見出しへ戻る

のんちゃん 便り

118  2006年4月

中学生になりました

4月6日、望は中学校に入学しました。前日までの雨があがり、青空が広がりました。桜の花の咲く中を新しい制服を着て、望は張り切って学校に向かいました。制服を着ることも学校に行く道が今までと違うことも自然に受け入れて、ちゃんと「中学生になる」ことがわかっているようでした。

正門で先生方に迎えられ、学習室(養護学級)担当の先生と一緒に集合場所に行きました。望は1年2組です。6年生の時のクラスメイトや卒業式の日に遊びに来てくれた男児達と同じクラスでした。また、保育所時代の懐かしい顔もありました。私は望の新しいクラスメイトの顔を見て安心して、新しい先生への引継ぎもそこそこに望から離れ、クラス発表の表を見に行きました。同じ小学校からの生徒が3分の2くらいいます。他の小学校から入学した生徒の中には保育所の時のお友達の名前が何人かありました。「お久しぶり!」と保育所時代のお母さん達に声をかけられました。「変わらないわねえ」(?)と再会を喜び合い、おしゃべりをしながら入学式の行なわれる体育館に向かいました。入学式では、望は電動車椅子でちょっと緊張した面持ちで入場をしました。卒業式とは異なり、期待に胸を弾ませワクワクする入学式です。

式が終ると、新一年生は担任の先生に引率されて教室に向かいました。保護者はそのまま体育館に残り、学年主任の先生、同和担当の先生や生徒指導の先生の話を聞きました。同和担当の先生が、障害の有無に関わらず、国籍の違いにも関わらず、共に育つ教育を行っていくことを話されたのでうれしく思いました。入学にむけての保護者説明会で配られた資料の「障害児教育」の項目には、「あらゆる場を通して、経験豊かにし、社会的自立を目指した取り組みを推進しています」と書かれていて、私は一抹の不安を持っていたのでした。「あらゆる場」とはどういう場なのか、経験をどう豊かにしようとしているのか、「社会的自立」とはどういう自立と考えられているのか。そこには「共に育つ」という言葉はなく、取りようによっては障害児を特別扱いする教育が行われるのではないかと危惧したのでした。自立ではなく孤立を目指す教育では困るのです。前号で書いた「依存する力」がなければ自立などできないと私は思っています。学校は、支えあって生きていくことの大切さを学びあう場であり、さまざまな人と出会い、さまざまな価値観とぶつかり合い、それぞれの価値観を形成していく場だと、私は思っています。同年齢や近い年齢の子ども同士だからこそ、ぶつかり合い協力しあって育ちあっていくのだと思います。

また、経験についていえば、学校という特殊で閉鎖的な場よりも、家庭や地域の中での方がよほど豊かになると思っています。望は、日々の暮らしの中でいろいろな体験をして、そこから多くを学んできました。電車に乗るときは切符を買うよう指示します。改札では駅員さんに何やら言っています(「電動車椅子です。スロープ板をお願いします。」とでも言っているのでしょうか)。レストランで食事をしたら伝票を持って財布を出して会計をしなさいと親や介助者に指示し、スーパーで買い物をしたらレジに並びます。春休みに定期通院をしたある日、診察が終ったらお昼過ぎでした。望は地下鉄を降りると、うどん(麺類)をすするジェスチャーをして「食べる!」と訴え、丼物のチェーン店にまっしっぐら。そのようなチェーン店にあまり入ったことがなく入店して戸惑う私に、望は「こっち!」とばかりに食券の券売機を教えてくれました。望はヘルパーさんと入ったことがあるのです。「そうか、先に食券を買うのか」と私は望に連れられて、うどんを食べました。

自宅でもいろんなことをよく観察して、それを経験に変えています。望にインスタントラーメンを「作らされた」こともあります。望は這って器用に食器棚の下の引き戸からラーメンを一袋取り出しました。私は望にインスタントラーメンを作ってやったことはほとんどないので、きっと夫が作ったのを見ていたのでしょう。私に指示をして、鍋にお湯を沸かさせ、どんぶり(それも、ちゃんとラーメン用のどんぶり)を出させ、さますための「おわん」まで準備させて、望はラーメンにありつきました。ある日は、取り込んだ洗濯物の山から風呂上り用のバスタオルを見つけ出し、「腕にかけろ」「イスを押して風呂場に行け」「タオル掛けにかけろ」と私に指示をしました。役割や仕事を自分で見つけていきます。たいしたものです。今にもひとり暮らしができそうです。そんなあらゆる個人的な経験は学校の外でしていくものであり、集団としての経験が、学校でしかできないことだと思います。譲り合ったり、自己主張しあったりして社会的耐性や適応性を身につけていくのだと思います。学校生活は「地域で暮らすこと」の一部分です。子どもにとっては大きな部分を占めますが、社会的自立をしていく過程では家庭と学校と地域との役割分担があると思っています。

入学前に、保育所の時に一緒だったお子さんのご家族と出会うことが何度かありました。お母さん方に「中学になったらまた一緒だね」とか「またよろしくね」と言われて、望以上に母の私のほうが心強く思いました。小学校は、ずっしりとした6年間でした。そしてまた、保育所に通った3年間も大きかったのだと思っています。あの頃は、漠然と「一緒に成人式に行けたらいいなあ」なんて思ってはいましたが、中学なんて具体的には考えられませんでした。今になって改めて、地域とつながっていった3年間の重みを感じています。幼かった子ども達もずいぶんと大人びて、我が子の成長を見るようにうれしく思いました。相変わらずの気さくな母達に、私もまた幼馴染に会ったような気がしました。地域の中で、望も私達親も育ってきました。

入学式当日には、望が2歳の頃にボランティアをしていただいた方が、望の制服姿を見るためだけに正門前で待ってくださっていました。初めて我が家にいらした時に「のんちゃんの成長が楽しみです」と言ってくださったことを思い出し、胸が熱くなりました。正門のところで写真を撮っていただきました。午後には、そのボランティアの方々がケーキと花束を準備してくださり、2名の方が我が家に持って来てくださいました。定期的に訪問をしていただいたのは2歳の頃の1年間だけで、その後は、時々お迎えをお願いしたり、服のリフォームをお願いしたりする程度ですが、本当に望の成長を温かく見守ってきてくださいました。卒業や入学のお祝いも届いて、望がいろんな方々に支えられていることを改めて感じている春です。

制服、似合っていますか?

ちょっと「お姉ちゃん」でしょ。

117号 見出しへ戻る 119号