のんちゃん 便り
第43号 1999年 8月 文:向井 裕子
暑中お見舞い申し上げます
暑さ厳しき折、皆様くれぐれも
ご自愛くださいませ。
夏だ プールだ お祭りだ
昨年の今頃、望は、腎臓が肥大して留置カテーテルをしていました。目に輝きがなくなってぼんやりしていることが多く、正直言って、この子の命はそう長くはないのかもと不安がよぎった夏でした。今年の7月は、なんとか元気に過ごしました。おもわず「なんとか」と書いたのは、体温が38度前後の毎日ということもあるのですが、望の体調を心配する私の思いが現われてしまった為です。
毎朝測る体温は、37.7度から38.3度位です。それでも保育所は、私の判断ひとつで、受け入れをしてくれてプールにも入れてくれます。これは本当に感謝しています。おかげで望は、連日お友達と一緒にプールに入り、日焼けしてたくましくなっています。望の水着は、ボランティアさんが綿の布にシャーリングを入れて作ってくださった可愛いものです。望は、これを着て張り切ってプールに入っています。昨年は、顔つけができるようになった望。今年は、お友達の伏し浮きを見て、なんと!潜っているようです。そして、保母さんは、ついに望を持つ手を離したとのことでした。伏し浮きの状態から手をぐるぐる回して上向きになってきたとか。エーッ、なんと大胆な。さすがに夫も、大丈夫かいなと心配顔。望は自分からがんばっているようですし、結果良ければすべて良しとしましょう。でも、私とシンクロの練習日にプールに行くと、顔つけは少しするけど潜るのは『いや』と言います。親への甘えやプールの大きさの違いもあるでしょうが、やはり、お友達の力でしょう。苦手だけど、みんなと同じにがんばろうとしているようです。保育所のプールでの顔は真剣そのものです。家族でプールに行く時には、がんばらずに楽しくと、使い分けたいと思っています。
7月17日には保育所で夏祭りがありました。昨年までは、御輿の上に乗っていた望でしたが、今年は担ぐことになりました。団扇を振る先導役の方がいいのではと保母さんが望に聞くと、『いや。かつぐ』としっかり主張したそうです。皆と一緒に自分も担ぎたかったのでしょう。特別じゃなくて、その他大勢になりたかったみたいです。保母さんが抱っこして担がせるので、他の子と肩の高さが違うため、高い位置に望用の持ち手を作り、皆の振動も伝わるように工夫してくださいました。当日は、私は用事があって残念ながら見る事はできませんでしたが、大きな声を出して、がんばっていたようでした。
望は、連日の寝苦しい夜に何度も起きたり、昼間も、暑さのせいか怒ったり泣いたり笑ったりと感情の起伏が激しかったりするものの、毎日元気に保育所に通っています。
望の学校選択2
6月4日に親子3人で小学校に行った後、6月19日に私が小学校の参観日に行き、だんだんと小学校入学が現実の事として見え始めると、心配事も出てきました。6月4日には、常時、先生を1人付けて欲しいという事と、なるべく通常クラスで過ごさせてやって欲しいという事、そして、できれば導尿の体制をとって欲しいという事をお願いしてきました。でも、腎臓が肥大して、こう暑くなると、「クーラーがなくても大丈夫だろう」とは言っていられない気持ちになり、やはり、クーラーの事をお願いに行こうと思いました。
7月13日、私が小学校にお願いに行って来ました。暑くて望が辛くなった時の逃げ場所として、養護学級に1台クーラーを付けて欲しいと校長先生にお話しました。すると、「先日、ご両親がいらした時に、体温調節の困難な事をおっしゃっていたので、クーラーを申請しようと思っていました」と校長先生がおっしゃいました。望を受け入れることをしっかりと考えてくださっていたのだと、とてもうれしく思いました。
しかし、問題はそこからでした。校長先生が「ところで、導尿は医療行為ではありませんか」とおっしゃいました。私は「医療的ケアです」と答えて、医療行為と医療的ケアの違いを説明しました。私達の市では、ほとんどの養護学校やいくつかの学校で、先生方の善意で医療的ケアが行われているのが実情です。校長先生は、「教師の善意だけでやっていても何も解決しない」ので教育委員会に聞いてみるとおっしゃいました。確かにその通りです。『親がするもの』なんて、自分が産んだのだから自分で責任とりなさいと言われているかのようです。教師や保母がケアを行う事の許可、もしくは、看護婦の派遣など、制度的に整備して欲しいと思います。でも、現場の先生方の善意によって、教育を保障されている子ども達や、人並みの生活を保障されている親達がいる事は、揺るぎない事実であり、とても大切なことなのです。
「医療的ケア」などと、「医療」と付けるからややこしくなって、事故があってはならないとお役所が及び腰になってしまうのではと私は思い始めています。単に望の排泄行為が導尿というだけのことなのです。私は、導尿の時、石鹸で手をよく洗い、きれいなタオル(滅菌などしていません。洗濯機で洗ったタオル)で手をふいて、素手で行います。望の尿道の入り口の回りは赤ちゃん用の清浄綿で拭いてきれいにします。それで充分と医師に言われました。最初は、どきどきしたけれど、慣れればどうってことないのです。単なる生活行為です。なんて、私が声高に説明しても、解ろうとしてくれない人には解らないと、ちょっと疲れ気味のこの頃です。
ひとこと
今月号で、導尿の事を書いたからというわけではありませんが、家を出たり入ったり、バタバタとしているうちに時間が経ってしまいます。家事は少しずつ溜まっていき、読みたい本や資料は山積みになり、おまけに物忘れもひどくて、ため息まで溜まっています。年齢と疲労と体重増加のせいでフットワークも重くなっているのかもしれません。
潜って、輪くぐり、もしかして次はジャンプ?
おみこし、わっしょい。保育所の周りを練り歩き。
「あーしょい、あーしょい」大きな声でがんばったよ。