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のんちゃん 便り

117  2006年3月

卒業!

3月20日、小学校の卒業式でした。望は一張羅のアンサンブルを着て卒業式に出ました。卒業証書授与の時、一人一人が将来について発言しました。この子ども達が夢を語り続けてくれることを願いながら聞きました。望は大きな声で返事をして電動車椅子で壇上に上がり、校長先生から卒業証書を受け取りました。月日の経つのは早く、もう卒業です。でも、望の6年間は「あっという間」の一言で片付けられない、ずっしりとした年月でした。

卒業式前の登校日に卒業アルバムが配られ、下校時、子ども達はアルバムにメッセージを書きあっていました。望は学校の門を出るまでの間も、出会う先生に「センセー」と声をかけて、『アルバムとペンを渡して』と私に指示し、先生方にも贈る言葉を書いてもらいました。望の人と関わる力や人生を楽しむ力を改めて感じました。自宅に帰って書いてもらったメッセージを読みました。「中学に行ってもよろしく」「また遊ぼうね」と心強い文が並んでいました。私学に行く友達は「いつまでも元気なおてんば娘でいてね!」と書いてくれました。メッセージの中に「生きろ!!!」という文字を見つけ、私は目頭が熱くなりました。授業中に望に「うるさい」と言って喧嘩をした男子でした。得体のしれない子が大声を出してうるさいと感じた彼は、喧嘩をきっかけに、望という子と向きあい何を感じ取ってきたのでしょう。どんな思いを込めて書いたのでしょうか。ハプニングがあったからこその言葉だと思いました。

小学校に入学し、普通学級に居続けることを希望しながら、私は2年間揺らぎ続けました。わからない授業を受けさせることは望にとって苦痛ではないのか、授業中に声を出したりして他の子ども達の迷惑になりはしないか、いろんな迷いがありました。でも、望は教室を出るとは言わず、そこに居続けました。勉強は嫌でも、友達と一緒にいることを選びました。最初は、余計なおせっかいが多かった周りの子ども達も、だんだんと『望の思い』に気づくようになり、望が必要とする時に手助けすることを知っていきました。そして、望と一緒に遊んだり体育をしたりするためのルールを考え始めました。共に育つことの意味が見えてきたのは、3年生の始めでした。「できない」ことは子ども達には関係ありません。望が「できない」からでなく、「のんちゃんは面白い」と言って子ども達は関わるようになりました。そして、私は「できないこと」=「嫌なこと」ではないと望に教えられました。やりたいけど自分でできないから人の助けを借りたり工夫したりして、友達と一緒にやりたい想いから嫌なことも我慢して、さまざまなことに取り組むようすを見てきました。

最近、望は勉強に集中して取り組むようになってきました。勉強嫌いは変わらないので自宅では外出の方が好きです。それでも勉強し始めると「もいっかい!」と何度も繰り返して訴え、親のほうが「もう、おしまいにしよう」とギブアップしてしまいます。「手を添えるとひらがなが書ける。一桁の足し算を解く。簡単な掛け算ができる」、そう先生方は言われますが、本当に望が解っているのかどうかわかりません。きっと自然に、かなも九九の一部も覚えたのでしょう。もしかしたら、足し算も「覚えた」のかもしれません。一桁の足し算って何通りあるのでしょう!その能力が社会でどれだけ役に立つのかどうかは疑問です。でも、無駄ではないと思います。勉強したい意志の芽生えは大きな前進で、同時にいろんな理解が進みました。わからない授業が行なわれる中でずっと放ったらかされるのは問題です。私は、障害児だから勉強しなくていいとは思っていません。これも「できる、できない」は関係ないと思うのです。望は、普通学級に居続けて、時には友達と一緒に音読し板書し、手を挙げてあててもらい、そして、時には自分なりの勉強にも取り組んできました。介助が必要ない時には先生に「バイバイ」と言い、介助して欲しい時には「センセー」と呼んでいました。介助者がいない時も友達に助けられ授業を受けてきました。

大阪ボランティア協会の早瀬昇氏がある雑誌に「依存力」と書かれていました。うまく支援を受け他者に頼ること、そして、多様な支援者が関わっても「心棒」がぶれないこと、その結果、オープンでさまざまな人が関わりやすい雰囲気をかもし出す、組織についての文章でしたが、私は、望の力を思いました。自己主張が強く、やりたい思いがたくさんあって、それを自分自身でできない時に他人の手足を使ってその要求を満たしていきます。そして、さまざまな人が自然と関わってきます。まさに「依存する力」です。一方で、「依存させる力」の危険性を感じてきました。失敗させない環境、手厚い介護や療育、強要し相手を操作する見えない圧力などが、依存力や自立心を奪ってしまうように思います。子どもの世界に限らず、医療現場でも見かける光景です。「医療的ケア」もまさにそうだと思います。医療者でなければできないと依存させ、本人や周りの力を奪う場合があります。私はそこに「権力」や「縛り」や、都合のいい「責任」問題を感じてきました。

小学校入学の時、私は社会性や発達面などを考えて学校選択をしました。でも今、それ以前に、「分けられたくはない」「差別されたくない」と思います。分けられることで、子ども達はさまざまなことを奪われているように感じています。同じ場所にいることが、子ども自身にとって苦痛で、「ちょっと行ってきます」と離れることがあったとしても、基本は「一緒に」だと思っています。分けられることで、子どもは差別的な視線を浴びせられたり傷ついたりします。差別はいつでもどこにでも起きる可能性があります。一緒にいる場なら解決の道は模索できますが、分けられるとその道は閉ざされます。

人の中にいて自分自身である「存在する力」、自分ではできないことを他人の手足を使ってやっていく「依存する力」、そして、人と関わり合い、さまざまな体験を自分のものにして、望は「生きる力」をつけてきました。

いい小学校生活を送れたことを多くの方々に感謝いたします。でも、「望の小学校生活」では、望自身が一番頑張ったのです。そして、先生方が作った環境と周りの友達の頑張りとが、望の頑張りと一緒になって、すばらしい6年間があったと思っています。たくさんの友達と楽しい年月を過ごせたことをうれしく思っています。みんなみんな、ありがとう!先生方、ありがとうございました。そして、望、おめでとう!あなたは本当にステキです。これからも、そのパワーで生きていくのでしょうね。きっと望は自分で道を切り開いていく、そう思えるようになったのは、この6年間の日々のおかげです。

「向井望」「アウ!」「卒業証書、授与。おめでとう」

(最後の参観も、卒業式も、母は泣きませんでした。)

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