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のんちゃん 便り

第39号 1999年 4月     文:向井 裕子

新しい歯

3月4日、保育所に望を迎えに行くと、保母さんが「今日、ドッチで望ちゃんの顔にボールがあたってしまって、望ちゃんを泣かせてしまったんです。すみません。」とおっしゃいました。そして、申し訳なさそうに「多分、頬にあたったと思うんですが、上の前歯が少し動いていて。前から動いていましたか。もしかしたら、歯の所にあたったのかも、多分頬だったと思うのですが。」とおっしゃって、私はドッチはボールをぶつけ合うゲームだから当たってあたり前、歯が抜け替わるにはちょっと早いから、きっと歯にボールが当たったのだろうと思っていました。

翌日、昼頃に療育センターへ行って、望の歯磨きをしていた私は、望の右下の前歯の後ろに白いものを見つけました。触ってみると硬いのです。永久歯です。私は、うれしくてたまりませんでした。望の成長をこんなにはっきりと感じる事ができたのですから。昨日、歯が動いていたのはドッチではなくて乳歯が抜ける準備だったことにようやく私は気づきました。実を言うと、望の右下の前歯は以前から動いていたのですが、少し茶色くなっていたので私は「虫歯になってしまった。困ったなあ。抜け替わるまで持ってよね」なんて思っていたのです。歯科検査でその茶色い前歯は虫歯だと診断されないので、おかしいとは思いながらも虫歯になって動いているとすっかり思っていたのです。なんてとぼけた親でしょう。

顔を出した真っ白で大きな永久歯は、随分内側に生えているように思いました。望は歯医者さんが大嫌い。診察台の上で泣き叫び暴れる始末です。以前から、望のお友達のお父さんである歯医者さんから「怖がらないように時々来て慣らしてね。今の状態だと治療できないから」と言われていたので、ちょっと診てもらいに行きました。言葉のない望ですから、何事も初めての私達夫婦には歯を抜くタイミングもはかりかねました。歯は、徐々に前に出てくるから生えてきた場所は心配ないと言われ、ほっとしました。抜くのも慌てなくていいとの事で、ただ誤って食べないように気をつけてとの事でした。

3月14日、朝ご飯が済んで歯磨きも終わったのに望は口をもぐもぐしています。何食べてるのと口を覗くと血だらけです。「もしや」と思って前歯を見ると、今にもとれそうになっていました。指でつまむとすっととれました。小さな小さな歯でした。痛い思いもせずに無事に一本目の乳歯が抜けました。

ドッチボールが顔に当たって泣いてから4日後に、またボールが当たったそうですが、望は泣かなかったとの事でした。連絡帳には『ドッチに参加するやいなやおでこにボールが2回も当たり…。2回とも泣く事はなくさっとおでこの土を払いのける仕草。ドッチはいやかなと思って聞くと、まだドッチを続けると言っているのんちゃん。ボールが当たる競技とわかったのかしら』と書いてありました。ドッチボールのせいにされていた上の前歯もやがて抜け替わっていくのでしょう。

保育所生活あと1年

 この春で、望が保育所に通い始めて2年が経ちます。お友達や保母さんと一緒にいろんな体験をした2年間でした。保育所は、ゆっくりの子も腕白の子もみんな一緒に毎日の生活を作っていくことのできる、とっても素敵なところです。その保育所生活も後1年だけとなりました。ずっと保育所にいられたらいいのになあと、いつになく私は後ろ向きです。

 望が保育所に通い始めて最初の1年は、まず保育所の生活に慣れることを優先しました。聾学校にも行った方がいいよと耳鼻科や小児科の医師に言われながらも、一度にたくさんのことを始めるのは望にとって負担になると思い、保育所生活を中心において、週一回の療育センターでの訓練だけを続ける事にしました。その訓練も体調が悪ければ無理をしないで休み、なるべく保育所にたくさん通えるようにしました。それでも、よく風邪をひいて休みました。お友達との関係は、ものめずらしさや3歳という幼さもあって、望がいやがろうが拒否しようがお構いなしで望とかかわろうとしていた子どもが多くいました。その中で望は、はっきりと『ノー』と言う事を覚え、自分の欲求を伝えるために集団の中でも大きな声を出し始めました。

 2年目になって、保育所にも慣れたので、毎週金曜日は保育所を休んで療育センターと聾学校に通い始めました。でも、いきなり春から腎臓の肥大で通院が多くなり、夏には留置カテーテルをする事になってしまいました。望は、体調がいまいちのスタートとなった2年目でしたが、子ども達は、望とのかかわり方がうまくなり、望が嫌がっている、望がしたがっている、ということをしっかりとキャッチしてくれるようになりました。保母さんの数が少なくなった事もあり、子ども達が望のバギーを押して遊んでくれる事も多くなりました。いまやドッチボールにも子どもがバギーを押して入っています。又、滑り台は皆が順番に望を抱っこして滑るなど遊び方の工夫も子どもなりにしてくれるようになりました。保育所の帰りに保育所の前の公園で子ども達が望と遊ぶ姿を見て、お母さん達の方が「もう、ひやひやするわ。望ちゃん大丈夫?」なんて言うくらいです。

 望はまだ話す事ができませんが、子ども達数人のグループでの話し合いの時など、望にも意見を聞いてくれ、望がうなずいたり首を振ったりするのをみて、それを受けて話しが進んでいくこともあるようです。この頃では、欲求表現が激しくうるさくなった望に対し、子ども達の「いかにも関西風」のつっこみが保母さん達を笑わせているようです。例えばこんなふうです。行事の練習などで保母さんが「はい、〇〇さんグループ」と言うと、出たがりの望は自分のグループでなくても『ハイハイ』と手を上げます。保母さんが「望ちゃんはまだよ」と言う前に子ども達の方が「あんたは〇△グループ!」と、手の甲で望の胸をパシッ。(よく漫才でやっているあれです)望はシュン。次に「△△グループ」と保母さんが呼ぶと、『せんせー、せんせー』とまたも望。「のんちゃん、ちゃうって!」。おかげで望も自分の出番が理解でき始めたようで、これは保母さんが教えるより効果ありです。望のクラスの子ども達は、とりわけ皆でいっしょにする遊びが大好きで、運動会や発表会など行事のたびにチームワークが光っています。もちろん望も一緒です。

 秋頃からは、留置カテーテルにも慣れ、体重も増加して抵抗力がついたのかたまに熱を出してもすぐに回復し、目が輝きを増しました。冬には留置カテーテルをはずすことができました。望の身体の負担は軽くなりましたが、2時間おきの導尿のために親の負担は増えました。そこで週2日の訪問看護ステーションの利用を始め、保育所に行って導尿をしてもらうようにしました。2月からは、週3日、市が保育所に看護婦さんを派遣してくれるようになりました。3月のお別れ遠足も看護婦さんが同行してくださり、私は行かなくてもよくなりました。(ただ、4月からはそれが白紙に戻るので、又、私が導尿をしに保育所に通うことになります。)

 年度末は、家族でよく遊びまわりました。2月26日に滋賀県までスキーに行きました。3月20日から22日まで徳島県と淡路島に、友人に会うためと明石海峡を渡るため、それからうどんを食べに行ってきました。スキーに行く時、「望ちゃんに雪遊びを経験させてあげるのね。えらいわ」なんて言われました。ちっともえらくなんてありません。親が遊びたいだけです。望が生まれたことで、夫婦2人だけの生活に比べると様々な制約が出てきました。でも、それは障害児に限った事ではありません。望の負担にならない範囲で工夫しながら、私達の生活のリズムで暮らしていきたいと思っています。スキーは、私達夫婦の共通の趣味です。望を抱っこして滑れば、家族三人で楽しむ事ができます。えっ、導尿はどうするかって? スキー場には救護室という、つよーい味方があるのです。

 来年になって学校に通い始めれば、休んで平日に遊ぶことはなかなかできなくなります。私達もこの1年、望と一緒にしっかり遊びたいと思っています。望も、家族の中で、保育所の友達の中で、療育センターや聾学校で、この1年、1日1日を大切に楽しく過ごして欲しいと思います。

ひとこと

 望は、お茶の事を「チャ」と言うようになりました。「トーチャン」でも「カーチャン」でもなく、「チャ」が望の最初の言葉というのが望らしいところです。最初に「トーチャン」と言ってもらおうと思っていた夫は、うれしさ半分、がっかり半分のようです。

 3月26日朝6時、望は、寝ていて、いきなり噴水のようにもどしてしまいました。それから食事の度にもどし、薬は見ただけでもどし、お天気が悪いので家の中は洗濯物だらけとなり、望はグッタリ、私もグッタリです。いつになく元気がない望は、抱っこしても私にぽてっともたれかかり、自分から布団に行くといって眠っています。目を覚ましては、か弱い声で「チャ」と言います。眠る望の横でこの便りを書いています。

 この春、私はようやく大学の通信制の社会福祉学科を卒業しました。先月号でお知らせした「障害を持つ子を産むということ」(中央法規出版)の本の原稿料は、社会福祉士の登録のために使用することにしました。心新たな春を迎えています。

  今日もおやつがおいしいな。保育所にて。

  リフトに乗るのはちょっと怖いけど、

        滑るのはまかせて。(望)

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