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のんちゃん 便り

125  2007年2月

自立

2月上旬に私の親類に不幸があり、2日間ひとりで実家に帰ってきました。休日、夫に望を頼んで出かけることはありましたが、平日は初めてでした。突然のできごとに重度の障害児を抱える家族はどのように対応したか、なんて、コトが起こる前に想像していたほど大きな困難さもなく、緊急事態に備えてお願いしている病院に望を預けることもなく対応できました。

平日でしたから、望は学校があり、夫は会社があります。望の生活を変えることなく帰省をするために、ヘルパー派遣の事業所に無理を言ってヘルパーを調整してもらい、いつも夜中に帰宅する夫に早く帰宅してもらうようにしました。出かける日の朝、お昼の弁当と夕食と風呂の準備をして(これは普段とあまり変わりのない作業ですが)、その後、スーパーに走り弁当用の冷凍食品を買ってきました。翌日の望のお昼ご飯は、中学の購買でパンを購入してもらうか、食堂で何かを食べさせてもらうかで対応しようと思ったのですが、夫が「弁当を作る」と言ったのです。ご飯は炊けるとしてもおかずは冷凍食品に頼るしかありません。今や誰でも弁当が作れる時代だと、冷凍食品コーナーの前で驚いた時代遅れの私でした。朝の苦手な夫が、弁当を作り、学校に遅刻しないように望を送っていけるのかどうか、それが一番の問題でした。帰省の特急列車の中では自宅のことが気になって落ち着きませんでした。通夜と葬式を終え帰宅すると、望は何事もなかったように私を迎えました。やってみればできるものです。なんとか無事に2日間を切り抜けました。

その週末、東京で研修があり、また1泊2日で行ってきました。これは予定通りのことだったので、望はヘルパーと夫との連携で2日間を過ごしました。夫と一緒に車で私を迎えに来た望は、私を見つけて嬉しそうに手を振ったものの、その後はやはり何事もなかったかのようでした。私と離れて過ごした後に甘えてくることもありませんでした。母親としては、ちょっと寂しくもあり、たくましくなった我が子が嬉しくもあり。

小学校の林間学習や修学旅行、中学校の一泊研修など、望は親から離れて過ごしても平気でした。いえいえ、それどころか、友達と一緒で楽しくて仕方なかったようです。毎度「ほとんど寝ませんでした」と報告をうけましたが、自宅に帰ったとたんに爆睡しました。自宅に帰って安心して眠ったのではなく、嬉しくて興奮して眠れずに過ごしたけれど、自宅に帰って「イベント」が終わったことを確認して休養モードに入ったという感じでした。

3歳までは、親から片時も離れることができなかった望でした。そんなこと誰も信じてはくれそうにないほど、たくましくなりました。家族という小さな社会に始まって、保育所・小中学校と、地域へと望の社会は徐々に広がっていきました。集団の中でのルールも覚えてきました。分けられることなく排除されることなく、1人の子どもとして、望は同年代の集団の中で、本当に成長してきました。親がいなくても、介護者が誰であろうとも、いえ、「介護者」でなくても、言葉も手足ももたない望は、自分の意志を伝えて、他人の手足を使って要求を満たし、自分のやりたいことを実現していきます。休日のたびに外出をして、買い物や外食、公共交通機関に乗ることも覚えました。「自立」が、身辺自立や、経済的自立でなく、自分の人生を自分で決めて生きていくことだとすれば、望は自立への道を歩んでいると思います。

でも、望の自立は、望自身の力だけでは実現しません。社会の保障がなければなりません。もし1人暮らしを希望したら、衣食住の生活費や24時間体制の介助者が必要です。障害者自立支援法が実施され、「自立支援」が行なわれると思いきや、自立への不安が大きくなりました。重度の障害者は自立しないと思われているのでしょうか。「家族だけが頼り」の暮らしをして育った子どもが18歳になっていきなり自立できるのでしょうか。望の将来の自立は法制度に阻まれてしまいそうです。

また一方で、特別支援教育にも不安を感じています。良い方向に進んでいけばよいのですが、本当に「生きる力」が育つのか、個性のない、大人に都合のいい子どもが作られていくことはないのかと不安がつきまといます。特別支援教育に関する勉強会に何度か行きましたが、たまたま毎回講師がよくなかったのか、疑問をもちました。ある講師は「問題行動を起こす子どもに対して、無視という方法が効果的だ」と受講の教師に話していました。アメとムチのように、「誉め」と「無視」を使って子どもを操り、大人の思い通りに行動する子どもにしてしまうのではないかと怖くなりました。子どもが本来もっている力を育てるどころかつぶしてしまいはしないかと思いました。理論が先にありきではなく、まずひとりの子どもと向き合うことから始まると思うのですが。心を失った技術論が先行していくことは危険だと思っています。

暮らしの中のさまざまなハプニングや、人生の中の寄り道や遠回り、揺らぎや迷いが、人を成長させていくと思います。予期せぬことが起こるから人生は面白いのです。答えが1つではないから、いく通りも道があるから楽しいのだと思います。たくましく成長してきた望の生きる力が、この先、社会によって奪われないことを願います。自立する力があっても自立できない社会であって欲しくないと思います。「障害」が社会によって作られていくことを痛感するこの頃です。誰もが自分の人生を選び取っていくことのできる社会になって欲しいと思います。

ひとこと

国でも地方自治体でも、さまざまな少子化対策が行なわれています。今のままでは日本の社会経済全体に極めて深刻な影響を与え、社会保障の問題が起こるというわけです。そんな中、私は経済優先の見方による、生産性のある人間を増やすような施策が作られていくことを危惧しています。厚生労働大臣の「女性は産む機械」という発言が社会的問題になり、「女性を機械とみなすのか」「子どもを産まない女性は役に立たない機械ないのか」という怒りの声があちこちから上がってきました。「女性を」というより、私は人間を機械や経済にたとえて表現すること自体が問題だと思います。言うまでもなく、人間は機械ではありません。故障したから、あるいは不良だから、役に立たないと廃棄したり、部品交換をしたりすればいいというものではありません。誰もが価値ある「人」なのです。これに限らずさまざまな所で、経済的価値がなければ、低く扱われたり、価値がないとされたりしていることを感じます。「豊かさ」っていったいなんでしょう。

車椅子にコミュニケーションエイドを付けました

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