第6号
1996年7月
文:向井 裕子、WP:向井 宏
よく生まれてきたね
6月29日(土)に療育センターの望のクラスの母親10名(欠席3名)が集まり、交流会をしました。にぎやかに楽しくおしゃべりに花が咲きました。出席者の半数の5名が、染色体や遺伝子異常の子どもをもつ母親ということもあり、羊水検査(胎児診断)の話も出ました。最近では、障害児の親は、その後の出産で多くが羊水検査を受けているようでした。その時、望の障害は超音波検査で出産前からわかっていたのかどうかを聞かれました。8ヶ月の時からわかっていたとの私の答えに、8ヶ月までわからなかったのかなぁの声とともに「6ヶ月までにわかっていたら産んでいた?」との質問がありました。私は心の中では「産んでたよ。」と言いながら、それを口に出すことができませんでした。「YES」と言い切る自信がありませんでした。
駅で皆と別れ、望と電車で帰りながら、望がお腹にいた頃のことを思い出していました。妊娠4、5ヶ月の頃、風疹の抗体検査をしました。私は風疹にかかっていなかったこともあり、結果を聞きに行く前、1つの決心をしました。「結果がどうであれ、中絶はしない。」と。結果は、「心配ありません。」ということで、風疹の抗体はなかったようでした。妊娠中期頃まで、仕事柄また、お腹もそう大きくならなかったこともあり、普通の服装で通勤していました。妊娠7ヶ月の頃からマタニティウェアを着始めたこともあり、職場の人達に「男の子と女の子とどちらが欲しい?」と、とてもよく聞かれました。5年も待った子供です。男でも女でも、どちらでもうれしい気持ちでした。「男でも女でもどちらでもいい。」と答える度に、心の中で「どちらでも、いえどんな子でも、無事に産まれてくれさえしたら。」と思っていました。なぜそんなふうに思ったのかわかりませんが、ただ漠然とそんなふうに思っていたのです。子供に異常があるとわかる前から、障害児が産まれる可能性を無意識のうちに覚悟していたのでしょうか。
妊娠8ヶ月の時、胎児の足が見えないと医師に言われました。頭の中は真っ白になり、一人で家に帰るのがいやで、梅田の人込みを歩きました。その時、急に空腹感を覚えました。「赤ちゃんが欲求している。栄養を摂らなければ。」と我に返って思いました。喫茶店で、ミックスサンドとトマトジュースを頼むと、若いウェイターがクーラーが寒くないかと気遣ってくれました。妊娠して以来、見知らぬ人からの初めての思いやりでした。ゆっくりと食事を取りながら、「たとえ、どのような子供であろうときっとかわいい、いい子だわ。」という思いがどんどん大きくなっていました。結果論かもしれませんが、障害児とわかっていても、「望」んで産んだと思いたい気持ちでいます。
現在では、胎児診断が技術的に進歩し、普及してきています。それぞれの家庭にそれぞれの事情があり、また私自身、重度障害児の親ですから、羊水検査を受ける障害児の母親達の気持ちは痛いようにわかるところもあります。しかし、検査結果により「胎児の障害」=「中絶」となることが、障害児の存在の否定につながるのではという不安があります。たまたま、障害児が産まれ、たまたま健常児が産まれてくるのです。たとえ障害児が産まれても「よく生まれきたね。」と皆が迎えてくれる社会に、障害児をみごもった母親がつらい選択をしなくてよい社会に、いつの日かなってくれることを願っています。
行きつ戻りつ
のんちゃん便りの創刊号で、望の初めてのずりばいをご報告しました。それは、今思い出しても身震いするほど興奮した光景でした。あの時、望は頭を右に左に動かすことで円を描きました。でも、この頃の望は、円を描くほどの移動をしません。夜中には、どうしてこんな所にと思うような所に寝ていることがよくありますが、昼間はお腹を中心にしてぐるぐると回るばかりです。ただ、右回りも左回りも自由自在で、かなりスピードもアップしてきました。滑りやすい畳の上だけではなく、じゅうたんの上でもずりばいをするようになりました。右手の先に血がにじむこともなくなりました。でも同じ所を行ったり来たりするばかりでは、離れた所のおもちゃに手が届きません。おもちゃに向かって行こうとする意欲や頑張りが少し足りないようです。
また、2号では、繰り返しされたことを覚えてきたとお知らせしました。「ぞうさんのあくび」の体操では、よく手を回していましたが、この頃はほんの時たましかしません。でも機嫌のよい時は、いろんな歌にあわせて、手でリズムを取ったり、保母さんのまねをして手を上下するようになりました。通園の車中では、CDの歌に反応して楽しんでいましたが、今では、「車はいやー。歌はつまらないー。水くれー。」とばかりに叫び、泣き、運転手の私をぐったりさせています。そろそろCDを変えようかしら。でも療育センターに着くと「遊べるー」とばかりに鼻歌まじりにご機嫌になります。訓練は嫌いのようですが、お友達や保母さんと遊ぶことがとてもうれしい様子です。
先月発行の5号には、おしゃぶりから徐々に離れていくことができそうな望の様子を書きましたが、そのすぐ後から、親の気持ちを見透かしたかのように、すごい歯ぎしりが始まりました。精神的にも不安定になり、甘えたり怒ったりが激しくなりました。ギシギシというすさまじい歯ぎしりの音にイライラし、幼児虐待をしかねない状態となった私は、望がおしゃぶりを欲しがるとすぐ与えるようになってしまいました。歯ぎしりは少し減り、望も私も精神的安定を取り戻してきました。
望の発達(いやな言葉ですが)の後退に初めて気付いたのは、望が6ヶ月、喃語が止まった時でした。それまで、喃語も人見知りも早くから始まり、望は賢い子だとおろかな私は信じていたのです。ミルクの後や、遊ぶ時に起上りこぼしの人形に向かって、望は何だかおしゃべりをしているかのように発声をしていたのです。それが「ンー。ンー。」ばかりになり、喃語がストップしてしまいました。それ以来、望の後退に時々直面してきました。「望ちゃんの発達のレベルは1才位です。」とエライ先生がおっしゃるかもしれません。でも望は確かに2才8ヶ月の子どもです。人と比べられない、望のペースで成長してきているのです。時々、後戻りしたり、横道にそれたりするけれど、生きてきた時間はしっかりと2年と8ヶ月。行きつ戻りつ、ゆっくりゆっくりの成長を見守って下さい。
ひとこと
6月14日(金)に旭区ボランティアビュローさんのお招きで、城北公園菖蒲園の鑑賞に行ってきました。当日はボランティアの小濱さん、上野さん、菊永さんがご一緒して下さいました。宏も午後、仕事を休んで参加。望のご機嫌もとてもよく楽しいひとときとなりました(写真)。6月は、勘原さん、小濱さん、菊永さん、上野さんがボランティアに来て下さいました。
望の咳はまだ続いています。胸が少し、気管支炎の音がするとか、喘息ぎみの音がするとか言われています。夜中はあまり咳をしないのですが。今年の夏はプールに通いつめようと、望の水着も1着買い足して咳のおさまるのを待っているのですが、もうしばらくお預けのようです。一時落ちていた食欲は回復してきました。2ヶ月間体重が増えなかった分、とりもどしてね。