見出しへ戻る

のんちゃん 便り

108  2005年4月

6年生になりました

春、桜の中で、望は6年生になりました。小学校最後の1年の始まりです。本当に早いものです。でも、「振り返ってみれば」なんていうのはやめましょう。それは卒業する時にします。しっかりと前を向いて生きている望にならって、これからのことを考えていこうと思います。

今年度、望の小学校には、たくさんの障害児が入学してきました。養護学級に在籍する児童が21名の大所帯になりました。中でも、常時介助の必要な子どもが6名と、重度障害をもつ子どもが多いのが、我が校の特色です。「ここの学校は障害児にとっていい学校だから」と集まってきたわけではありません。たまたま、この町に住んでいる子ども達が入学しているだけなのです。隣に養護学校があるにもかかわらず、です。それだけ、この地域の統合教育が進んでいるということなのだと思います。それはすばらしいことです。

しかし、問題もたくさんあります。21名の児童が在籍をして、養護学級担任は、5名。常時介助の必要な児童の数より少ないのです。はたして、子ども達をどうみていくのか、大きな課題を抱えてのスタートです。望に対しては、1日6時間の授業のうち、2時間は介助者が付かないで、クラス担任の先生だけで授業が行なわれることになりました。それでも、教員は足りず、教室を飛び出す子どもが続出したり、給食の時に食器をひっくり返しずぶ濡れになる子どもが出たり、養護学級の先生方は走り回り、担任を持たない先生たちもあちこちに入り込み、バタバタの4月です。

事故が起きなければいいけれど、養護学級の先生方が倒れなければいいけれど、そんな心配を年度始めからしなければならない状況です。かつて、大阪府は、府独自で重度障害児に加配の教員を付けていました。しかし、財政難のため、他府県にあわせるということで、加配教員を無くしました。大阪市では、独自に介助員(補助員)を派遣していますが、その数は大変少なく、加配の嘱託教員の数も限られています。理由は、やはり財政難。人を育てるという大切なことを財政難の一言で切り捨てて欲しくありません。「特別支援教育」という言葉が空しく聞えます。

障害児が通常の教室に一緒にいさえすれば「統合教育」ができるわけではないのです。今、重度障害をもつ子ども達は、「教育」どころか、命がけで学校に通わなければならないような状況です。各地で災害が続いていますが、震災など起ころうものなら、ひとたまりもありません。行政は、子ども達の「いのち」をどう考えているのだろうと疑いたくなります。自分達の福利厚生のお金はヤミで使っても、子ども達への教育のお金は節約するのですかと皮肉も言いたくなります。保護者達からは、怒りやあきらめの声が聞えます。

そんな厳しい状況ですが、望はたくましく成長しています。そして、私も、新しいクラスメイトや担任、望の介助の体制に大きな不安を抱えることなく新年度を迎えました。どんな状況でも望はきっとやっていく、そんな自信が、この5年間でついたからです。ただ、それは、友達と一緒が大好きな望だからできることであり、5年間、クラスの中での積み重ねがあるからできることでもあります。担任の先生も、クラスの一員として対応してくださいます。介助の先生が付いていなくても、望なりにその時間を切り抜けていくことは、これから望が社会で生きていくうえで必要な力を育てることにもなります。手伝って欲しい時に友達や先生に訴えること、どんなふうに手伝って欲しいかを言葉はなくても伝えていくこと、そして、人の中でいろんなことをやり過ごしていくことも。そんな力を望は育ててきています。いやなことを受け入れ、さまざまなことを楽しいことに変えていく力を望は持っています。その時どきを、人生を、楽しむ力を持っています。私は親ながら、そんな彼女の力を凄いと思います。

6年生になれば、周りの子ども達もしっかりとしてきます。助け合うことが自然にできるようになって欲しいと思います。他人の手助けをすることや、自分が困った時に手伝ってと素直に言えることは、他の子ども達にとっても大切なことだと思います。周りの子ども達が、望との日々の中で、それに気づいてくれればと思います。この1年、長距離の遠足あり、運動会あり、修学旅行あり、いろんなことがあります。どんな出来事があるのか、望と周りの子ども達がどんなふうに成長していくのか、楽しみです。中学校入学も楽しみにしていようと思います。

いきいきと学校に通う望を見ていると救われる思いがします。でも、救われていてはいけないのです。子どもの頑張りに甘えているようではいけないのです。何とかしなければ、大人がもっと頑張らなければと痛感しています。身体の自由が利かない望には、介助者がいなければ、たくさんの苦痛が出てきます。お尻が痛くても自分でお尻をずらして座りなおすことすらできないのです。それは、普通に暮らしている人間には理解できない苦痛です。気力で生きているような望ですから、厳しい状況を切り抜ける力をつけていくことはできるかもしれません。でも、それは逆に、彼女の身体や命を脅かす危険性を持っています。そして、知的に重度の障害をもつ望が、わからない授業をただただ聞き続けている状況が続くようでは、教育の保障はありません。身体的に楽な状況で、少しずつでも望なりの勉強をしていくためには、介助の先生抜きにはできないのです。

6年生の望ですから、こんな状況を我慢してもいけますが、新入学の1年生は、新しい環境にただでさえ不安をたくさん抱えています。そんな中、頼れる介助者のいない教室は辛いものです。子ども達が安心して学校に通い、楽しい時間を過ごしてくれることを祈っています。障害のあるなしに関らず、一人ひとりが大切にされるインクルーシブ教育が行なわれることを願っています。この1年、この厳しい状況がどうなっていくのか、それもしっかり見つめていかなければなりません。

ひとこと

4月初め、私は39度の熱と嘔吐でダウンしました。点滴を受け2日間水分だけで過ごしました。その上、腰痛も出て、望の介護ができなくなりました。ハードな仕事に追われる会社員の夫の協力はほとんど期待できません。ヘルパーさんに来てもらい、ご近所の方に買い物や望のお迎えをお願いして、なんとか暮らしていけました。重度の障害児を抱える核家族は、そんな危なっかしさとも隣り合わせです。つながり助け合うことの大切さを自分自身、実感しながら暮らしています。


桜の降る中で 6年生の望

107号 見出しへ戻る 109号