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のんちゃん 便り

第7号 1996年8月 向井 宏・裕子

初めての体験

最近、望はよく「赤ちゃんらしくなくなった。」とか「顔がおねえちゃんになってきた。」(でも、初対面の人には、よくおにいちゃんに間違われますが)とか言われます。親から見ても、しっかりとしてきたと感じるところがあります。身体を動かすのは、あいかわらず仰向けから腹ばいへの左方向の寝返りと左回りのずりばいだけですが、首も体幹も右手もずいぶんしっかりとしてきたように思います。味覚も発達してきました。敏感に酸味を感じ、嫌がります。表現も少し豊かになってきて、笑ったりうれしい声を出したり、右手で、YESの意志を表したりリズムをとったりするようになりました。お友達が大好きで、遊びたいという気持ちがとても強くなったようです。「アウアウアウ」と何やら訴えるようにもなりました。

療育センターでは、1学期にクラスを越えたグループ保育で「ごっこ遊び」を体験しました。ままごとは、おしゃべりや模倣のできるお友達の中で「一体何をしているの?」ともっぱら見学、いえいえ観察をしていましたが、買物ごっこは楽しく参加できました。リングの鈴やおもちゃ、お母さんのお手伝いで物干しのハンガー、何でも手に掛けられたものは落として、その落ちるのが面白くて笑っていた望でしたが、この買物のカゴばかりは、落としてはならないと右手を上げしっかりとさげて、先生のところまで大好きなパンを買いに行きました。そして、この週1回のグループ保育は楽しみな時間となりました。このように望は、ゆっくりの成長とともに、初めての体験をいくつかしています。

7月8日(月)の療育センターでの歯科検診で、虫歯が1本見つかりました。「今なら少し削ってつめればすぐ治るよ。」との歯科医の言葉に、早速13日(土)に歯科医院に連れて行きました。母にだっこされ身体をおさえられ、先生が口を触ろうとすると、しっかり口を閉じて泣きました。仕方なく口を開ける道具を使いました。大きな声で泣いているのに、歯を削ったり、つめたりと、直接、歯の治療をしている最中は、何をしているんだろうと様子をうかがって、ピタッと泣き止みます。その様子から痛みはなさそうだと私はほっとしました。治療は1回限りで終わりました。これからは、食後の歯磨きはもう少し念入りにしなければ。

7月21日(日)の夕方には、床屋さんへ行きました。お父さんがいつも行っているお店です。望は散髪が大嫌い。産まれた時から髪がたくさんあって、ずっと私が散髪していました。散髪の度に、涙と汗と髪まみれです。望が嫌がる上に、私が不器用なので、いつも不揃いの髪でした。髪にウェーブがかかっているので、何とかごまかしてきましたが、今回意を決して床屋へ行きました。ここでも大泣きでした。でも理容師さんが上手にすばやくカットして下さり、無事に終わりました。髪がずいぶん短くボーイッシュになって、顔もしっかりしてみえました。

7月29日(月)には、私と二人で京都まで行きました。京阪電車の特急に乗って、ちょっとした小旅行でした。京都で行われた全国訪問教育研究会に一日参加させて頂きました。会場では障害児保育があり、見知らぬ人々の中、見知らぬところで、母と離され、最初、望は少し泣きましたが、講演が終わり保育の部屋に行ってみると、遊んでもらって笑い声を出したり、水を飲ませてもらっていました。帰りの電車では、少し疲れが出たのか、牛乳を飲み終わると私の腕の中で熟睡していました。

望は初めての体験の度に、あいかわらず警戒して泣きますが、以前と違って、いやだということを伝えたくて訴えるようにして泣いたり、様子をうかがいながら泣くようになりました。少しずつ回りが見えてきたのかもしれません。

8月には、父母の会総会やキャンプ等、たくさんの行事が待っています。望がどんな反応や表現を見せてくれるか楽しみです。(裕子)

望の誕生

のんちゃん便りも第7号となり、「そろそろ何か書いてみたら。」と裕子に言われ、軽く引き受けたものの、いざ原稿を考えるとなかなか難しいものです。まずは、自己紹介から。年齢は36才。裕子と同じ子年です。会社では、毎日コンピュータに向かい、悪戦苦闘しております。趣味は、休日にソフトボール。

さて、望はもうすぐ3才になります。もう3年も経ったのかと、最近、月日が経つのが速く感じるのは、年のせいでしょうか。3年前、望が産まれたその日、私は、まだかまだかと無事に産まれることを祈りながら手術室の前で待っていました。すると、保育器に入った赤ちゃんがシーツに包まれて出てきました。保育器から、あの独特な「アーアー」という泣き声が聞こえていました。その時は、なにげなくエレベータに入るのを見送ったのですが、後から考えるとあの泣き声は、絶対に望であったと思います。それから、私はあわただしく、病院の看護婦さんにNICUに連れて行かれました。NICUに入ると、保育器の中に、先ほどの赤ちゃんがいました。何とも表現できない姿でした。しかし、その子が自分の子供である事は、しっかりと受けとめていました。だからこそ、その後、とんでもない行動にでたのです。担当の医師から、「早急に手術しないと、命が何日持つかわかりません。」と手術の意志を聞かれ、「そのままにしておいて下さい。」と答えたのです。その上、2日経っても、望の様子が悪化しないと、「この子を殺して下さい。」とまで言ってしまったのです。その頃は、こんな子が生きていけるわけがない。かわいそうだ。……等、悪いことばかり考えていたのです。本当に情けない父親でした。NICUの医師や看護婦を困らせた事を申し訳なく思っています。

望はその後、言うまでもなく、いくつかの危機を乗り越え、彼女自身のとてつもない生命力によって、今に至っています。休日に望と散歩をするのが、今では楽しみになりました。この夏休みには、二人で海遊館にも行きました。望の成長をうれしく見守っています。この頃、何やら大きな声で訴えてくる望。3才の誕生日までに、何かしゃべってくれないかな。きっと「おとうさん」が最初の言葉だと思っています。(宏)

ひとこと

今月号には、はじめて宏の文章を載せました。感じて頂けるところがありましたでしょうか。

7月は、勘原さんとお孫さんのなるみちゃん、津田さん、末信さん、小濱さん、菊永さん、上野さんがボランティアに来て下さいました。望も楽しく遊べるようになってきて、私はその間、買物に出かけることができるようになりました。

この夏は、O―157の食中毒の影響でプールにも行くことができず、望はバケツでの水遊びや、ビニールプールに浮かべた浮き輪に乗って遊んでいます。先日は、近所の子供達とマンションの庭で花火をして楽しみました。おばあちゃんが買ってきてくれた金魚の模様の浴衣を着せて行ったら、皆にかわいいと言われ、親ばかの私はニコニコし通しでした(写真)。

写真も良いけど、あのステキなイラストは?と思っていらっしゃる方も多いと思います。イラストを描いてくれている静代ちゃんは、7月4日にご結婚なさいました。お相手は、仕事をやめたら保父になると笑う、望の大好きな彼です。おめでとうございます。 今、静代ちゃんは仕事と家事で大忙し。少しの間、イラストは休ませて頂きます。次のイラストをお楽しみに。

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