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のんちゃん 便り

第37号 1999年 2月     文:向井 裕子

お正月の過ごし方

望は、お正月を元気に過ごすことができました。みなさんは、どのようなお正月を過ごされましたでしょうか。先日、新聞の投書欄に友人の名前を見つけました。家族そろって自宅で過ごした正月の様子を書いたものでした。彼女は、近くの堤防へ凧上げに行き、車椅子のTちゃんと一本の糸を持ち凧を操りながら、お正月の幸せを感じていたのでした。彼女の次女は重度の障害児です。病院で過ごしたお正月もあったのです。お正月に家族そろって凧上げを楽しむというささやかな喜びは、彼女にとってはとても意味のあることだったのです。彼女だけではなく、身体的に重い障害を持つ子どもの親達は、毎日を懸命に生きてお正月を迎えられることの幸せを感じていたのだろうと思います。

また、別の日、望の定期的な通院の時に、以前小児科病棟で同室だったNちゃんのおばあちゃんに会いました。私は、Nちゃんが病院での長い長い闘病生活の後、定期的に小児科の通院を続けていることを知っていたので、今日も通院かと思ったのでした。ところが、おばあちゃんは、「今、入っているのよ。9月からずっと。」とおっしゃったのです。Nちゃんは去年から入院していたのです。ということは、お正月は病院で過ごしたのだな、と私はおばあちゃんと会話しながら思っていました。病院でのお正月もきっとそれなりに温かいものだったに違いないと私は思いました。そう思いたかったのです。いろんな所でいろんな形で迎えるそれぞれのお正月を思いました。

我が家では、お正月を家族三人でのんびりと自宅で過ごしました。元日には近くの氏神さんに初詣、3日には京都の八坂神社まで車で行きました。京都はすごい人と車でしたが、運良く駐車でき、バギーでは無理だったので望を抱っこして、無事お参りすることができました。1日と3日以外の年末年始のお休みを望はお父さんとバスや電車に乗りに行って過ごしました。毎日2時間あまりの小旅行を望は楽しみました。毎日、7時には目を覚まして、朝食をすませると外出用の服をとりにタンスに行こうと催促し、さあ出掛けようとお父さんを促し、私にバイバイをする始末。3、4日もすると夫はバスの時刻表のメモを財布に入れていました。もしかすると楽しんでいたのは夫の方かもしれません。

昨年のお正月、私はぎっくり腰になって寝込んでしまったので、年末の大掃除とおせち作りが引き金かという反省(?)から年末の大掃除はやめにして、おせち料理も煮物と望の好物の栗きんとん以外は生協で調達して手抜きをしました。そして、夫が毎日午前中を望と遊んでくれたので自分の時間を持つことができました。夜中の導尿も深夜テレビを見ていた夫が引き受けてくれたので、私は早くに布団に入り3時近くまでは継続して眠ることができました。たっぷりと自分の時間を持ち眠ることができるという、私にとって本当に贅沢な日々でした。おかげで随分太ってしまいました。家族それぞれがいい時間を過ごし、ささやかな楽しみを持った穏やかで幸せな正月でした。

奈良で、『朋』の施設長である日浦美智江氏の講演があることを知り、行って来ました。電車で行って望を喜ばせたいところでしたが、インフルエンザの感染を考えて車にし、昼ごろ奈良市に着いて家族3人で昼食をとり、私は2時間の講演に行き、夫と望は奈良公園を散歩しました。

『朋』は横浜市の住宅街の中にある重症心身障害者の通所施設です。横浜市には、重症心身障害児の養護学校が4つあるそうです。ちなみに大阪には肢体不自由児の養護学校と知的障害児の養護学校しかなく重症心身障害児の養護学校はありません。その横浜の重症心身障害児の養護学校は小規模で、普通学校に併設されているそうです。横浜は、福祉が充実していると聞いてはいたのですが、教育の方もすすんでいるようです。学校でソーシャルワーカーをされていた日浦氏は、その学校を卒業した子ども達の青春の場、チャレンジの場を母親達と共に作ってこられました。

『朋』の通所者は重度の障害者ですから、中にはチューブや気管切開をしている人もいます。医療のバックアップが必要で、診療所も併設しています。全介助の必要な人達なので、ボランティアも大勢かかわっていて、昨年は、のべ3200人のボランティアの参加があったそうです。町の人と一緒に農作業をしたり、漁師さんの船に乗せてもらったり、町内運動会に参加したり、リサイクル運動で缶を集めて町内を回り知人を増やしたりと、地域との交流が本当に盛んなようです。そして、現在は全介助の人達のグループホームに取り組んでいるようです。医療がパートナーとして並び、地域、ボランティア、行政の協力によって、『朋』はすばらしい活動の場となっています。

友人は、『朋』みたいなところが近くにあったらなあとよく言っていましたし、私は、うわさに高い『朋』がどのようにできたのかを詳しく知りたかったのですが、講演の内容は、障害児者への思いや『朋』での行事やエピソード等が中心でした。でも、とても共感する内容でした。「障害者としてでなく、1人の人として人々の中に存在し、いろんな人に出会い、いろんな経験をして、自己決定の力をつけていくことの大切さ。無駄な命はない。皆、役割を持っていて、その(発揮できる)場所を作るか作らないかの違い」だということ。それらは、「どんなに障害が重くても」です。

一番印象深かったのは、『朋』を作ろうとしたときに住民から反対の声があり、その中に「この住宅地に文化施設を作るのならまだしも、障害者施設だなんて」という意見があったそうで、それに対し、日浦氏が、「生きていることを文字や詩や絵などで表現することが文化だとしたら、この施設は生きる命そのもの、まさに文化ではないか」と返されたということでした。そして、町の人達は『朋』を受け入れ、今では『朋』は、町の人と人をつなぐ役割をしています。日浦氏は、最後に「可能性と個性と連帯の文化を『朋』から発信したい」とおっしゃりました。誤解ないようにひとこと付け加えますと、この「個性」というのは「障害」の代名詞ではなく、障害者1人1人の個性ということです。重症心身障害児者の力を認め信じ、彼らとその家族と共に歩んでこられた彼女の話は、説得力のあるものでした。

まだ、就学先さえ決めていない望ですが、望の将来を思うと、義務教育終了後、または、高校終了後のことも視野に入れていかなければと思います。望の役割を発揮できる場所を地域の中に作ることが、私達親の役割の1つかなと講演を聞きながら思いました。

ひとこと

 お正月明けに望の髪を切りに行こうと思ったら寒が厳しくなり断念。前髪が目に入りそうなので嫌がる望を押さえつけゴムで前髪をくくりました。保育所に行って皆にかわいいと誉められて望は気を良くしたのか、翌日からは、髪を触られるのはいやだけど我慢して髪をくくってもらうようになりました。

 

 

鹿さん、お願いだから近寄ってこないでョ。

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