のんちゃん 便り
第38号 1999年 3月 文:向井 裕子
まねっこごっこシアター2
2月4日、保育所で「まねっこごっこシアター」がありました。一般に言われる生活発表会のようなものです。望は昨年に続き2回目の参加になります。毎日、張りきって練習している望の様子が連絡帳から伝わって楽しみにしていました。当日は大変冷え込んで、巷ではインフルエンザが流行していましたが、子ども達はほとんど休むことなく元気に参加しました。望も元気に参加できました。望が登場したのは、オープニング「ガチャガチャクッキング」、リボン「ン・パカマーチ」、劇ごっこ「♪いい湯だなアハハン」、うた楽器あそび「ケンカのあとは・地球をどんどん」とエンディング「みんなの広場・小さな世界」でした。
「ガチャガチャクッキング」は、幼児組の子ども達が、やかんや鍋やフライパンになって登場し、朝の忙しい台所の様子をお玉やしゃもじでガチャガチャ表現しました。望は、ベルトで腕にしゃもじを付けてもらい登場しました。うれしそうに観客を眺めて知った顔を探しているかのようにきょろきょろして、お母さん役の保母さんの役者振りに気を取られ、時々手を動かしただけで終わってしまいました。これは、すぐ次にあるリボンも何もせずに終わるかもと、私はちょっと心配になりました。案の定、「ン・パカマーチ」では、木琴のバチの先につけたリボンを上げたり下げたり回したりして新体操のように上手に踊る予定だったのに、手に付けてもらったリボンを上に上げたままで観客やお友達を見ていて、何もしないで終わってしまいました。最後の礼はちゃんと頭を下げて、退場の時は元気に手を振っていましたが。きっと最初で緊張したのでしょうとおっしゃる方もありましたが、ただ単に観客とお友達の中でうれしくてルンルンしているうちに音楽が終わってしまったという感じでした。リボンの踊りは、運動会の時に望のクラスのお母さん達(もちろん私も)が踊ったダンスを見て、子ども達がお母さん達のように踊りたいと保母さんに言い、保母さんが子ども達のための振りを考えてくださり踊ることになったものです。望は、踊りの練習を繰り返すうちにやがて保母さん達を驚かすほど上手にリズムを取ってリボンをつけた手を動かし踊り出したようです。そして、連絡帳には『リボンにおふろごっこ、そして歌とはりきっています。リボンなどバッチリです』『お父さんにバッチリの所を見てほしいですね』と書かれていました。夫は、それならとばかりに「まねっこ」の日は「ン・パカマーチ」を見てから会社に出勤することにしたのです。結局、夫は手を上げているだけの望を見て出勤して行きました。
後半の「♪いい湯だなアハハン」は、場慣れしてきたのか時々うれしそうな声を出しながら楽しんでいました。劇の中で望たちは、みんなで作った岩風呂へ温泉ツアーに出かけました。この岩風呂は子ども達が「チューオンセン」と名づけて、まねっこの日まで楽しんできたもので、岩風呂の横にはレストランができたり、歌あり踊りありものまねありのショータイムが開かれたりと、日を追う毎に健康ランドのような盛り上がりとなりました。「まねっこ」当日は、望はみんなと温泉ののれんをくぐって女湯に入り、お父さんに作ってもらったスケートボードにスタビライザー(立位保持の椅子)を乗せて座り、あっち向いたりこっち向いたりとみんなと背中を流しあいました。望のクラスは年末より「銭湯すごろく」というすごろくで盛り上がっていたので、さいころの目で決まるゲームも始まり、そのゲームのボーリングでボールを上手に転がしたり、友達のものまねをじっと見ていたりと本当に楽しそうでした。
「ケンカのあと」の歌は、望は、大好きなK君に座位保持椅子を押してもらっての登場で、後ろを振り返り振り返りしてうれしそうでした。「地球をどんどん」の楽器あそびでは、鈴を腕につけてもらい腕を振って鈴を鳴らしていました。カスタネットの演奏の時にまで鳴らしていて、隣のお友達に「今は違うよ」と手を押さえられたりしていましたが、これがまたリズムによく合っていて笑ってしまいました。エンディングの「みんなの広場」の歌では、登場したとたん私に手を振る余裕をみせ、腕で調子を取りながらみんなの歌を聞いているようでした。「小さな世界」の歌は保護者も一緒に手話で楽しく歌いました。
夜になって、仕事から帰ってきた夫は、すぐに望の寝顔を見に行きました。そして、望に向かって「何でリボン踊らんかったんや」と言うかと思いきや「望ようがんばったな。楽しかったか」と言ったのです。それを聞いて私は「参った」と思いました。なぜなら、私はそう思うまでに時間がかかったからでした。リボンの「ン・パカマーチ」のあとで担任の保母さん達が「望ちゃん、何で踊らんかったん?練習の時はあんなに上手だったのに」と望に言ったら、望は泣いてしまったのだそうです。保母さん達の名誉のために言いますが、望は保母さんが怖くて泣いたのではありません。望の担任の保母さんは2人共とてもやさしい保母さんなのです。保母さん達は、望がかわいくて、「まねっこ」を見に来ている人達に望の張りきっている姿を見てもらいたかったのだと思います。手足も言葉もなくて、何にも解らないできないと人に思われがちな望が、本当はもっとわかっていると知ってもらいたかったのでしょう。私もその場にいたら、きっと保母さんと同じことを思い同じことを言ったと思います。実は私も望が何もしなかった「ン・パカマーチ」のあとで「やっぱり」と思いながらも「ちゃんと踊ってくれればいいのに」とため息が出たのです。でも、それは親のエゴでしかないことに気づきました。『本番で他人にいいところを見せられなくても、望が楽しかったらいいじゃない。今日の本番までに望は「まねっこ」を一生懸命がんばってきたのだから。楽しんできたのだから。わずかの間に成長もしたじゃない。昨年のまねっこでは何もせず袖をかんでいる場面もあったのに、今年は一度も袖をかまなかったもの。』望の様子を見ながらプログラムの進行と共にそう思うことができたのです。
「まねっこ」の当日までの連絡帳に保母さんが次のように書いてくださっていました。『朝からリボンの練習。のんちゃんは、大好きなリボンができて大喜び。ほかの子は「また~?」と言う声。本番まで一週間。のんちゃんも動かし方を覚えてきて音楽を聞いて動かしています。おふろごっこではボーリングが大好きで大きな声が出ています。本当に劇のストーリーもちゃんと解っていてお話の中に入りこんで楽しんでいます。ほかの子に見習ってほしいです。』他の子よりゆっくりの望には「まねっこ」のために毎日のように繰り返されたことがちょうど良かったのでしょう。もしかしたら「まねっこ」までの日々を一番楽しんだのは望かもしれません。
そして、「まねっこ」が終わった次の週、連絡帳には『今日は外でリボンをしました。「ン・パカマーチ」が流れると音楽に合わせてリボンを振っています。これが本番で見てもらえたらなと悔しい思いさえします。でも、のんちゃんがこんなに楽しんでいるんだからいいか。』と書いてありました。そうです。解ってくれる保母さんやお友達がいて、人一倍楽しかった望がいて、私は十分に満足です。
初仕事
中央法規出版より「障害をもつ子を産むということ」(1800円)という本が出ました。19人の親達の出産体験の手記と親・医師・看護の立場からのコメントとで綴られたものです。夫と私も手記を載せています。最初は医療・福祉関係者向けということで我が家にも原稿の依頼がきましたが、最終的に一般の方々にも読んでほしいというかたちで出版されました。本の手記にも書いていますが、私は、大学の通信制で社会福祉を学んでいて、原稿の依頼がきた時は課題研究論文(卒論のようなもの)に追われていてじっくりと原稿に取り組むことができず、のんちゃん便りを使って何とか仕上げたという状態でした。夫も仕事が忙しい時で、わずかな文章を書くのに締め切りを過ぎたりして編集の方にご迷惑をかけてしまいました。しばらくして、校正で送られてきた原稿を読んでがっかりしました。文章が暗かったのです。何度か読み返しているうちに、私が伝えたいのは「産まれた時のこと」でなく「育てている今」だと気づいたりして、引き受けなければよかったかなあと思いました。でも、できあがってきた本を手にとってずっしりとした内容を確認して、他の17人の方々の手記と編者の方々のコメントのおかげでいい本になったとうれしく思いました。わずかながら原稿料も入ります。間に合わせのような原稿で報酬をもらうのは少し気が引けますが、ボランティアをした時の充実感とはまた違った、自分のしたことに報酬が出ることへの充足感がありました。望を産んで仕事を辞め、そして望のおかげで収入を得る、なんとも皮肉なものです。望を産んで以後の初仕事です。皆さん読んでみてください。「この画期的な虚飾なき体験集は、読むものに生まれた命のいとおしさを気づかせ、障害をもつことへの意識革命をもたらすだろう。特に若い人たちに、そして医療者に、ぜひ読んで欲しい」(柳田邦男氏推薦文)
ひとこと
お正月に牛乳の入ったコップを手で叩いて床に落とし私に叱られてから、望は『ごめんなさい』をするようになりました。頭をぺこっと下げます。頭を下げたあとで笑っていることもあるので、「ごめんなさい」が理解できたとも言えないのですが。最近では、『こんにちは』『ごめんなさい』『どうもありがとう』と頭を下げまくりで、周りの方は「かしこい。可愛い」と誉めてくださいますが、あんまりぺこぺこするのは困ったもんだなあと私は思っています。でも、望にとっては遊びのひとつなだけで、しばらくするとあまりしなくなるかも知れません。今は「礼儀正しい」ということにしておきましょう。