見出しへ戻る

のんちゃん 便り

第34号 1998年 11月     文:向井 裕子

ハッピーバースデー

望は、毎日楽しそうに保育所に通っています。この頃では、部屋の中ではおままごと、外ではドッチボールをよくしているようです。おままごとでは、三角巾をかぶるのが気に入っているようで、ままごとのコーナーに行くと三角巾の入っている引き出しを指して、保母さんに三角巾出してと欲求するようです。3歳の頃は、布を被せられたりすると助けてーと悲鳴をあげていた望が、お友達に「きれいにしてあげる」と布を被されたり巻かれたりしてもじっとされるままになっているのです。お友達に三角巾を被せてもらい、みんなとおそろいの格好で遊んでいるようです。おいしいお料理をもぐもぐ食べているようです。病院ごっこでは、病人役のNちゃんと望が寝ていた時、何かをしゃべろうとした望は、お友達に「だめだめ、病人は静かに寝てて。」と言われ、Nちゃんの横で神妙にしていたようです。子ども達は、望を加えても、うまくごっこ遊びをしているようで、子どもの力のすばらしさを改めて感じています。

ドッヂボールでは、保母さんに抱っこされたり、時にはバギーに乗って参加しています。これには私も驚きました。無理矢理させられているのではないのです。降ってくるものが大の苦手な望が、顔を引きつらせつつも嫌がらずみんなとドッヂボールをしているのです。保母さんが、「下の方(バギーの部分)だけよ、顔はだめよ。」とお友達に注意してくれていますが、さほど広くもないコートをボールが行き交うのですから、なかなかスリルがあります。ゲームの最初の頃は、お友達も望に当てるのはフェアーじゃないと思うのか、他の子を狙っていますが、残り3、4人になると気持ちもエスカレートしてきて、望の所にもボールが飛んできます。保母さんにバギーを押してもらい逃げていましたが、最近では友達がバギーを押していることもあります。でも、バギーを押して逃げるのは難しくて、逃げているのか望を盾にしているのかわからないといったふうですが、望はしっかり参加しているつもりです。ほんとにおてんばになりました。

欲を言えば、後、「話す聞く」ができたら良いのですが、こればかりはなかなかです。春頃にお風呂でいつものように「ひとーつ、ふたーつ、…ここのつ」と数えたときに、望が「とお」と言ったことがありました。その日何度か「とお」と言ってくれ、私は大喜びで、翌日担任の保母さんに話すと保母さんも昼間何度か「ひとつ、ふたつ…」とやって、望が「とお」と言ったと大喜びをされましたが、それっきりでした。その翌日からは、二度と言わなくなりました。お風呂で「ひとーつ、ふたーつ…ここのつ」とやっても「とお」のところで横を向いて『早くあがろ』と手を振ります。「せんせい」とか「ちゃーちゃん」とか言葉に近づいているという説(?)もありますが、過小評価をしていると療育センターの保母さんに言われている私としては疑問なのです。これからもあせらず望のペースでコミュニケーションをはかっていこうと思います。

10月14日、望は5歳になりました。早いものです。ちょっと頼りない5歳ですが、望は5年という月日を他の子ども達と変わらぬ月日を、望なりに生きてきました。保育所では、他の10月生まれのお友だちと一緒に誕生会で祝ってもらいました。誕生日には、保母さんやお友達に「ハッピーバースデー望ちゃん♪」と歌ってもらいました。バースデーカードも届きました。ひとつは、「全国重症心身障害児者を守る会」からでした。花模様のいろがみが貼られた美しいものでした。(私達は、望の将来の生活や私達の介護の改善を願い、全国重症心身障害児者を守る会の「大阪重症心身障害児者を支える会」に入っています。)Eメールも届きました。見知らぬ人からのものでした。偶然見つけた望のホームページを読んでいくうちに今日が望の誕生日と知り、早速おめでとうのメールをしたというものでした。本当に偶然が重なっての、うれしいお祝いでした。誕生ケーキもいただきました。誕生日の夜は、夫はいつもより早く帰って、望には少し遅い夕食にして、家族でケーキにろうそくを灯してお祝いしました。望はおもちゃの扇風機につないだスイッチを押してろうそくの火を消しました。(写真) ハッピーなことがたくさんのバースデーでした。

楽しい誕生日を過ごしながら、私は5年前を思い出しました。あの日、帝王切開で望を出産した私は、望の猫のようなか細い泣き声と麻酔科の医師の「産まれましたよ。」という言葉に望が無事に産まれたことへの喜びで胸がいっぱいになり嗚咽しました。その直後に麻酔により私は意識がなくなったのですが、とにかく無事に産まれてきてくれたことが、私にとってはハッピーなことでした。でも、そう思ったのは、私だけ。夫も親達も不幸の真っ只中でした。あの日、世界中の不幸を背負い込んだような思いでいた夫も、今では、人一倍の親ばかをやっています。産まれてきた望を「おめでとう」と迎えてやることができなかったけれど、望はたくさんの人にお誕生日を祝ってもらえるようになりました。生まれてきたことにおめでとうを言ってもらえるようになりました。

子どもが親を選ぶことができないように、そして、親が子どもを選ぶことはできないように、親子の対面の仕方も私達には選ぶことができません。それは、産婦人科や小児科の医師の力によるものです。障害児の出産の場合、タイミングや周りの状態でその対面が、ハッピーなものであるか、アンハッピーなものであるかが決まることが多々あります。もちろん、医師には、その対面の場面についての勉強をしていただきたいとは思いますが、その対面が不幸にして良くないものであっても、親がそれから先、どのように子どもと共に育っていくことができるかが問題なのだと、この5年間多くの親子を見ていて思うようになりました。確かにその対面は非常に重要なものではあるけれど、それは必ずしも親の責任ではなく、大切なのは、その後いかに愛情を持って子どもを育てていくかなのだと思います。障害児は、立派な親を選んでやってくるわけではなく、誰の所にでも産まれる可能性があるわけですから、どんな状況でもスムーズに受け入れられることなどなかなかできるものではありません。私の場合は、待ち望んだ子が産まれ生きていくことができないと妊娠中に医師に言われ続けたために、結果として、障害は持っていても産まれ生きていることが幸運だと思え、たまたま対面のときから望をいとおしいと思うことができただけなのです。夫を誉めるわけではないのですが、子どもの出生時には情けなく弱かった親が、子の成長と共に強くたくましくなっていく様は、本当にすごいと思います。子どもの発する力が、親の中に潜んでいた力を引き出しているかのようです。

5年間、私達夫婦を育ててくれた望の力は、私達の知らない所で、他の誰かにもその力を分けたり励ましたりしているのかもしれないと、私達は、この頃感じ始めています。

望、5歳。身長49.5cm。体重8.4kg。

ハッピー・バースデー。

33号 見出しへ戻る 35号