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のんちゃん 便り

第129号 2007年 7月

職場体験

6月末に中学校で「職場体験」の授業がありました。2年生が数名ずつ(1名の場合もあったかもしれません)、地域の施設、企業、工場や店舗などに2日間行って、仕事の体験をするというものです。望は、友達2人と区の図書館に行ってきました。

書庫での本の整理や、貸出や返却の受付の仕事などを行なってきたようです。一緒に行った友達の話によると、裏方の仕事はつまらなかったのか、本の整理をしている友達の邪魔をしたりしていたようですが、「表舞台」のカウンター業務は楽しかったようで、友達に抱っこされて本の貸し借りの手続きの仕事をしてきたようです。本を借りに来た人が、望がカウンターにいるのを見て、隣に行ってしまったり、ごく普通にやってきたり、いろんな反応だったという報告がありました。子どもはよく見ています。そんな大人達を見てどんなことを思ったのか、また機会があれば聞いてみたいなと思います。

2日間、友達と3人で、大人の介入はほとんどなく仕事をしたようです。仲良しの友達だったので、望のことは良くわかっているし、自然に一緒にやってきたのだろうと推測できます。もっと、図書館の職員の方々が望と関わってほしかったなあというのが、親や教師の思いでしたが、図書館の館長さんは、とても勉強になったとおっしゃったそうです。子ども同士の関係を見ているだけでも学ぶところは多かったのでしょう。望も楽しかったようで、張り切って行っていましたし、職場体験はとりあえず、無事に終了しました。

7月の参観の後の保護者会で、職場体験の様子がビデオで紹介されました。子ども達が、戸惑っていたり、慣れた感じで動いていたり、面白そうだったり、つまらなそうだったり、いろんな職場でさまざまな体験をしていました。子ども達は、仕事をすることの責任の重さや、お金を稼ぐことの大変さ、そして、学校では味わえない達成感などを感じてきたようです。でも、ひねくれ者の私は、わずか2日間で、仕事が理解できるわけでもなし、やりたい仕事が見つかるわけもなし、自分の可能性など見つけられるわけもなし、なんて考えてしまいます。一方、受け入れる側は、2日間とはいえ大変だったと思います。自分の会社員時代を思っても、中学生に何の仕事をしてもらったらいいのか考えも浮かびません。

でも、この2日間はとても貴重な時間だと思うのです。私は職場体験を通して、子ども達が、地域で働くいろんな大人と出会って欲しいと思いました。家庭と学校という狭い世界で暮らしている子ども達が、親や教師以外の大人と出会い、いろんな生き方を見て欲しいと思いました。それが、将来を考え始めるきっかけとなれば、それは副産物かなと。そして、地域で働き暮らす方々が子ども達と出会い、地域で育てるという思いを新たにする場となれば幸いだと思いました。そんな大切な出会いの時間だと思いました。

望が学校から「将来なりたいもの」を書いてくるという宿題を持って帰るたびに、私は困り果てます。望が障害児だからという理由ばかりではありません。まだ社会を知らない望に将来を聞くことは難しいし、自分が中学生の頃に「なりたいもの」がなかったので、正直、どう書けば良いかわからないのです。

中学生の頃、私はなりたいものがある友達をうらやましいと思いながらも、医師や薬剤師になりたいという友達に、家を継ぐために医学部に行くのは大変そうだなとか、薬剤師なんて面白くなさそうなのに、なんて思っていました。自分の学力では無理な話だしと思いながら。また、私などが教師になったら子どもがどんな育ちをするかわからないから、そんな恐ろしいことはできないと思ったり、子どもがかわいいとは思えなかったので保育士も嫌だと思ったり、看護師や福祉関係は大変そうで奉仕的な感じがして、そんな高尚なことはできないなどと思っていました。

高校生になっても何も決まりませんでした。担任に家庭科の成績が良いのだから家政学部に行くのもいいと言われた時、家庭科は将来自分で暮らしていくためにやっているので、それを仕事にはしたくないなどと、これまたエラそうなことを言った記憶があります。父親が製図をするのを横目で見ていて、漠然と建築関係に行きたいと思っていましたが、強い意志があったわけでもありません。生意気なことばかり考えて、それに学力も行動も伴わない生徒で、したくない仕事は列挙できても、したいことは全く見つけられずにいました。ただ、経済的に自立して一人で暮らしていけるような仕事をずっと続けていくこと、なぜかそれだけが揺るぎない思いでした。夢も希望も無く迷える子ども時代でした。

大学4年になってから何となく選んだ就職先で、それがやりたい仕事なのかどうかを考えることもなく、私は懸命に働きました。自分の収入で暮らし、時には旅行にも行き、スキルアップのために転職もし、資格取得もしながら、ひたすら走り続けました。結婚しても子どもができても仕事は続けていくつもりでした。能力のない自分には、継続だけが力だと考えていました。でも、望の誕生によって、仕事を辞めることになりました。

ところが、望と出会って、初めて私は「勉強がしたい」と思いました。そして、職場体験の子ども達の年齢より20年以上も遅れてようやく、自分のやりたい仕事を見つけたのです。望との出会いが私を変えました。若い頃「働いていた私」を振り返ると、与えられたものを必死でこなし、その中からささやかな喜びを見つけ、目標は持てないのに「若いから」「女だから」仕事ができないと言われたくないというプライドだけで頑張り、ストレスを抱えながら必死で働いていた、そんな自分がなんだか愛おしく思えます。

中学生の今、将来が全然見えなくても、いつか自分のやりたいことがきっと見つかると思います。それは仕事に限らず、そして、年齢に関係なく。キーワードは「出会い」です。人生は、後戻りはできないけれど、いつからでもどこからでも始められる、そう思います。望が今、楽しいことや嫌だけど頑張ることをしながら、その時その時、やりたいことを選んでいけば、きっと自分の生きたい道が見つかると思っています。今、「将来の仕事」を書く課題はできないけれど、自分で選び決めた人生を歩むことは揺るぎない目標のように思います。そして、たくさんの出会いをして、支え支えられ、豊かな人生を作っていって欲しいと、親である私は思っています。望はどう思っているのでしょう。

ひとこと

最初に就職をした会社の同期達は、いろんな道を歩き、すっかりおじさんやおばさんになりましたが、25年余り経った今でも集まって騒いでいます。大切な仲間に心から感謝。

(図書館のカウンターで)

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