のんちゃん 便り
第134号 2008年5月
命を選ぶこと
望の家庭科の授業で、「誕生のエピソード」や「自分の幼いときの話」を書いてくるという宿題が出て、どんなことを学習しているのだろうと教科書を開いてみました。自宅では体力回復のための休養が最優先ということもあり、宿題がない限りは教科書を開くことはあまりありません。「わたしたちの成長と家族・地域」という内容を学習していて、「生命の誕生」といったプリントが配布されていました。プリントには、「妊娠から出産」、「人工妊娠中絶」、「出生前診断」という言葉が並び、思わず読み込んでしまいました。出生前診断の項目の最後に、「“命を選ぶこと”についてあなたはどう思いますか?」と書かれていました。中学3年生でとても難しいことを教えているんだなあ、と思いました。「命を選ぶこと」をすれば、今ここに居るクラスメイトの「望」の存在を否定することにつながってしまうと、子どもたちは理解できるでしょうか。さてさて、どんな授業が展開されるのか、ちょっと楽しみでもあります。
専門学校や大学の授業で、学生さん達に必ずといっていいほど尋ねることがあります。「貴女(もしくは、貴方のパートナー)が、妊娠をして産科に行くと、医師に『胎児の状態がわかる検査があり、子どもに障害があるかどうかがわかるが、受けるかどうか、次回の診察までに考えてきてください』と言われた。「あなた」はどうするか?」学生達は悩みます。中には、その検査は母体に悪影響はあるのかと質問する学生もいます。母体や胎児を傷つける可能性のある検査なら受けないが、危険を伴わない検査なら受けるということのようです。羊水検査は流産になる危険性があり、トリプルマーカー検査は採血だけなのでほとんど危険はありません。でも、トリプルマーカー検査で、障害がある可能性が何パーセントなどと言われた時、どう判断するのか、ますます悩むところです。おまけに、その背後には製薬会社の営利という経済優先の策略が隠れています。本当は、出生前検査のことだけで1時間の授業が十分にできるほど課題は大きいのです。検査の是非を議論するために出している「問い」ではないので、検査の内容説明はしません。まさに「命を選ぶこと」について考え、福祉が自分の足元につながっていることに気づき、自分自身の価値観と向き合ってもらうための問いです。
「障害児を育てる自信はないので、検査を受ける」「心の準備をするために検査を受ける」という回答。「障害があろうとなかろうと生むので、検査は受けません」という回答。中には「障害児とわかっていて産むのは親のエゴであって、子どもがかわいそうだ」という回答も。興味深いことに、学生達の答えは、学校や専攻によって傾向が異なります。検査を受ける、受けない、どちらを選んでも課題はあるのです。「障害児を育てる自信」をもって出産をする親がいるのでしょうか?「胎児に異常がある」と言われた時、本当に「心の準備」ができるものでしょうか?また、若い夫婦が「検査を受けずに生む」ことを決めた場合、今の日本で、その両親や親戚が黙っているでしょうか?
正解はありません。ただ、解答してもらった後で、胎児に障害があるという理由で中絶することは、法律では許されてはいないことは伝えます。障害をもって生まれることは不幸なことでしょうか?障害をもたずに生まれることが幸せなことでしょうか?
私は妊娠8か月の時に「胎児の異常」を知らされました。「生まれても育たない子ども」だと言われました。でも、望は、14年という年月を確かに生きてきました。望は「不幸な」子どもでしょうか?幸せかどうかは本人が感じることです。障害があるなしに関係ありません。望は生きる喜びに満ちているようです。そして、望を産むまで「障害をもつ人と出会うことなく生きてきた私」に、障害児を育てる自信などはなく、事前に知ったからといって心の準備ができたわけでもありません。今、「望に多くを教えられてきた私」は、望が生きてここに居ることに感謝しています。出産の「選択」を迫られなかったことを幸いだったと思っています。「選択」することなど、あの時の私にはできなかった、きっと。今の生活など想像もつかなかったから。
私が望を受け容れたのは、「親なのだから育てなければならない」とか「障害を理由に子どもを差別してはならない」などと頭で考えたからではありません。初めて腕に抱いた望の柔らかくて温かな身体が、私に「いのち」を感じさせたからです。まっすぐに私に向けられる真っ黒な瞳に、恋するように魅せられたからです。愛おしかった、本当に、涙が出そうなほど。私は心と身体で、「いのち」を受け容れたのです。そして、望と名づけました。「あなたは望まれて生まれてきた」のだと伝えたくて。私は「障害児」を産んだのではなく、「望」という「私の子ども」を産んだ。たまたまその子が障害をもっていた。ただそれだけのこと。私から生まれてきた娘は、私のモノではなく、ひとりの人として「自分らしく生きる」自分自身の人生を自分で決めて、私から巣立っていく。親である私はそれを見守っていくことしかできません。自分ひとりでできないことはたくさんあっても、たくさんの人と繋がり、支え支えられ、周りを巻き込んで、したたかにしなやかに自分の人生を生きて欲しいと願っています。
望が生まれてきてくれたことに、今、改めて「ありがとう!」。
読売新聞「育ちささえる」 5/20朝刊から
地方出身で、近所に親せきも友人もいなかった私は14年前、障害をもつ娘を出産し仕事を辞めたことで、会社という唯一の社会とのつながりが切れて、孤立しました。夫は深夜帰宅の会社員。娘と二人の散歩や通院の日々。大きな孤独感に襲われました。
娘が2歳の時、地元の社会福祉協議会を通じ、近隣のボランティアの方々と出会いました。「助けてくれる人が近くにいる」。安心感の中で、子育てができるようになりました。
3歳になったころ、子どもたちの中で育ってほしいと考えました。「重度障害児」とされる娘を受け入れてくれるだろうか、という不安と、自分が楽をしようとしているのではないか、という後ろめたさを抱えながら、近くの公立保育所を訪ねました。
「子どもは小さなうちの方が、障害にとらわれないで娘さん自身を見てくれると思いますよ」「娘さんを預けることで、親子がいい状態で向き合えるようになれば、それは娘さんにとってもいいこと」「これからは一緒にがんばろうね」。所長さんの言葉で、地域への一歩を踏み出すことができました。
「ひとりぼっちじゃない」と感じると心が温かくなります。人は人とつながることで元気になります。それは障害児を育てる家庭に限ったことではありません。自らの体験から、孤立させない地域づくりの大切さを痛感し、2003年秋、子育てサークルなど12団体で、地域に子育てネットワークを立ち上げました。 (向井裕子)
ひとこと
5月中旬、望は修学旅行に行ってきました。
修学旅行の報告は次号で。お楽しみに。