のんちゃん 便り
第110号 2005年
7月
生きる力
保育所で3年間、小学校で5年と少し、望は、大勢の友達の中でたくましく成長をしてきました。手足がない、言葉もほとんどない望が、地域の学校に行って、普通学級の中で「わからない授業」を受けていることを意味があるのかと思う人もいるでしょう。かわいそうと思う人もいるかもしれません。私は、望が2年生頃までは、普通学級で過ごし続けることを迷っていました。でも、クラスに居続けることを選んだのは、望自身でした。無駄に思えることも、本人に寄り添ってみればその意味は見えてきます。当たり前に教室にいる「のんちゃん」です。いきいきと毎日を生きています。心拍数は120、この時期の体温は38度を超えます。教室は、子ども達の熱気もあり、すごい暑さです。気力が体力を引っ張っているような日々です。
新年度がスタートして、養護学級の先生方や教務主任の先生がローテーションをしながら、養護学級在籍児童の学校生活を支えて、2ヶ月近くが経った頃、養護学級の先生が怪我をされて長期休みを取られました。たちまち学校はドタバタ状態です。人間ですから病気もすれば怪我もします。そうなった時に対応できないギリギリの体制が問題です。今年度当初から、1日6時間の授業のうち4時間しか介助の先生がついていなかった望ですが、1日2時間しか先生がつけないという事態になりました。それでも、望は、教室にいます。頻繁に水分補給の必要な望に、友達がお茶を飲ませてくれたりしているようです。担任の先生が、授業中に望にお茶を飲ませる男子児童に対して、先生がするから自分のことをするようにと注意しようとしたら、「ボクは、自分のことは後でできますから」と答えたとか。なんてステキな返事なのかしらと嬉しくなってしまいました。教室移動は友達と一緒にできますが、授業のほうは、6年生になると内容が難しくて、担任の先生も全員に教えながら望の勉強を見ることはなかなかできません。テストやプリントの時には望と一緒にできますが、それも限られた時間です。担任の先生が、授業中に一生懸命に自分の方を見て、じーっと話を聞いている望の姿が本当に健気だとおっしゃいました。
給食の時間、私は、望の介助に行きました。すでに給食の準備が始まっていて、望の机の周りに数人の子どもがいました。机には滑り止めマットが敷かれ、望専用のスプーンやコップが準備されて、いつでも食べ始められる状態になっていました。望は、他の子どもより食べるのが遅いので、一番に給食が運ばれてきます。みんなで「いただきます」を言う前から食べ始めます。学校では、先生や友達に食べさせてもらいたくて、全く自分でスプーンをつけて食べようとしなかった望ですが、その日は、右腕にベルトでスプーンをつけて食べました。技術的には、自分ですくって食べることはできるのです。ただ、腕の稼動範囲が狭いので、介助は必要です。「お母さんだから仕方ないなあ」とあきらめたのか素直に食べました。その後、私が行けない日も、担任の先生と給食を食べ終わった友達に手伝ってもらい、自分で食べたようです。量は少なくても、何とか給食をクリアしたようでした。大変なことはたくさんあるかもしれませんが、自分でできることも少し増やし、友達に手伝ってもらってできることも増やし、徐々に大人の関わりが少なくてもやっていけるようにと思っています。
けれど、いいことばかりでもありません。授業中に望がうるさいと言う児童も現れたとか。先生の話を静かに聞く望、卒業式の長い時間も行儀よくできた望です。なぜだろうと思えば、グループで作業をしていた時のできごとだとか。それは、「私もしたい」と要求を出している声だと思いました。言葉のない望が、介助者のない状況で、一生懸命に要求を伝えようとする声がうるさく聞こえたのでしょう。それを黙っていなさいとは酷な話です。私は「障害児なのだから迷惑にならないよう我慢して皆に好かれるような子に」なんて言いたくはありません。むしろ、「しっかり意志表示しなさい」と言います。それが生きる力になっていくと思います。いろんなことに興味を示して要求を出している望に対して、それに応える教育をして欲しいものです。
望には、できないことがたくさんありますから配慮が必要です。でも、障害をもっている、それだけで、「特別扱い」はして欲しくないと思っています。配慮も、「特別な配慮」ではなくて、障害のあるなしに関わらず、一人ひとりに対しての「当たり前の配慮」なのだと思います。そして、当たり前の生活では、さまざまなハプニングが起こります。その中で、子ども達の社会的耐性や適応性や自我同一性などが育っていくのだと思います。その都度、考えたり話し合ったりして、それぞれが成長していくのだと思います。
相変わらず、望はマイペース、親は葛藤しつつの日々です。望は、「生きる力」を着々と育てているように感じます。自力で座位が取れないにもかかわらず、特定の介助者がいなくても教室にいる望を本当にたくましいと思います。帰宅すると疲れきって爆睡します。寝顔を見ながら、「あなたはすごいよ!」と、親ながら感心しています。
望は、友達に囲まれての学校生活で「人の中に存在をする力」をつけてきました。そして、存在する力とともに、「人生を楽しむ力」を持っていると感じています。学校の外でも、スキー・カヌー・ヨット・電動車椅子サッカー、いろんなことに楽しんでチャレンジしています。生まれてきたパワー、生きていこうとするパワー、楽しむことができるパワー。望のたくさんのパワーを感じながら、改めて「生きる力」ってなんだろうと考えています。望が望らしく、自分の人生を選び取っていく力。それはやはり、人の中でしか育たないと思います。日々のさまざまなハプニングの中で、たくさんの体験をして、それを経験やパワーに変えていく望を見ていると、おのずと望のこれからが見えてくる気がします。友達の中で、自立をしていくと思います。望にとっての自立とはなんでしょう。他人の介助を受けながら、自分自身の人生を選び取っていくことなのだと思っています。私を通って生まれてきた望は、いつか私から巣立っていくことでしょう。その日を楽しみに、私も自分自身の自立を見つけていこうと思います。
ひとこと
6月は「のんちゃん便り」を休んでしまいました。体調が悪いのかと心配してくださった方々、ありがとうございます。学校通いや打ち合せで昼間に集中して作業のできない日が続いて仕事が溜まり、6月中旬からは週2回ペースの講師業も加わり、深夜に議事録やレジュメを作成するありさまでした。望のたくましさに支えられる日々です。