のんちゃん 便り
第123号 2006年
11月
13歳になりました
望は10月に13歳の誕生日を迎えました。誕生日は盛りだくさんの1日でした。朝一番、望が幼い頃に関わってくださったボランティアの方が、誕生ケーキを持って来てくださいました。毎年恒例のケーキです。忘れずに望の誕生を祝ってくださる方々に感謝の気持ちです。ちょうど朝食時だったので、朝からケーキにろうそくをつけてお祝いをしました。
午後は、劇団態変9月公演の関係者向けビデオ上映会に行きました。裏方でほとんど公演が観えなかった私と、出演していて公演を観ていない望とで参加しました。役者さん、エキストラの方々、そして、黒子やスタッフの方々とビデオを観ました。前号に書いた金さんと望のシーンは、舞台監督さんや芸術担当の方にとって、最も印象的なシーンのひとつだったと聞き、たくさんの舞台を作ってきた方々にそう思っていただいたことを嬉しく思いました。望にとって、9月の公演の1週間は本当に楽しい日々でした。その証拠に、このビデオ上映会に行く時、私が身体を左右に揺すりながら「態変に行くよ」と伝えると、望はまた舞台に立つと思ったのか、野外テントがあった公園に「行く!」とばかりに、張り切って行く途中途中で方向を指示し、方向が違うと言っては怒っていました。また舞台に出るつもりかと私は笑ってしまいました。私も舞台裏でいろんな方々に出会い、本当に楽しかったです。最後に皆さんに誕生日を祝っていただき、記念写真を撮りました。
その後、箕面の居酒屋「えんだいや」で誕生日会をしました。その途中で、誕生祝いを買いました。望が「欲しい!」と立ち止まったのは、弁当箱の売り場。中学生になって、毎日弁当を持って登校しています。食いしんぼの望らしい選択です。でも、弁当箱はたくさん持っているので、ケース入りのフォークと箸を購入しました。望は満足そうにプレゼントの袋を車椅子の後ろにかけた自分のバッグに入れてと指示しました。居酒屋さんでは、友人知人達や、豊中の障害児の母達が集まってくださいました。夏の旅行で出会っている方々ですので、望も皆さんを知っています。居酒屋の中を電動車椅子でうろうろしては、いろんな人にごはんを食べさせてもらっていました。隣のケーキ屋さんで買った誕生ケーキに大1本小3本のろうそくを立て、みんなに祝っていただきました。ケーキに始まってケーキに終った、にぎやかな誕生日でした。
望が生まれてきてくれたことに感謝しています。「産まれても育ちません」とか「生きていけるかどうか」と言われた望は、元気に13歳になりました。誕生の時に「死」と向き合った私達でした。「生きていく」望の力を感じています。望が生まれた時のことを思い出すたびに医療のあり方を考えます。確かに医療は進歩してきました。でも、新生児の延命治療の中止にはさまざまな疑問がわいてきます。妊婦だった私は、お腹の中にいる望が生まれたがっているように感じました。出産の時、生まれたくて一生懸命に生まれてきた望を感じました。赤ん坊は生まれようとして生まれてくるというあたりまえのことに気づきました。信仰を持たない私ですが、人は生まれたくて生まれてくるのだと思いました。そして、初めて腕に抱いた望の体温の温かさが、私に「いのち」を感じさせました。生きているということは温かいことです。脳死だと言われても、愛する人の死を受け容れられない人達がいます。それは、温かい身体、生きている身体を感じるからでしょう。本人が死を望んでいるかどうか、わからないままに他者が決めてしまうことが怖いと感じます。
「看取りの医療」という、赤ちゃんが安らかな最期を迎えられるようにする医療があるようです。それは、患者自らが自分の生き方や最期の迎え方を決めていくターミナルケアという医療とは異なります。命の終わりを親が決め、延命治療を中止し、死を待つ医療です。そこに、一見「安らかな死」の形を作っても、どんな理屈を並べても、本人の意志に関係なく「いのちを終わらせた」ことに変わりないと私は思うのです。人の命の長さを医師が断言することなどはできないし、親が決めることなどはできないと、私は思っています。望が生まれた時、死を願った夫は、今、望の「生」に寄り添いながら暮らしています。
望との暮らしは「生きる」ことの重さを感じる日々でもあります。生きているから、楽しみも苦しみもやってくるし、幸せもやってきます。いじめによる自殺のニュースを聞くたびに辛くなります。嫌なことから隠れてもいいから、とにかく今日だけは生きて、明日までは生きてと祈るような気持ちになります。「生きたくても生きていけない子どももいるのだから、命を大切に」なんて、私は言うつもりはありません。どうか、一人一人の「あなた」に生きていて欲しいと願っています。
望が生まれてきてから、私は不幸だと思ったことがありません。なぜなら、望が生きてここに居てくれるから。障害をもっていることが不幸なのではなく、生きていてくれることが幸せだと、そう思ってきました。望を授かる前、私はこの世に何を残せるのか、名を残すことも子孫を残すこともできないなどと虚しさを抱えていました。でも、それはどうでもいいことだったのです。歴史の大きな「いのち」の流れの中で、その流れを作るひとつのいのちとして、今ここに生きていること、かっこ悪くてもぶざまでもしんどくてもとにかく生きていくこと、その大切さを思います。
今、生きていくことに意味が見いだせなくても、ひたすら生きていれば、きっと意味は後からついてくると、望との暮らしから気づきました。いえ、意味などなくてもいいのだと思います。ただ自分自身の人生を生き抜けばいいのだと思っています。望が望らしく、自分の人生を生き抜いて欲しいと思います。また、来年の誕生日まで、大切に日々を重ねていきたいと思っています。
ひとこと
望の中学校は前期後期制。前期の通信票をもらってきました。1・2・1・2と駆け足のような通知票でした。相対評価ですから仕方ありません。その通知票と別に、クラス担任、各教科の先生方、養護学級の望を担当された先生方、それぞれが文章で評価を書いてくださいました。先生方が望と向き合って下さっていることを嬉しく思いました。