見出しへ戻る

のんちゃん 便り

152  2010年 11月

17歳

10月に望は17歳になりました。高校2年生、青春まっただ中です。おしゃれもしたい、異性も気になる、そんな年頃になりました。誕生日がくるたびに、生まれた時のことを思い出します。あの時、誰が、こんなにイキイキと暮らす17歳の望を想い描いたでしょう? 「舞台」にたつ望など想像できなかったでしょう。ジュネーブまで行って、国連デビューするなんて思いもしなかったでしょう。望が生きていることに感謝!!

誕生日は、例年通りケーキにロウソクをたててお祝いしましたが、いつのまにか並べるのが大変な17本になり、今年は、「1」と「7」という形のロウソクにしました。17歳とわかっているかな~。実は、私は、初めて望の誕生日ケーキを買いました。小さな花束を添えて。毎年、誕生ケーキを持ってきてくださるボランティアの方々からは、今年はケーキでなくてパーカーをいただきました。優しいベージュ色で、胸に望の大好きなキラキラピンクのハート模様がついて、フード裏がおしゃれなチェックです。いつも望の服のリフォームをしてくださる方もいらっしゃるので、袖も短く直してくださいました。急に寒くなってきたので、早速、着ています。とても気に入っているようです。

誕生日の翌日、眼科の定期通院の後で、お誕生日ランチをして、プレゼントを買いに行きました。カバンのファスナーが壊れていたので、お店を何件か、あれこれと見て回りました。私は望の椅子と同じピンクのカバンを勧めたのですが、望が選んだのは、紺色のカバンでした。その店の店員さんが、一番優しくてイケ面でしたから、それで選んだのかな()。それから、ピンク色のウォークマンもプレゼント。友達やヘルパーさんがイヤホンをして音楽を聴いているのが羨ましくて、とても気にしていましたから、「自分の」を持つことができて大喜びです。移動中のバスや電車の中で聞いています。どんな曲が入っているか、私は知りません。若いヘルパーさんと一緒にCDをレンタルしてきて入れていました。嵐とか、いきものががりとか、だそうです。いつか、自分で操作して、好きな曲を選んで聞けるようになればいいなあと思います。

望の今の生活は、朝はゆっくり起きて、昼間はあちこちに出かけて行き、夕方、高校に登校しています。福祉作業所に行く日もあれば、大学の研究会に行く日もあり、劇団態変の金満里身体芸術研究所に行ったり、ショッピングセンターをウロウロしたり、時には、カラオケに行ったり、料理教室の体験コースに参加したりと、じっとしていません。2倍生きている感じです。定時制高校ですから、仕事して登校する生徒もいるので、特別なことではないのですが、学校という世界しか知らなかった17歳の私を振り返れば、「すごい!」と思ってしまいます。親バカです。

学校から、少し世界が広がって、いろんな人とかかわったり、いろんな場所に行ったりして、体験を広げています。いろんなことの理解が進んでいると感じます。よく観察していて「こんなことを覚えてたの~」と、驚かされることもあります。一方、いろんな思いを伝えたい気持ちが成長とともに強くなってきました。でも、言葉の理解が難しいのと構音(発音)がきちんとできなくて相手が聞き取れないので、言葉でのコミュニケーションは難しいです。要求が伝わらず、イライラして怒ることが増えました。言葉を真似ようとすることが増え、言葉への関心が高くなったと感じます。望が言語療法を受けている病院では、希望者が多くて何年かに1クール(12回程度)しか順番が回ってきません。具体的に思いを伝える術や言葉の勉強ができればと思うのですが、言語療法は小さな子どもに限定されているところが多く、必要な時期に希望する訓練を受ける環境がありません。言語を習得する年齢があるという専門家もいますが、望を見ていると、子どもそれぞれに知識を吸収する時期、発達する時期があるように思います。今が望の「したい時」だと感じています。言語療法士の養成校の授業に潜り込もうかと思ったりしていますが、何かいい方法はないものでしょうか。

17歳になっても望は、「重度」といわれる障害児です。自分1人ではできないことがたくさんあります。けれど、さまざまな人との関わりや体験を重ね、社会で生きていく力をつけてきました。「自立」への道を歩き出していると感じています。保育所で、親から離れて友達と過ごし始め、小中学校で、大勢の友達と育ちあい、成長してきました。中学卒業の時、先生は、「この子は、きっとどこに行ってもやっていける」と送り出してくださったと思いました。でも、高校では保護者が待機しなければ学校生活が送れない事態が起こりました。望が親から離れて学校生活を送ることができないのは、望に力がないのではなく、周りの力が足りないからです。「『障害』は、人とその人の周りの環境との関係の中に存在する」のです。本人だけが力をつけても、周りが力をつけ変わらなければ、どうしようもありません。そして、障害児が、人とのかかわりの中で自立する力を育てていくように、周囲の人達も障害当事者とかかわらなければ関係性を作っていく力をつけることはできないし、変わってもいかないと思います。

そしてまた、「できる・できない」で人を評価すると、「能力」にとらわれて、「いのち」に向き合うことが難しくなるように思います。「ここに居る」という、「存在」自体が尊いことなのに、「生きている」こと自体がかけがえのないことなのに。それを大人が伝えられないから、自尊感情をもてない子どもが増えているのかもしれません。望との暮らしから、私は「いのち」のこと、「生きる」ことについて深く考えさせられてきました。障害当事者の方々から、人生を自分で選びとっていくこと、それが自立なのだと教えられました。そして、私は、自分の存在意義を見失ったとき、ありのままの自分を肯定的に受けいれ、自分が大切な存在だと思えることが必要だと、「私はワタシ」と胸を張って生きる望の姿から教えられました。

ひとこと

 「のんちゃん便りが出ないけど、生きてる~?」と友人からメール。ごめんなさい!元気です。考えることや、望に気づかされることはたくさんですが、忙しい毎日に、なかなか「ワタシ」の想いが綴れないでいます。

大学の講義室で、ヘルパーさんと授業前の準備 そして、大学でゲストスピーカー初体験
(ジュネーブ報告です)


151号 見出しへ戻る 153号