5年生です
この春、望は5年生になります。高学年です。振り返れば、1日1日をしっかりと望は過ごしてきました。1年生の時は、自我の強さは、今と変わりませんでしたが、とにかく「お勉強嫌い」で困りました。介助に付かれた先生に「教科書を開くと怒るんです。筆箱を出すと怒るんです。どうしましょう」と言われました。それでもなお、望は、「みんなの中」を選びました。周りの子ども達は、特別な望として、赤ちゃん扱いで遊んであげるという対応でした。でも、いやなことを「イヤ」と全身で表現する望に、望の思いに気づき、考えるようになっていきました。
2年生になっても、望は、相変わらず勉強嫌いでした。先生の「させよう」という態度をすばやく感じとるや否や拒否をし、相手によって態度も変えました。相手を見て対応を変えるのは、今でも変わりません。でも、それは望にとって必要なことです。周りの子ども達は、望の思いを聞き、あるいは自分なりに、そして、時には自分の都合のいいように、受け止めて接してきました。
大きく変わったのは、3年生の時でした。のんちゃん便りにも書きましたが、まず、周りの子どものかかわり方が変わりました。特別扱いでなく、特別な配慮ができるようになりました。対等に遊ぶ工夫をし、悪いことは悪いと指摘し、自分達で一緒にやる工夫をするようになり、授業中も望の存在を感じながら勉強に集中するようになりました。望は、人の中に存在する力をつけ、勉強への興味も出てきました。クラスの授業への参加、自分の勉強への取り組みと、授業中の過ごし方も充実してきました。
そして、4年生。3年から続いて、たくさんの子どもが関わり、自宅にも遊びに来てくれました。男の子も来てくれました。そして、望が一番変わったのは、なんと勉強です。他のクラスメイト達が騒いでも、自分がやりたいことは集中するようになりました。コミュニケーションエイドも、自分の要求が伝えられる物とわかったのか、使うようになりました。勉強は、させるものじゃなくて、「したい」という思いを引き出したり、「やりたい」思いをサポートしたりするものだと改めて思いました。障害の有無に関係なく、やりたいと思う気持ちが大事だと感じました。メガネをかけたのも集中する一因だったかもしれません。体力もついて、欠席も少なくなりました。ただ、学校で全力で集中するのか、気温が下がって秋がきても長い昼寝をし、自宅ではひたすら休養の日々でした。それでも、友だちが遊びに来る日は、興奮して玄関のチャイムを待っていました。さあ、5年生です。林間学習もあります。親と離れ、泊学習に参加するのだと感慨深いものがあります。
私は、初めて会った生後4日目の望を今でもはっきりと覚えています。白いバスタオルに包まれて、目をしょぼしょぼさせ、今にも消え入りそうな弱々しい赤ん坊でした。それが、私に抱かれると、目をぱちっと見開き、真っ黒な瞳がまっすぐ見つめてきました。ある医師が「赤ん坊は愛されることしか知らずに生まれてくる」と言われましたが、それは、本当に「愛されることしか知らない瞳」だったと思います。やがて、その瞳は、「お母さん、私はなんでもわかっているんだよ」とでも言っているようで、心を見透かされているかのように感じました。その瞳のパワーに動かされ、私は歩き始めたのかもしれません。
この10年半、たくさんの方々に支えられてきました。服部先生、お元気ですか。生まれた時、命が3ヶ月か6ヶ月かといわれた望は5年生になります。本当にお世話になりました。NICUの看護師達に『障害をもつ子を産むということ』の本を読んでもらいたいと言ってくださいましたね。夫共々感謝しています。大浦先生、母子通園から地域へと踏み出そうとする私たち親子を温かく見守ってくださりありがとうございました。あんなに人見知りが強かった望は、地域の中で、自己主張の強いたくましい子どもに成長してきました。「望ちゃんの成長が楽しみ」と言ってくださったボランティアさん達、ありがとうございます。田中先生、保育所見学の時、ステキな言葉をありがとうございました。あの出会いがあって望の保育所生活が始まり、望はここまで友達の中で育ってくることができました。中島さん、久しぶりに会って「まだ生きとったのか、あの頃はここまで生きるとは思ってなかった」はないでしょ。笑って言える関係が嬉しいです。3歳の望に、短い命に少しでも楽しみをと思っていらしたのですね。電動カートに始まった望の移動手段は、電動車椅子となり、今や大人顔負けの腕前ですよ。
本当にステキなたくさんの出会いを幸せに思います。そして、温かな方々につながり支えられてきたことを感謝しています。でも、それ以上に、私は、望自身の力の大きさを感じています。望が産まれた時、ほとんどの医療関係者は、10歳の望など想像できなかったでしょう。今のいきいきとした望を誰が予想できたでしょう。望は、「毎日楽しいよ」と言っているかのように感じます。
あるシンポジウムで、進行役の方がおっしゃいました。「私は、『のんちゃん便り』を毎月読み続けてきて、望ちゃんのことをよく知っているつもりだった。でも、のんちゃんに会って、誤解をしていたことに気づいた。のんちゃんは、周りの大人達の工夫によって参加をし、周りの人や子ども達に支えられて楽しく過ごしてきたと思っていた。確かに、周りの力もあったと思う。けれど、それ以上に彼女自身の生きようとする強い力を感じて驚いた。あのいきいきとした力は、どこから出てくるのだろう」と。「どう育てたのか」と聞かれましたが、私には答えようがありませんでした。試行錯誤で育ててきました。何が良くて、何が良くないのかもわからないまま、むしろ、私達の方が望に導かれてやってきました。その質問に対し、助言者の方がおっしゃいました。「それは、親がありのままの自分を愛していると望ちゃんが知っているからではないか。ありのままの自分を周りが受け入れていることを感じているからではないか」と。私は、そんな立派な親でもありませんから、「はい、そうです」なんて答えられませんでした。ただ、ありのままに受け入れられることは、子どもを安心させますし、ありのままの自分が愛されていると感じることは、子どもの心の栄養になるのだろうと思います。でも、望の場合、彼女自身がもって生まれた力もあると感じています。私達親にできることは、あなたは、そのままでかけがえのない存在なのだと、大切な存在なのだと、ただ見守っていくことだけかもしれません。
楽しい5年生となりますように。