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のんちゃん 便り

116  2006年2月

親ってなに?

2月の初めに「親ってなに?子育てってなに?」というシンポジウムを開催しました。障害と不登校を切り口に子育てについて考えようという企画で、障害児の親、元不登校児の親、障害当事者、不登校体験者のそれぞれの思いを聴き、参加者が語り合うという内容でした。シンポジストの語りたい思いはたくさんあって、参加者の方々も話したいことがたくさんあって、終了時刻を過ぎても誰も帰ろうとせず、30分延長して終了しました。シンポジストの言葉の数々が心に響きました。ディスカッションでは課題を抱える子どもと親のことだけではなく、夫婦のこと、兄弟姉妹のこと、家族のこと、そして、社会のあり方といろんな意見が交わされました。

同じく2月の初めに、ある保育所で子育ての話をする機会がありました。私は大学の先生や研究者ではありませんし、子育てのスペシャリスト(?)でもありませんから、望との暮らしから気づいたことや考えさせられたことを伝えるだけです。そして、それを普遍化させた話を少ししているだけです。話す内容は何年もずっと変わらず、SMAPの「世界に一つだけの花」ではないけれど、人と比べるのではなく特別な花を咲かせようとさせるのでもなく、もともと特別な種をもつあなたが咲かせる花だからステキなOnly oneだということです。あなたがあなた自身だからすばらしいのだ、子どもも親も一人ひとりがかけがえのない「いのち」の存在である、そんなメッセージを伝えています。参加者達は熱心に話を聴いていろんなことを感じ取ってくださいます。迷いながら子育てをする親たちの姿を見ます。

そんな親達の姿を見たり話を聞いたりする時、私はふと思うのです。すっかり「親」になってしまって、「子ども」の頃のことを忘れてしまっているのではないかと。望を育てながら、私は「子どもだった頃の自分」をよく思い出します。両親は共働き、経済的には中流、姉妹は2人の4人家族、どこにでもありそうな家庭で育ちました。親に誉められたくてがんばり、親に叱られたくなくて我慢する、大人からは優等生に見えたかもしれないけれど、すごく歪んだ子どもでした。受験をして中学に入った時は自分が人よりエライ人間だと大きな勘違いをしていました。能力主義の中学校で「自分」に気づき、変なプライドのために自己嫌悪に陥り続け、一方で親に「できる」ことを要求され続けて反発をしていました。親と喧嘩ばかりしていました。登校拒否も非行も自殺も単に勇気がなくてできなかっただけでした。生意気だった私は「あなたのため」と言われることが嫌でした。「あなたも親になればわかる」と言われたけれど、今でも理解はできません。

「ありのままの自分」を受け容れてもらえず、自分自身も受け容れることのできなかった子ども時代でした。できることがいいことで、できないことが人生の終わりのように思いこみ、経済的にも精神的にも1人で生きていくことのできる人間になれと教えられて育ちました。早く家を出て自立したいと思っていました。そんな私が、望を産んで価値観が変わりました。30年以上かかって作ってきた価値観が望に出会って崩れていきました。でも、全てを消し去ることはできません。望を育てながら、それまで作ってきた価値観を崩し、新しい価値観を積み上げてきました。自分が目指していた自立は孤立であり、人は支えあって生きていることに気づきました。自分の人生を自分で決めて生きていくことが自立だとわかりました。ありのままを受け容れていくことの大切さ、いろんな幸せの形があること、それぞれの人生があって、その人生の主人公はその人自身であるということを知りました。腕に抱く望の温かさが「いのち」を感じさせ、懸命に生きていくその「いのち」が、かけがえのない存在である「あなた」と「わたし」であることを教えてくれました。

昨年、「障害児の親のピアカウンセリング講座」に参加した時、ピアカウンセラーが「皆さんと子どもとの関係は、皆さんと親との関係につながっていることが多い」と話されました。親との関係を考え続けていた私には納得のいくものでした。そこで、自分の親に対する思いを少し話しました。ピアカウンセラーが「『私もあなたに(親に)愛されたかったんだよー』と(母親に訴えるように)言ってごらん」と言われました。そう声に出して感情を表して涙を流せば、私を束縛していたものから解放されるということでしょうか。でも、私はそうしませんでした。なぜなら、私は愛されていなかったわけではないと思っているからです。親子の関係は愛があるかないかと白黒ハッキリしたものではないと思います。そして、私は幼い頃に負った心の傷を治す方法を既に見つけているから、今更、過去に向かって嘆く必要などはないと思ったのでした。両親を早くに亡くして進学を断念した母が自分の夢を子ども達に託そうとした、よくある話です。親に育てられなかった人が子どもにどう向きあっていいのか解らず、教えてくれる人もおらず、子どもの人生を自分の理想とする幸せの価値観で作ろうとした、そのために子ども()はたくさん傷つき、私の人生に口出ししないでと反発したのです。望の親にならなかったら、傷を負ったままだったかもしれません。でも、私は望との暮らしの中でその傷を癒してきました。

そして、その傷跡のために、さまざまな親達の思いやしんどさを抱えている子ども達の思いが少し分かるような気がするのです。かつて、親は敵だと言った「青い芝」の人達も、全員が百パーセント親を憎んだわけではないと思うのです。親の愛情は感じながらも、否定的な障害者観をもつ親に対して、敵だと言わなければ「自分を生きる」ことができなかった、複雑に心揺れていた方々もいたと思います。彼らのそんな思いも受けとめて、私は「親」になろうと思います。ありのままの自分を受け容れ、ありのままの望を尊び成長と自立を見守り、望とともに社会と向き合っていくことが、私の親としてのあり方だと考えています。望を育てながら、私は今、自分が生きなおしをしているように感じています。

ひとこと

卒業式まであと1ヶ月と少しになりました。卒業遠足も終わり、今月は小学校最後の参観日があります。参観に使うとかで、幼い頃の写真を学校に持って行きました。写真を見ながらしみじみと「お姉ちゃんになったなあ」と思います。心も身体も少女になっていきます。初潮がきたら赤飯を炊こうと思っています。昔、母が私にそうしてくれたように。


お友達の家族と一緒にスキーに行きました。
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