあり、出生前診断については、いろいろ思うところがあります。私の意見を述べると長くなるので、それはまたの機会にしますが、私は、出生前診断には反対です。でも、現実には広まっているので、今はとりあえず、その対応策が早急に必要です。
6月末に日本産婦人科学会が、受精卵診断の実施にゴーサインを出しました。障害者団体等の反対運動に対応するために厳しいガイドラインをつけるとの事でしたが、なし崩し的に行われていくのではと不安がよぎりました。そして、早速7月6日、東邦大医学部が申請を行いました。東邦大の医師が、『重い障害児を生み育てている親達からの、もう障害児を生むのは怖いという切実な要望がある』と言っていました。ショックでした。親が一番の差別者なのかと思いました。
しかし、重度の障害児を育てることが大変だとその親達が言っていることは事実かもしれません。だとすると、問題なのは、重度の障害児を育てることが大変な社会の方です。それがここでも、重度の障害児を生まないようにすることに、問題がすりかえられているように感じるのです。障害児やその家族が、がんばらなくても日々の暮らしを営むことができる社会にすることが、先にあるべきではないのでしょうか。障害児の親達が子どもが生まれてよかったと思っているという、あるアンケート結果があります。障害児と暮らす幸せは、他人に説明しても伝えきれない、育てた者だけにしか解らない、いわば特権だと思います。それでも出生前診断を受ける人があるのは、存在するわが子とこれから生まれる子とは違うということなのでしょうか。それとも、本当は育てたいけれど、今の社会では育てることが大変だから、辛い選択として出生前診断を選ぶのでしょうか。
この20年間で、障害者の人権が認められ、障害者の生きやすい社会になってきたと思っていました。でも、この頃の巷の様子を見ていると、今後は逆に、障害者が、生き難い社会になっていくのではと不安になります。「障害者を締め出す社会は弱く脆い社会である」。科学がどんどん突っ走って、人間は、どこに向かっていこうとしているのだろうと、私は心が痛みます。
ひとこと
今月は、少し理屈っぽい内容になりました。時には、こういう話にもお付き合いください。望が生き生きと暮らせる社会を求めて、望の成長とともに私達の思いも伝えたいと思います。
ホームページをご覧の皆さん。私達は、望の周りの輪を広げたいと思いのんちゃん便りをホームページにしました。(本来は印刷物です)皆さんのご意見やご感想をぜひお知らせください。郵送の皆さんもお便りください。お待ちしています。
のんちゃん便り28号で、望のクラスの担任が、2人になったことを書きましたが、これは、望の加配が無くなったのではなく、4歳児は、クラス(23人)に担任が1人、全面介助の必要な望に1人の計2人となったのでした。児童福祉施設最低基準で保育所の保母の数は、「満3歳以上満4歳に満たない幼児おおむね20人につき1人以上、満4歳以上の幼児おおむね30人につき1人以上とする」と定められています。