第4号
1996年5月 文:向井 裕子、WP:向井 宏、絵:静代
望、福岡・諫早を旅行特集号
1.つもる話はあるけれど
4月26日午前9時に大阪を出発し、福岡に着いたのはもう日も暮れようとする午後7時だった。北九州のあたりでは疲れ切って寝入っていた望は、福岡に着く頃には、もう我慢も限界とばかりに体をよじりぐずっていた。福岡のKさんのお宅に着き、3人の子供たちに迎えられ、望は機嫌を直してくれた。到着が遅かったというのにKさんご一家は私達をにこやかに迎えてくれた。
GWに九州に行こう。それは、Kさんからの「GWに遊びに来ませんか」という年賀状がきっかけだった。Kさんと私は、大学時代の「400名の中に女子学生は3名」の内の2人である。(ちなみに残り一人は大阪で工業高校の先生を経て、現在、聾学校の先生をしている。)学生時代の4年間を共に過ごした(いや、彼女のおかげで私は卒業できたようなもの)友人である。
その日遠足だったという隆君(4才)と薫ちゃん(2才)は疲れもみせず、待ってましたとばかりに望を迎えてくれた。隆君は望を見て、少し困惑して、「おばちゃん、この子、手がないね。どうして手がないの?」と私に問いかけた。「どうしてなくなったのかはおばちゃんにもわからないんだけど、おばちゃんのお腹にいる時にケガしたのかな。産まれた時から無いんだよ。」と言うと、「ふうん。」と半分わかったようなわからないような顔。「でもね、望ちゃんの手、柔らかくて気持ちいいよ。触ってみる?」と言うと「うん。」と言って少し触り「ほんとだ。」とやっと笑顔がもどる。それから後は、望は隆君の好きなタイプだったのか、かわいいかわいいと抱っこまでしてくれた。たつろう君(10ヶ月)は、望に興味を示して近付いては顔や髪を触るので、望は、たつろう君が近づくと助けを求めて声をあげる。楽しい夕食、そしてお風呂。長旅の疲れも出て望は眠い。眠いがどうも家とは様子が違う。お母さんの様子も違うし、知らない人もいる。お母さんどこかにいくのかもしれないと思ったのか、神経ピリピリ、眠りかけてはピクッと起きて私を確認する。私の方も病み上がりとあって、望といっしょに横になる。Kさんのご主人と夫の話声を遠くで聞きながら、あっという間に夢の中。でも相変わらず1時間おきに望に起こされつつ、朝をむかえた。
28日の夜もK家へお世話になったのに、望は布団でピリピリして、私は今にも熱の出そうな体にビクビクして、二夜ともそうそうに寝てしまった。久しぶりの再会だったのに。つもる話もあったのに。あーあ。この場を借りてごめんなさいKさん。そして、ありがとうございました。今度はゆっくり話しましょう。
2.諫早、みさかえの園へ
4月27日朝、福岡を出発して、正午頃に諫早へ到着。諫早名物という、うなぎを食べ、うなぎ屋の向かいの「ドンキーワールド(小規模通所作業所となっている店)」で無添加のロバのパンと無限工房の光野有次さんの「無限のモノづくりと仲間たち」の本を購入して、この旅行のメインイベントであるみさかえの園へ向かった。みさかえの園へ行った目的は二つある。一つは、スポーツ療法士の西野さんに会うためである。西野さんに会って障害児や訓練に対しての考え方やこれからの私達が生きていくのに参考となる話を伺うことができたら、何か望の生活に役立つようなアドバイスが頂けたらと思っていた。もう一つの目的は、みさかえの園の見学だ。みさかえの園むつみの家は重症心身障害児入所施設である。私は、以前に何度か夫に「もし、私に何かあって望を育てることができなくなったら、望を入所施設に入れて下さい。」と言った。自分では遺言のつもりである。私がいなくなった場合、望が快適に生きるために必要なものは何か。望は食いしん坊だから、食べることはあまり心配していない。問題は、今や私にしか処置できない排泄である。看護婦さんが必要だ。そして様々な刺激やダイナミックな動き等の療育には療法士さんや若い寮母さん、友達が必要だ。となると、今の社会では入所施設しかないと思っている。
みさかえの園むつみの家の玄関で、西野さんが望に「おいで」とすると、望はすんなりとだっこされ、おとなしくしていた。西野さんは、みさかえの園の常勤のスポーツ療法士である。他にスイミングスクールや各地の公民館等で子供たちを教えたりして365日、子供たちのために働いていらっしゃる方だ。そのお忙しい中を望のために時間をさいて下さり、2時間近い訓練までして下さった。訓練中に様々なアドバイスもいただいた。望はその2時間をずっと泣き通した。私達は、望は生きているだけで大変なのだからと、望が訓練でがんばることをあまり重要視していなかった。望は、一方向だけだが早くから自分で寝返りができるようになったし、自分でずりばいをするようになった。望は望なりに自分のやり方でできるようになると、ただ見守っていただけだった。望がどのように筋肉を使っているか、正しい筋肉の使い方をしているかなんて考えてもみなかった。内臓だって筋肉で動いているのだ。身体全体の筋肉を正しく使うことを教えてやることの大切さを教えられた。
訓練もさることながら、西野さんと交わした、たくさんの話は、私がずっと思ってきたことでもあり、とても納得のいくものが多かった。西野さんは同じ地で、つまり同じ子供たちを15年間、見続けていらっしゃる。子供としっかりと向き合って成長を見守っていく訓練は、私がずっと探していたものだった。単なる知識や技術にとどまらない、それは経験であり子供と家族を見る眼であり、責任や自信や勘であり、そして心だ。成長過程にある子供には10年、20年という長い年月をかけ、共に歩む訓練こそが必要だと私は、ずっと思ってきた。望も西野さんのようなセラピストに出会うことができるだろうか。
西野さんは、「何のための訓練か」ということや「すべての基本は人間愛である。」というお話もされた。「そのままの望を受け入れ、望という一人の子供を愛すること。その上での訓練。単なる、○○ができることが目的とならない訓練。」それは私達が心がけてきたことであり、これからも決して忘れてはならないことだと思っている。また、家族の愛情が障害児の生きる力の一部になっていると思うとおっしゃったことも心にしっかりとめておきたいと思う。
みさかえの園むつみの家は、もう夕食の時間になっていた。西野さんの案内で、入所者の方々の食事の様子を見せて頂いた。なるべく(鼻腔栄養でなく)口からの食事をしているとのことで、さすがに「寝た子おこし」の光野さんが、かつて機器開発室にいらしたとあって、身体をおこして食事をさせてもらっている子供たちが多かった。大部屋に並んだベッドには病院のイメージが強く悲しかったが、想像以上に介護する人の数は多く、皆で輪になっての食事の風景には暖かなものを感じた。これからもっと入所施設は、QOL(生活の質)の向上が行われていくだろう(いってほしい)と思う。
西野さんとの話は尽きることがなく、夕食までご一緒した。夕食後、西野さんは諫早市内での仕事に向かわれた。西野さんの車には、マットや玩具が積まれていた。私達は、夕暮れの道を一路、「長崎でてこいランド」へ向かった。
3.長崎でてこいランド
4月27日夕暮れ時、長崎でてこいランド(〒854 長崎県諫早市本野町1303 ℡0957-25-9110)に到着。「でてこいランド」とは、心身にハンディキャップを持つ子供の親や支援者達が力を出し合って創った山の中のレジャーパークで、ハンディキャップを持つ人も持たない人も家や施設に閉じこもっていないで「でてこい!」と呼びかけている所だ。“デズニー”ではなく“でてこい”という、バリアフリーレジャーパークである。公的補助を受けていないため、カンパや賛助会員の会費で運営されている。
うす暗くなった山の中に暖かな光りの灯る木の香りいっぱいのログハウスに迎えられ、でてこいランドでの一夜が始まった。親子3人で岩風呂に入った。よく考えてみると3人一緒に風呂に入ったのは初めてだ。風呂から上がると人を求めてメインホールへ。二日後の創立6周年の集いの行事を前に行われている生バンドのリハーサルの唯一の観客となり、その後、6周年行事のため帰省された、でてこいランド創始者の一人である浜副さんご一家にお会いした。私は台所に入り込み、浜副太郎君とお母さんとともに少し話をして時間を過ごした。(ちなみにもう一人の創始者は無限工房の光野さんである。残念ながら光野さんには会うことができなかった。)買物袋をさげた上野館長の登場。電話でお話しをした明るい声そのままの元気なお母さんだった。上野さんの息子さんのケイ君は高校生。ダウン症の男の子だ。ケイ君は生バンドに参加したり、でてこいランドで働く辻さんのお手伝いをしたりと、さっきから楽しそうによく働いていた。辻さんと太郎君のお母さんに誘われて星を見に屋外へ。金星が大きく輝いていた。でてこいランドの夜は静かにふけて…いや、相変わらず望に何度も起こされ夜が明けて、枕元には望の汗まみれのTシャツと紙オムツの山。
翌日は、バルコニーの椅子とブランコでゆっくり過ごし、望を抱っこしてウロウロ。辻さんとケイ君について動物小屋へ行くが、望は怖がって顔をそむける。せっかく産まれたばかりのひよこを見せようとしたのに。午前中、でてこいランドでのんびり過ごし、でてこいランドで取れた筍と尾長鳥の卵をお土産に諫早をあとに福岡へと向かった。後二日位いたかったなぁ。もっとたくさんの人と出会い、話をしたかった。
蛇足ではあるが、5月下旬には北海道でてこいランドがオープン。現在、京都でてこいランドの建設が始まっている。全国にでてこいランドが広がれば、楽しくなるだろうなぁ。
ひとこと
望は旅行の疲れがでたのか、日を追って咳がひどくなっています。昨年より咳が続いては気管支炎や肺炎になることが多いため、要注意です。私はといえば、4月中旬に熱をだし、病み上がりで旅行に行ったばかりに、激しい頭痛と喉の腫れに再びダウン。身体に休養を要求され、望と二人でおとなしく過ごしています。36歳の誕生日もなんとなく過ぎてしまいました。
4月は、勘原さん、津田さん、末信さん、菊永さん、上野さん、小濱さんがボランティアに来て下さいました。この頃、望は甘えが出てきて、お母さんが離れるといやいやと泣くようになってしまいました。お父さんでもだめな時があります。でも、子供たちの中ではそんなこともなく、お母さんを振り返ろうともしません。しばらくの間、ボランティアさんをてこずらせそうな様子です。また、喜怒哀楽もずいぶん出てきました。楽しいがもっと出てくれるといいなと思っています。
療育センターでは、4月になってクラスも変り、ヨチヨチ動き回り、声もよく出る子供たちの中で刺激いっぱいの環境になりました。今、クラスで一番おとなしい望が、これからどの位おてんばぶりを発揮するようになるのか楽しみです。