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のんちゃん 便り

155  2011年 9月

韓国ソウルへ

昨年5月にジュネーブへ行った望の、2回目の「海外」はソウル。8月31日から9月8日まで8泊の旅をしてきました。ジュネーブには「国連・子どもの権利委員会」でロビー活動をするために行きましたが、今回も観光ではありません。ソウルでの劇団態変の公演に出演するために渡韓しました。

望が、初めて劇団態変の舞台に出たのは、2000年3月、小学校入学前の6歳の時。最年少エキストラでした。公演「壺中一萬年祭」に2年連続で参加した後はしばらくお休みをしていましたが、中学に入学してまた、エキストラとして舞台に上がるようになりました。初舞台から11年以上が過ぎました。

「態変」主宰の金満里さんから韓国公演の話をいただいた時、私は、内心、迷いました。公演は「ファン・ウンド潜伏期」で、歴史的な部分では韓国の観客に理解されても、態変の身体表現がどこまで芸術として受けとめられるのかが不安でした。台詞のない態変の表現は、どこの国に行っても通用するとは思いますが、その国(地域)の「障害」に対する考え方によって、観客の受けとめ方が変わると思います。ただ、今回は、3月の韓国公演後、オファーがあっての再演です。エキストラである望を連れて行こうとする金満里さんに何か思惑があるのかもしれません。チャレンジしてみようと決めました。

出演をしたのは日本の役者(日本からのエキストラは望一人)、韓国のエキストラ、韓国の伝統芸能の舞踏家や歌い手です。裏方は、日本の黒子、韓国の黒子、日本の舞台監督と美術、韓国の照明。それに、韓国の演奏家たちの生の音楽が加わり、南山国楽堂という立派なホールで公演が行われました。稽古が3日間、本番が2日間のスケジュールで、ゲネプロ(本番に近い形でのリハーサル)無しで公演をやると聞いた時は、不安いっぱいでした。態変の舞台は、役者だけでなく、黒子や照明など、全てが流れの中で合わさって完成度の高いものになるのに、ぶっつけ本番でそれをやるのは不可能だと思いました。身体障害をもつ役者がどう動くか予測つかない演技のように見えますが、秒単位センチ単位で演出が行われており、役者を取り巻く様々な人たちとの連携がうまくいかなければ、舞台は完成しません。案の定、初日は、黒子の動きや照明にヒヤヒヤし、何度か私は頭を抱えました。2日間の公演なので、2日目が楽日。初日がリハーサル代わりになったのか、楽日は完成度の高い、いつもの態変の舞台になりました。役者やエキストラたちは2日とも素晴らしい演技でした。もちろん、エキストラの望もいい演技をしました。日本で態変の舞台を見てきた私にすれば、観客は同じ料金を払っているのですから、初日から完成度の高いものでなければと思いますが、韓国では、少し考え方が違うようです。初めて態変の舞台に出会った観客には、私の思う完成度などは関係ないのかもしれません。芸術音痴の私ですが、観客の拍手や反応、楽日の観客の多さから大きな反響を感じました。

しかし何より、この旅で、多くの出会いをし、多くのことを感じ考えました。それを書きとめておきたいと思います。

韓国ではこの10年程の間に急速に、障害者の自立支援が進み、障害者差別禁止法もできたと聞いています。しかし、街も社会()の価値観も簡単に変るものではありません。地下鉄は、車いす対応の施設と表示されていながら、エレベータではなく昇降機が設置されている駅が多いように感じました。また、歩道と車道の段差が大きく、歩道は傾斜のきついところが多く、入り口に段のある店も多く、街中にバリアが多くありました。行きかう人々の視線も多く感じました。韓国社会の障害者に対する考え方は、大きくは変わっていないのかもしれません。

この国で抑圧されてきた障害者たちが、舞台に上がるのです。レオタードで「どうだ!」とばかりに身体を見せるのですから、エキストラは自分の身体を恥ずかしいと思っていてはできません。そして、自分であげた幕は自分でおろすことが求められます。これは、初めて望が舞台にたつ時に金満里さんに言われたことです。舞台上で動けなくなって黒子に助けてもらうようでは演技になりません。韓国の障害者達の怒りのエネルギーがオーディションへと動かし、脱落する人なく舞台に立ち、その気迫ある演技につながっていったように思いました。

今回、日本から行った黒子は5名で、あとは韓国の黒子でした。彼らは、ハジャ作業場学校(いわば、フリースクール)の生徒たちです。高校生の望とほぼ同じ年齢の青年達です。韓国の高等学校教育の制度に疑問を持ち、あえて、制度から飛び出して学校選択をした子たちです。望は、学力選抜という壁によって高校教育の制度から排除されている子どもの一人です。その制度の中に入り込み、高校生活を送っています。ハジャの生徒達と望は相対するように思われますが、制度の壁を破り、自分の人生を懸命に模索しているということでは同じです。彼らは、疑問に感じたことは積極的に発言をします。稽古の時、幕裏で日本の黒子が望を抱っこしたままでいた時、「望を床におろして、幕の操作をしなければならないのに…」と発言した生徒がいました。彼は「望を特別扱いするな」と言いたかったのかもしれません。ベテランの黒子は、稽古場の狭い幕裏で、韓国のエキストラや黒子が、小さな望を踏みつけてはならないと危機回避をしていたのです。望の幕裏内での待機場所を決めて、エキストラや黒子に踏まないようにと事前に注意をしておけばよかったのですが、まだ、そこまで手が回らない状況での出来事でした。私は、その若者が素敵だと思いました。観客や出演者の中には、望を特別扱いや子ども扱いをする人もいたように感じられましたが、韓国の黒子たちからはそのような印象は受けませんでした。小さかろうが大きかろうが、障害が重度だろうが軽度であろうが、役者は役者だと。自分の人生を自分自身で選びとろうと、様々なことを豊かな感性で感じ考え、貪欲に自分の中に取り込んでいこうとする若者たちに、私は共感し、彼らをいとおしく思いました。

言葉のない望は、どこに行っても積極的に人と関わっていきます。最終日、打ち上げがあり、韓国のエキストラや黒子など、関係者の方々と一緒にご飯を食べました。望は、いろんな人に抱っこされて席を回っていました。韓国のエキストラ達や黒子やスタッフたちに、望はどう映ったのでしょう。手足のない身体を「普通で当たり前に感じられるようになっている。丸くて歪んだ胴は、白く滑らかで、何ともいえぬ曲線を描き、時々美しいと感じる」(「障害をもつ子を産むということ」中央法規1999)という私の思いは、韓国の黒子たちには理解できるように感じました。


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