見出しへ戻る

のんちゃん 便り

122  2006年 10月

再び 劇団態変

望は、6年前、保育所の年長の時に、劇団態変の最年少エキストラとしてデビューし、翌年の小学1年生の時にも出演をしましたが、再び、9月21日から23日までの3日間、態変の公演「ラ・パルティーダ出発‘06」に出演しました。今回のエキストラ募集は全く知らなかったのですが、劇団態変からお誘いの電話があり参加しました。野外テントでの公演です。公演前の2日間、稽古が22時半まであり、続いて3日間の夜の公演。午前中は学校に行き、午後からは舞台へと、就寝時刻が21時の望にはハードな1週間でした。でも、楽日の翌日もその次の日も、望は舞台に行くと訴えていました。3日後にようやく終ったことを理解したようです。翌週から、いつものように元気に登校しています。体力もついて心身ともに成長しています。

初めて態変の舞台に望を出した時、私は随分迷いました。当時6歳で、そのうえ知的な遅れもある望は、目の前にあるものは選択できても、「舞台に出るかどうか」という「これから体験すること」を自分で決定することはできないと思ったからです。それを私の意志で決めることは、望にとって不本意なのではないか、そして、昔の「見世物」とどう違うのだろうと考え込んだのです。でも、態変主宰の金満里さんは望本人に決めさせると、望と1対1で話をされました。「ウン」とうなずく望に、自分で決めたからには最後までやり通さなければならないと厳しい言葉をかけられました。プロの世界に大人も子どももありません。報酬のないエキストラであろうと観客には関係ありません。舞台に上がってから嫌とはいえないのです。稽古の時から望の気持ちを確かめようと見ていましたが、親の心配をよそに、望は楽しんで舞台に出ました。

12歳になった今もほとんど言葉が理解できない望に舞台に出るかどうかを聞くことは困難ですが、かつての舞台で楽しそうだったので参加することにしました。でも、成長してきた望が、以前と同じように舞台に出ることを望むかどうかは稽古で見極めなければと思っていました。ある日、夕方から用事があったので、立ち位置の確認だけして稽古をせずに帰ったのですが、望は帰りの車で怒りまくっていました。舞台に出たいのだということがわかりました。公演前の2日間の稽古も、疲れているはずなのに嬉しそうに行きました。そして、舞台を観た時、私は自ら舞台に立つことを選び取った望を確信しました。

今回の公演は、エキストラが大勢出る最後の場面だけでなく、短時間ですが後半に金満里さんと親子の役で出る「子を守る母の歌」という場面がありました。「貧しい民衆の母親が幼い我が子を腰紐に縛りミルクを探して配給所(哺乳瓶)を見つけ近寄ろうとする。金持ち婦人に邪魔をされながら、なんとかミルクを子に与えることができる」という内容です。「しばられた子ども」という曲です。望はロープ(腰紐)で身体を縛られて、金さんにつながれて出るのです。訳のわからないものを身に着けさせられたり、頭に付けられたりが大嫌いな望です。化粧をしたり髪を固めたりされるのが嫌で、電動車椅子で逃げ回りメイクさんを困らせていました。なのに、望は神妙にロープに縛られていました。演じるということをちゃんと理解している望を感じました。

リハーサルでは、金さんに引っ張られて寝返りをして仰向けになり、引きずられるように「かろうじて生きている力ない赤ん坊」を演じた望でしたが、本番は、すごい勢いで這いずっていきました。「栄養満点!体力あります」という這い方です。おまけに、差し出された哺乳瓶にそっぽを向き、うつ伏して寝たふりをして幕がひかれました。「ダメだしだ~」と私は思ったのですが、スタッフや観客の方々の感想は良かったようです。這って行ったのが哺乳瓶の方向だったからか、すぐに寝たふりをしたから哺乳瓶拒否が観客にはわからなかったからか、とりあえずはホッとしました。でも、望をよく知る私の友人達は、望の『イヤイヤ、プイ!』を見逃してはおらず、ダメだしをされたり、笑いをこらえて観ていたとメールをくれたりしました。

楽日には、幕が開いてすぐに観客に手を振りました。小さな右腕が左右に揺れるだけなので、観客は気づかなかったかもしれませんが、大勢の立ち見客の後ろから覗き観ていた私は苦笑いしてしまいました。この度胸はどこからくるのでしょう。観られることを楽しんでいます。公演後、金満里さんから「望は完全に観客席を意識して『自分がここでやるぞ!見とけっ』てな感じでアピールはばっちりしていました。それと私から見ていて望は、自分なりの見せ方と言うものへの研究心があります。そこから望の普段の自己の身体への、客観的な捉え返しとしての鍛えられ方は半端なものではないことが伺われます」とメールをいただきました。

望は、ほとんど言葉が通じず、多くのことがわかっていないようにみえても、自分の身体が人と違っていることを知っています。学校で、友達と同じことを違う方法でやることや他人の手足を使ってことを成すことを自覚しています。電車で、車椅子の使用者と乗り合わせると「こっちこっち」と仲間だとばかりに声をかけたり、私学に通う小学生にじろじろ見られたら「プイッ!」と敵意を表して無視をしたりします。手足に障害をもつ子どもは2、3歳の頃に人との違いに気づくようです。いつ望が手足のないことに気づくのか、気づいて感情が揺れはしないかと、私は注意してみていたつもりです。でも、いつの間にか望は自分の身体に気づき、そして、受け容れていました。だからこそ、望は堂々と舞台へ上るのです。その姿に親ながら感動し拍手を送りたいと思いました。

「ありのままのあなたはステキなのだ。胸を張って生きていってほしい」という親の想いがしっかりと伝わっていることを感じています。そして、望が望らしく自分の人生を生きていくことを願っています。

ひとこと

8月9月と私は発作的に船酔い状態になり、めまいと嘔吐に襲われました。過労と睡眠不足を避けるのが唯一の予防とか。がんばりようがありません。ゆっくりペースでいきます。

公演後、金満里さんと。望はすっかり友達気分。
121号 見出しへ戻る 123号