のんちゃん 便り
第53号 2000年 6月 文:向井 裕子
毎日が参観日
4月25日に初めての参観日がありました。1年生は、給食参観でした。2回目は6月で、国語の授業です。どんな参観になるのか楽しみです。でも、望に付き添って学校で1週間を過ごし、導尿で2時間おきに教室を覗く私にとっては毎日が参観日のようなものです。
これは、先生はやり辛いでしょうが、私にとっては、結構面白い参観です。教室の後ろから見ていると、先生には見えないだろう子どもの様子が見えたりします。子どもが寄ってきて、心の内を見せてくれることもあります。いつもはへらへらしている子が、とっても正義感の強い子だったり。腕白な子が、実は寂しがりで人と触れ合いたい思いをうまく表現できなかったり。家庭のことを話してくれる子もいました。小さな心にたくさんの思いを抱えている事をいじらしく思いながら聴きました。先生や親ではなく「のんちゃんのおばちゃん」だから、構えることなくそのままの自分を見せてくれるのかもしれません。子ども達とのステキな会話は、がんばっている私へのご褒美だと思っています。
望の通っている小学校は大きくて、1学年が4クラスもあります。学校生活に慣れてくると、他のクラスの子ども達も望の所にやってきます。「おばちゃん、この子いくつ?」と3組の子が聞きました。「あなたと同じ6歳」と言うと「えーっ」という答えが返ってきました。望と同じ1組の子と、こういう会話をしました。「おばちゃん。のんちゃんな、ボクとおんなじ6歳なのに、どうして大人は、のんちゃんの頭をなでるん?」「あっ、そう。変かなあ」「変やで、赤ちゃんじゃないのに」。まだ、1年生ですから、頭をなでることはあります。でも、望に対してのなで方が、赤ちゃん扱いをしているなで方に彼には見えたのでしょう。子どもはよく見ています。これには、私も反省させられました。
授業中の楽しいエピソードを担任の先生が教えてくださいました。勉強の嫌いな望。特に1年生の最初に延々と続いているひらがなを書く授業は、大嫌いのようです。字を書くことを拒否する望を、隣の席のIさんが「のんちゃん、今、字を覚えとかんと大人になってから困るで」と本気で叱ったそうです。Iさんは、余計なお世話はしないけれど、必要な時にさっと手助けのできる男の子です。
それから、「図書」という授業で、担任の先生が「さっちゃんのまほうのて」(先天性四肢障害児父母の会・田畑精一/偕成社)という、右手に指のないさっちゃんという子が主人公の絵本を子ども達に読んで聞かせてくださったそうです。絵本の中で、さっちゃんが、ままごとあそびの時に、手のない子はお母さんになれないと言われる場面があります。先生が、子ども達にさっちゃんをどう思うかと質問されたそうです。「さっちゃんは、お母さんになれないと言われてかわいそう」という感想があったそうです。そこで、先生が「さっちゃんは、お母さんになれないのだろうか」と質問をされると、「なれるよ。のんちゃんだってなれるもん」という回答があったそうです。のんちゃん「だって」は余分だけれど、細かいことはなしにして、子どもが、望もお母さんになれると言ってくれたことをうれしく思いました。
私は、話すことができなくても文字盤やトーキングエイドという機械を使って会話をされている障害者をたくさん見ていますから、結果としてできるかどうかはわかりませんが、望も字を覚えて使ってくれるといいなあと思っています。また、全介助の必要な身体障害者のご夫婦が子どもを育てていらしたり、知的障害のある女性が子どもを出産されたりしていますから、望が子どもを持たないとは言いきれないと思っています。望が出産して孫ができたらなんて、ワクワクしてきます。そんな楽しい想像ができるようになったのは、望と共に暮らしてきたからです。子どもの言葉は、いつも望と一緒にいるから出た言葉です。共に育つ意味が見えてくるでしょう。
こんな子ども達の声に、一番驚いたり感動をされているのは、担任の先生かもしれません。もしかしたら、先生の予想されなかった言葉が、次から次に子ども達から発せられているのかもしれません。子どもに教えられたといって、目を輝かせて報告してくださいます。望のいるクラスは、きっと大変なことがたくさんあるけれど、日常の中で面白いハプニングもいろいろとあると思います。望の周りで起こる物語を楽しんでいただきたいと思います。「たくさんのストーリーが積み重なって、その子のヒストリーができる」とおっしゃった方があります。1年が経てば、小さな小さな歴史ができているかもしれません。
大きな障害
先輩の障害児の母達と「わ・はは」という冊子を年2回発行しています。「ワハハと笑いながら障害児の母の輪を広げよう」と、母達の思いを載せた通信です。先月、第8号を出しました。第8号は、「いのち・医療」がテーマです。私は、「医療的ケア」とされる望の導尿について書きました。
小学校になっても、導尿に行くために相変わらず時計とにらめっこの生活です。「導尿」程度なら、看護婦の派遣はできないとか。かといって、教師が行うことも決まっていません。1番簡単に解決できるはずの障害が、今、最も重い障害になっています。私が倒れたら、望は学校を休まなければなりません。私は、小学校に母親が付き添って障害児を学ばせたという話を美談とは思いません。重度障害児の母は、倒れるまでがんばり続けねばならず、倒れても死ぬまで休むことはままならぬという、それは社会が作った宿命です。
我が家の近くに、肢体不自由児のための養護学校があります。大阪市の養護学校では、教師が医療的ケアを行っています。それは、通ってきている子ども達の教育を受ける権利を守るために必要だからでしょう。それが、小学校には必要ないというのは、おかしな話だと思います。親が我が子を思い、小学校を選んでいるのです。養護学校は近いのですし、望を養護学校に通学させれば、導尿はしてもらえるでしょう。でも、導尿を誰がするかなんて、それは大人の都合です。学校は、教育は、子どものためのものではないのですか。
先生方が、望を本当に児童の1人と受け入れて、望のために導尿をしてやりたいと思ってくださることを願っています。
ひとこと
今年も、障害者シンクロナイズドスイミング・フェスティバルに参加しました。望は、去年の水着が小さくなり、壺中一萬年祭(第51号参照)で着たレオタードで出場しました。「1、2の3!」と潜る場面も2度とも決めて、バッチリでした。
「わ・はは」ご希望の方は、ご連絡下さい。