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のんちゃん 便り

第41号 1999年 6月     文:向井 裕子

シンクロ デビュー

5月9日に京都市障害者スポーツセンターで、障害者シンクロナイズドスイミング・フェスティバルが開かれました。望と私も参加してきました。「えっ、参加って、出場したの?」「いつからシンクロなんてやってたの?」と驚かれたと思います。私自身、「えーっ」と言いながら出たのです。「望ちゃん、この春も体調悪かったんじゃないの?」とも言われそうです。そうです。望を連れての水中での練習は、なんと1回だけでした。

事の起こりは、3月の上旬。以前、療育センターで同じクラスだったお母さんと電話で話をした時に「望ちゃんと一緒にシンクロやらない」と誘われました。子どもを抱っこしてプールで遊ぶだけと聞いて、楽しそうだとは思いましたが、ちょっと恥ずかしいなあとためらいました。一度見においでと言われ、見に行くことにしたのですが、その日はあいにく用事ができて行くことができませんでした。すると、3月中旬、M先生から電話がありました。M先生は、望の通っている療育センターと同じ建物で主に大人の訓練を担当していらっしゃる理学療法士で、あまり話をしたことはありませんでした。「5月9日に京都でシンクロの大会があります。昨年は5組の親子のチームで出たのですが、今年は10組で出場したいと思っているので参加してください」とのことでした。「大会に出るなんてとんでもない。私は人前で水着になる勇気なんてないよ」と思い、断ろうとすると、「望ちゃんは、プールに入ってはいけないのでしょうか」とM先生。「いえ、望はいいんですが、私が水着になるのがちょっと…」と言いかけると、「それなら大丈夫!27日に練習がありますから来てください」と、なんと強引なお誘い。「ちっとも『大丈夫』じゃない!この身体で水着を着たくない」と電話の後で悔やんでも、「NO」と言えない私、押しきられ引き受けてしまいました。

3月27日は望が体調を崩し行くことができませんでした。4月3日、初めて練習に行きました。メンバーは療育センターで顔を合わせたことのある人ばかりでした。まず、陸上で音楽に合わせ、手を振ったり、一列になったり輪になったりと振りつけを教えてもらいました。音楽は、メンバーのYちゃんの好きなアンパンマンの曲でした。望は、楽しそうに「ウフフ」と笑いながらお母さんたちの動きをじっと見ていました。それから着替えてプールに入り、望を抱っこして実際に踊りました。踊るといっても、テレビで見るように浮かんだり足を上げたり潜ったり、いや一箇所だけ潜るところがありますが、水中で回転したりするわけではありません。ほとんどが子どもを抱っこしたまま移動するだけです。皆で輪になった時に一瞬ザブンと水中に潜るので、望は輪になるとイヤーと体をそらしていました。水しぶきが苦手な望も、輪になるところ以外は音楽に合わせて楽しそうでした。

先月号で書いたように、4月中旬から望は体調を崩してしまったので、その後、水に入ることができないまま、陸上で2回練習しただけで本番を迎えることになりました。本番だけは体調を崩してパスなんてできないと、GWは、夫が仕事で忙しかったこともあって、ひたすら望と私の体調を整えるためにのんびりと過ごしました。当日、京都に行く電車の中で、私達のチームは「今日の大会って、全国大会?」「順位はないみたいだし、フェスティバルだから参加することに意義があるんだから、楽しくやればいいよね」「会場って、D駅からタクシーですぐって聞いたけど、なんていう所?」とお気楽な会話をしていました。私も、当日会場でプログラムをもらって初めて自分達のチームの名前を知った程です。じっとしていない子ども達の相手もせねばならず、誰も緊張している様子はありません。障害児の親って、やっぱりたくましくなっていくようです。

私達のチームが、全員揃って練習をしたのは、当日の演技の前でした。一番しっかり練習をしたのもこの時でした。プールでは演技が行われていますから、もちろん水中で練習なんてできません。プレイルームのような所を占領して、テープをかけて練習開始。ところが、全員揃ったことがないために、ここはこうだとか、そんなこと聞いてないとか皆の振りが一致していません。その上、ここはこうしたほうがいいよ、なんて変更まで入れる人もあって、もう頭はパニック状態でした。踊りが完成したのは本番直前でした。さあ、水着に着替えて準備です。望は、水泳帽を被るのを嫌がりましたが「Aちゃんも被ってるよ」と見せると、自分から素直に被りました。

いよいよ本番。振りを間違えないようにとそのことで頭は一杯。プールサイドを歩いて入場する時は、穴があったら入りたくて、縮こまってぬき足さし足で歩いてしまいました。さっそうと歩けば良かったと後悔しました。プールに入って曲が始まると緊張して、あっという間に終わってしまいました。望が楽しくやっていたのかを見る余裕もありませんでした。踊りの一番最後のポーズは、子どもを両手で高々と持ち上げるというものでした。子ども達は空中で観客の方に差し出されるような格好になります。この振りは、当日の練習でお母さん同士の案で決まったものでした。1人のお母さんがこの案を言い出した時、誰一人反対もせず、私に気兼ねすることもありませんでした。皆、望が「五体不満足」ということを全く意識していませんでした。私はそのことがうれしく、心地よかったです。踊りの最後のポーズで望を持ち上げた時、私は、またひとつ、「世間の視線」という障害を乗り越えたように思いました。踊りが終わったらなぜか涙があふれそうになりました。

今月末から、月2回のペースでシンクロの練習が始まります。大会に出ることが決まってからも「望を育てるのに体力がいるから、身体が資本だからダイエットなんてできないわ」とマイペースの私でしたが、「もうじきに40歳になるんだもの、誰が見るわけではなし、誰に見せるわけでもなし」と、ついに開き直ってしまいました。音楽の好きな望と一緒に、音楽に合わせての水遊びを楽しもうと思っています。

ひとこと

気温の変化についていけなかったのか、5月中旬から、望は、また体調を崩しました。18日の遠足は、我が家から徒歩5分程の緑地公園だったため、参加はさせてもらいましたが、お弁当後に迎えに行きました。

下旬にも風邪をひきました。今月号も保育所を休んでいる望の横で書いています。

 

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