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のんちゃん 便り

第40号 1999年 5月     文:向井 裕子

急性気管支炎

3月26日金曜日にもどす風邪をひいた望でしたが、回復は速く翌週の30日火曜日からは保育所に通い始めました。望は、初めて本格的な(?)もどす風邪をひきました。薬を出してもらいましたが、1回目は薬を飲んだとたんにもどし、2回目は薬を見ただけでもどす始末。望は味覚が敏感で薬は大嫌いです。このまま薬を飲むことができず、もどしつづけて脱水状態にでもなったらと私はひやひやしました。点滴の確保が難しいからです。幸い薬を飲まないでも回復してくれました。

そして、無事に新年度を迎えることができました。年長さんになって担任の保母さんにも変更があったからか、進級式の日は、11時半に導尿に行くと望はこわばった顔をしていました。でも、お友達はほとんど同じですからすぐにいつもの望になり、早速新しい保母さんにわがままを言っているようでした。

昨年度は、4月上旬から体調を崩して中旬には一週間以上も保育所を休みましたので、今年度はなんとかうまくスタートできたとホッとしたのも束の間、4月中旬頃から鼻と咳が出始めて、15日の午後、いきなり熱を出しました。翌日、熱は治まってきましたが、毎年、きまって4月に気管支炎をやって長引く望ですから、念のために病院に連れて行きました。やはり、急性気管支炎でした。今回は、熱があまり出ませんでしたが、耳から血を採って検査をすると、CRPという炎症反応の値と白血球の数がかなり増えており、主治医からしばらく安静にするようにと言われ、薬が出ました。

出された薬がうまく飲めない可能性があることや薬が効かないことも考えて、翌日も受診することになりました。案の定、薬を飲むともどしてしまいました。熱が下がっていたこともあり、翌日は、望が飲み慣れている抗生剤が出ました。ところがこれが弱かったのか効かなかったのです。19日の診察でもCRPの値は変わりませんでした。また違う薬が出て、翌日も病院に行くことになりました。今度の薬はなんとか飲んでくれました。CRPの値が下がり始めました。望は、病院に行かなくてはならないと思っているのか、病院に行くと耳から血を採られて痛い思いをしたり、嫌な薬を出されたりするのに、行くのを嫌がりませんでした。それどころか、検査室に入る前には私にいやいやと首を振って見せて嫌なそぶりをするのに、検査室に入ると私が「お願いします」と言うからか、望は検査員に頭を下げ、耳から血を採られて痛い思いをした後にも、泣きながらも頭をぺこっと下げるのです。これも私が「ありがとうございました」と言っていたからかもしれません。検査室を出た後は少しの間、私の胸に顔を埋めています。この望の一連の仕草がなんともけなげでいとおしく思われました。

熱はなかったのですが、やはりどことなく元気がなかった望でした。いつものように私に『外に行こう』と言うのですが、「今日はお家でお母さんと遊ぼう」と言って「これしようか、あれしようか」と聞くと素直に遊び始めました。いつもなら『ちがう!そとー』と訴える望なのです。私の方も、年々、望との暮らしに慣れてきて、あせっても仕方がないから、こういう時こそじっくりと望と向き合って遊んでやろうと思うことができました。望が保育所に行き始めてから、私は、望としっかりと向かい合って遊んでやることがほとんどなくなっていました。平日は、帰宅すると夕食、風呂、就寝と、あっという間で、寝る前に絵本を読んだりする程度です。休日は、外出が好きな望に引っ張られて出かけることが多いので、家で向かい合って遊ぶことが少なくなっていたのです。改めて反省し、この機会に望とゆっくり一緒に過ごしました。

21日は、年長さんのクラスだけでの遠足でした。残念ながら、望は参加することができませんでした。22日は、給食まで保育所に行きました。23日からようやく平常の通所となりました。22日には、やっと保育所に行くことができて、望はとてもうれしかったようでした。保育所に行く道で、何度もバギーの上から私を振り返り、右手で前を指しては保育所に行くことを私に確認していました。保育所の連絡帳には『久しぶりの登所で、もううれしくてずっとハイテンションののんちゃん。ふざけっこをして「ククク…」と声をたてて笑ったり、縄跳びをしても笑いが止まらず、給食の時も前・横に友達がいるだけでまた笑いが…。「のんちゃん、今の笑いはなんや」とNくんに突っ込まれみんなで爆笑でした。』とあり、うれしくてしかたがない望の様子が伝わってきました。本当に保育所大好きの望です。

ようやく元気になった望ですが、4月末から、また鼻が出たり声がかすれたりしています。まだまだ安心のできない春です。

ひとこと

 療育センターの大浦所長が退職なさいました。望は、卒園をしてからは、大浦先生の診察を受けることはありませんでした。たまたま私が療育センターの看護婦さんに大浦先生の診察を受けたいのですがと聞くと、退職なさるので来週で診察は終わりと言われ、その時点で一番最後の診察に予約を入れてもらうことができました。望が卒園して2年。診察を申し込んだのは、本当に偶然のことでした。そして、幸運でした。保育所への入所を決める時「お母さんの思ったようにしたら良いのですよ」とおっしゃってくださった大浦先生です。診察というよりお礼とご挨拶にと思い望と行きました。私が、望がお茶の事を「チャ」、牛乳のことを「ンーンー」と言うようになったことを報告すると、「そうですか、言葉が出るようになりましたか」と喜んでくださいました。厳しくて温かい先生です。ご高齢ですから、くれぐれもお体を大切になさってください。ありがとうございました。

 望の看病疲れのせいか、あるいは、この2ヶ月ほど夫が仕事が忙しくて休みは無しで帰宅は夜中という日々が続いている影響か、ついに私もダウンしてしまいました。熱は1日で下がったものの、胸がヒューヒューといい続け頭痛もして、結局、病院に行きました。しんどくても、私1人で食事を準備し望に食べさせて風呂に入れるという日々を繰り返し、薬を飲んでもなかなかよくなりませんでした。知人が「家庭崩壊しないように」と冗談交じりに言いましたが、冗談でなくなりそうな状態でした。核家族で障害児を抱え、夫は企業戦士状態で、まさに現代の弱い家族の問題が浮き彫りにされています。障害児がいることで家族の絆が強くなるといった「心」以前の問題です。社会の支援のあり方と日本企業のあり方が変わって欲しいと切に願っています。

ボーイフレンドを紹介します?!ウフフ(望)

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