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のんちゃん 便り

第147号  2010年1月

インクルーシブ教育

障害者の権利条約が国連で採択されて3年が経ちました。日本政府がこの条約に署名したのが2007年9月。でも、批准の時期は未定です。条約を批准すれば、憲法の次に守らなければならない法律になります。国内の法制度は、条約に拘束されることになります。日本が批准し実施するには、多くの国内法の整備を要し、原則分離を定めている学校教育法施行令の抜本的な改正も必要になります。

と、新年早々、堅い文章で始めましたが、今回は、障害者の権利条約にも定められているインクルーシブ教育について書きたいと思います。インクルーシブは、「包括的」すべて包み込むという意味ですから、インクルーシブ教育は、誰もが排除や差別されることなく、さまざまな違いをもつ人たちすべてが、ともに学びあっていく教育です。日本が原則としている分離教育と相反し、個別ニーズの支援を重視する「特別支援教育」とも異なります。

望は、3歳で保育所に入所して以来、小学校・中学校と地域の学校の普通学級で学び、大勢の友達と育ちあってきました。そして、受検をして高校に進学しました。他府県の方から、「大阪だからできること」と言われることがあります。子どもの入学のために大阪に引っ越したいという相談電話がかかってくることもあります。確かに、福祉や教育には地域格差があります。昨年の夏、高校の同窓会で田舎に帰省した時、教員になっている同級生が多くいましたが、障害児が普通学級で学ぶことや高校に進学することなど、同窓生や恩師には想像できないことではないかと感じました。でも、子どもが育つ地域によって、教育のあり方が違うなんてあってはならないと思います。ともに学びともに育つ教育を行っている大阪においても、普通学級で学び高校に進学する重度の障害をもつ生徒は、多くはありません。特に、高校進学は、高い壁を乗り越えなければなりませんでした。

望が保育所で大勢の子ども達と過ごすようすを見て、「小学校に入れたい」「障害を理由に分けられるのは嫌だ」と考えて、小学校に入学しましたが、強い思想や信念を持って普通学級を望んだわけではありませんでした。友達と多く関わっていくためには、常時、同じ教室にいた方が良いのではという程度の思いだったのです。ですから、望が普通学級で授業を受けることは、苦痛なのではないか、周りに迷惑がかかるのではないか、別教室で能力にあった学習をした方が良いのでは・・・と、揺れ動いていました。そしてまた、障害児だから勉強しなくていいということはなく、他の生徒達が勉強し理解をすすめていくように、望にも能力にあった勉強を教えて欲しいとも思いました

けれど、教室に居続け、たくさんの友達を作り、周りの人の手足によって自分の思いを叶えていく望に、ココに「存在」し続けることの大切さを教えられました。特別なニーズ(個別支援)を強調しすぎることは、時として、ともに育つことを損ねることもあり、一方、特定個人への支援が充分でないから集団としての関係が深まる場合があることにも気づかされました。「わかること」があたりまえと思っている私たちだから、「わからないこと」が苦痛だと思い込んでしまっているのではないでしょうか。望は、授業内容がわからなくても、高校で最も前向きに授業を受けている生徒の一人です。学校が、いえ、正確には、友達が大好きです。授業がわからなくても、友達と一緒に勉強したいという子どもの思いは、閉ざされた空間で「障害児教育」を研究している専門職には理解できないだろうと思います

昨年、ある大学の障害児教育の授業で話をしたときのこと。男子学生が授業後に話しかけてきてくれました。―ボクは、こんなに集中して授業を受けたのは大学に入って初めてだ。(子ども同士の関わりが)すごく面白かった。ボクの学校に障害児はいなかった。重度の障害をもつ生徒がどうやって普通の学校で学ぶことができるのかと授業の最初は思ったけど。今、障害をもつ人とどう関わっていけばいいかわからなくて戸惑うけど。ボクの学校にも障害をもつ友達がいて欲しかった。そうすれば楽しかったと思うし、今、障害をもっている人と自然体であたりまえに付き合っていけると思う。障害をもつ子ども達があたりまえに教室に居て、そして、卒業して社会に出れば、障害者を特別視することのない社会になるのに― 聞きながら、私は、「ともに育つ権利は、障害のない子どもにもある」とおっしゃった中学の担任を思い出していました。障害児にとっても、周りの子ども達にとっても、ともに育ちあう権利があるのです。そして、大学生の彼が言ったように、インクルーシブ教育があって、インクルージョン社会ができていくのです。分けられて教育を受けた人たち同士が、どうやって、一緒に社会を作り出していくのでしょう。コミュニケーションをとる術もわからず、歳を重ねてカチカチになった価値観で、どう関係を深めていくのでしょう。

高校で「特別支援学校ではなく、一般高校を選んで来られたわけですが、どうですか?」という質問を受け、答えに困ったことがありました。望の前向きな姿勢を見ていただければわかるでしょう?と。どうもこうも、ずっと普通学級で友達と一緒に授業を受けてきた望にとって、この状況は今に始まったことではなくてあたりまえなのです。あとは、親が高校にいさえしなければ。医療的ケアへの配慮が行なわれて、高校にケアできる人が複数いて、親がいなくても安心して高校生活を送ることができれば、問題はないのです。

インクルーシブ教育が行われれば、どんなに重い障害をもっていても、地域の学校に入り、その学校で学びあい育ちあっていくための環境整備や必要な配慮が保障されます。障害を理由に、高校に入れない、親が待機や付き添いをしなければならない、なんてことはなくなるのでしょう。そして、高校卒業後、障害のために特別の就労の場ではなく、地域の中で働き、あるいは大学で学び、地域で自立生活を送ることができるでしょう。望が差別されたり排除されたりすることのない社会を作り出すためにも、障害者の権利条約が批准され、インクルーシブ教育が実施されることを願っています。

ひとこと

冬休み、望は中学の時の友達と映画に行き、携帯メールには小学校の同窓会の案内が流れてきました。年賀状もたくさん届きました。これが地域で育つということなのですよね。

「チマチョゴリ、似合うでしょ?
  お母さんも着たいでしょ」
 金君姫さんと

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