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のんちゃん 便り

146  2009年 11月

態変エキストラ

9月23日から26日まで、4日間、大阪城公園で、劇団態変のテント公演がありました。連日、望はエキストラとして舞台に立ちました。夜間定時制高校に通う望は、舞台の時間が授業時間です。おまけに期末テスト期間。舞台を休んでテストを受けるか、テストを休んで舞台に立つか、高校生なら学業優先としたいところですが、舞台を選びました。エキストラとはいえ、プロの劇団の舞台です。定時制高校なので、仕事でテストを受けられない生徒もいるだろうと思い、先生に相談すると、追試があるとのことでしたので、学校を休むことにしました。高校の単位を取ることは、生徒の望には重要なことですが、でも、望の稽古に向かう姿勢を見ていると、学校よりも大事なモノがそこにあると、全ての舞台に出てやり遂げるという達成感がきっと何ものにも変えがたい経験になると感じました。

稽古はほとんど欠席することなく、前号で書いたように、うでの先を擦りむいて、それでも稽古に行きました。日曜日だけではなく、土曜日や、平日の高校の授業後に行った日もありました。ある時などは、稽古終了の時に力尽きて、目を閉じてうつ伏した状態で動けなくなっていました。今回は出番が多くて意気込みも大きかったのかもしれません。稽古に行く望の強い思いを感じてきました。でも、稽古は室内で、その上、舞台と客席の境界がありません。上手(かみて)と下手(しもて)がわかっているのか、自分の立ち位置や表現がわかっているのか。稽古に数回しか付き添わなかった私は、本番で失敗しなければいいけれどと、不安を抱えていました。

言葉がほとんどわからない望は、口頭で指示をされてもわかりません。金満里さんに叱られていることはわかっても、何を注意されているのか、具体的な指示がわかりません。役者さんが、手差しで動く道筋を示し伝えてくださっていました。あとは、他の人の動きを見て、演じていました。周りと同じような動きをする、周りの動きを見ながら自分の動くべき方向に動いていく、場面の覚えは早いと感じました。その理解の速さと勘の良さは、大勢の友達と育ちあってきた望の力です。

今回の舞台は出番が多いこともあり、私は開演直前に導尿をして望を舞台袖に入れ、終演の時に迎えに行くだけで、公演中に楽屋待機の必要がありませんでした。初めてチケットを買って「観客」として望の舞台を観ました。舞台からさがる方向も間違えることなく、稽古の時にヒヤヒヤして見ていた立ち位置も、他のエキストラと程好い間隔をとり、表現もそれなりに()していて、ちゃんと演じていました。舞台に立つことを本当に楽しんでいると、改めて感じました。

そして、大人になってきた望を感じたのは、舞台の上だけではありませんでした。舞台袖に長くいても、騒ぐ心配をすることなく、舞台前に髪を固めたりメイクをしたりするのも、自分から「お願いします」と言っていました。髪を触られるのが嫌いな望は、これまでの公演では、メイクさんから逃げ回っていたのです。「メイクをしないと舞台に出られないよ」と説得して、抱っこして髪やメイクをしてもらっていたのです。

リハーサルと4日間の公演が終わり、後日、打ち上げがあり、望の大好きな「お祭り」が終わりました。公演のアンケートに、「望の右腕のファン」とか「将来の『役者』に期待」という文があり、ありがたく読ませていただきました。けれど、今までは、「エキストラだったからできた」と私は思っています。周りの役者さんの動きを見ながら表現ができていたのです。望が本当に役者としてやっていけるのかどうか、正直、私には不安です。役者を志望するのか、エキストラで続けるのか、これからどうすれば良いのか、わかりません。望が『舞台』を好きなのは確かです。でも、好きというだけでやっていける世界ではありません。知的障害を理由に「わかりません」「できません」は通用しません。途中で簡単に放り出して辞めることもしたくありません。

日々の生活の中で、私は望を努めて他人の手に委ねるようにし、望と介助者がお互いに試行錯誤をしていくように口出しをしないで見守ってきたつもりです。けれど、態変はプロの劇団です。学校とは違い、迷惑をかけてはいけないと、稽古や舞台に私が必ず付き添って、望への指示を出したり注意をしたりしてきました。保育所の時に態変の舞台に立って10年が経ちました。望は16歳の高校生になりました。そろそろ、本人の意志に任せてもいい年齢です。

「あなたはあなた。ありのままの望はステキだ」と伝え、望は外で好奇の視線に対しても胸をはって生きてきました。萎縮せず媚びらず成長をしてきたと思います。けれど、望がこれから自立をしていくためにも、障害をもつ自分の体と向き合うことが必要だと思っています。それは望自身がやっていくしかありません。表現を通して自分と向き合っていく、それが「態変」なのかもしれません。親の私には見守ることしかできません。

ひとこと

劇団態変公演の様子をのんちゃん便りに書かなければ、と焦っていた10月、またまたぎっくり腰をやってしまいました。布団から起き上がれなくなってしまい、望の介助もできず、通学も付き添えず、もちろん学校待機もできず。ヘルパーと夫とで何とか乗り越えました。整骨院に行くと体中が堅くて疲れが溜まっていると言われました。けれど、動けるようになったら、また、高校に付き添って、授業中は休養室で横になって待機しています。横になってまで、待機しないといけないなんて・・・と、情けない思いでした。未だ、整骨院通いの日々です。

ちょうど、同じ頃に、障害児の母である友人もダウンし入院しました。彼女も小学校への付き添いをしており、実費でヘルパーを頼み、お連れ合いや実家のお母さん総動員で危機的状況を乗り越えたようです。なんだか、哀しくなりました。障害児の母は、なんでこんなに頑張らなければならないのだろうと。24時間365日体制で子どもを育てている親の、本当に大変な状況を学校はわかってくれているのでしょうか。わかっていてもどうしようもない、のかもしれません。でも、親が倒れて子どもが学校に行けなくなるという状況を、その家族の事だからと、他人事のようには思って欲しくないなあと思います。

寝ている間に、仕事が山のように溜まってしまいました。のんちゃん便りも、こんなに遅くなってしまいました。楽しい事もつらいことも、いろんなことありの日々です。

リハーサル風景

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