のんちゃん 便り
第54号 2000年 7月 文:向井 裕子
0点までの過程
望は、入学してから順調すぎるほど体調がよく、週末に体調を崩しても週明けには回復していましたが、5月末から発熱や下痢で、2日欠席をしました。6月3日に2回目の参観日がありました。前日は欠席しましたが、土曜参観でしたので、ちょっと無理をして登校させました。望は、授業中に大きな声を出すことがあるので、保護者の方々に「あの子、授業の邪魔」なんて思われたらどうしようと、私は内心びくびくしていましたが、病みあがりだからか、おとなしくしていました。
授業は、国語でした。「の」という字を書く時、望があてられました。望は、友達に手を持ってもらい無事に書くことができました。私は、ホッとしながらも、望があたった時の何人かの子ども達の反応が気になりました。帰宅後、夫が、望があてられた時の子ども達のどよめきは、初めてあてられたからだろうと言いました。私もそう思っていたのです。
翌週、思いきって担任の先生に訊ねてみました。先生は、「あーっ」と顔に手を当てて、初めて望をあてたとおっしゃいました。もうひとつ、訊ねました。「みんなが手を挙げる時、望は手を挙げていませんか。」答えは「挙げません」でした。保育所の時、望は、みんながハイハイと手を挙げると、負けじと手を挙げていたのです。そして、時にはあてられて、知らん振りをしたり、保母さんや友達が代わりに答えてくれていました。1年生ですから、手を挙げていながら「わかりません」「わすれました」と答える子は、結構います。望も、時にはあててもらえたらと思ったのですが、手を挙げないのではどうしようもありません。なぜ、手を挙げなくなったのだろうと考えている私に、担任の先生は「もしかしたら、自分がのんちゃんをあてる対象と見ていなくて、そのために、のんちゃんもわからないから手を挙げないと思ってしまっているのかもしれません」と言って下さいました。
最近、望は、自分が解らないということが少しわかってきたようです。解らない勉強をさせられて、授業が苦痛の時もあるようです。夫と「これも望の試練。教室から出たいという素振りはないようだから、望なりに対処していくだろう」と話していたところでした。
望は、ずっと1年1組にいます。当番や日直もしています。子ども達も、同じクラスの仲間と思ってくれたようです。でも、授業中は、同じ場所には居るけれど、お客さんなのかもしれないと感じました。言葉のない望ですから、授業となると保育と違い、参加はなかなか難しく、下手をすると他の児童の勉強の邪魔になってしまいます。私は、過保護かなと迷いましたが、「望は勉強にもついていけないし、授業の内容はわかりません。授業中にみんなと違う勉強をしていても、何らかの形で、日に1回でも、2、3日に1回でも、週に1回でも、授業に参加することは無理でしょうか」と聞いてみました。翌日、担任の先生が、授業中、望に用紙を黒板に貼らせたと教えてくださいました。そんな些細な事でいいのです。問題は解けなくても、問題を出す手伝いはできそうです。全員での音読の改行の合図というような、何かの合図くらいならできそうです。ちょっとした工夫で、少しの参加ができるように思いました。
そんなことをするより別室で望にあった勉強をした方が良いとおっしゃる方があるかもしれません。私は、学者ではありませんので、難しい理論は解りませんから、それを否定はしません。でも、親として、「人の中にいることの楽しさや辛さを知る事」や「人とつながっていきたいという気持ちを育てる事」が、重い障害を持ちながら社会の中で生きていく望にとって大切なことと思っています。
授業の理解ができていない障害児が授業に参加なんて、あつかましいと思われるかもしれません。でも、障害児だから特別にちやほやして欲しいと言っているのではありません。どんな子どもでも認められたいという思いを持っています。児童1人1人が参加したと感じられる授業であって欲しいと思うのです。
6月には、スポーツテストがありました。30メートル走と立ち幅跳びをしたようでした。2人ずつ走る30メートル走は、養護担当の先生が車椅子を押して走ってくださったようでした。一緒に走った子に負けて悔しかった様子で、幅跳びの時、望は、1年各クラスの担任と養護担当の先生方の中から1番たくさん跳んでくれそうな望のクラスの担任の先生を指名したそうです。抱っこして跳んでもらい、誰よりもたくさん跳んで得意そうでしたと教えていただきました。
足がなく走ることも跳ぶこともできない望のスポーツテストの結果は、0点です。でも、望は、きっと満足してその過程に参加したと思います。それでいいと思うのです。勉強もそれと同じだと思うのです。0点でもいいよと、思っています。それを1点でも良い点を取らそうとすることよりも、その過程を大切にしてやりたいと思います。だって、人生には、0点などないのですから。
導尿
先月、たくさんの方々から、導尿の件で、励ましやアドバイスをいただきました。ありがとうございました。5日に、病院で泌尿器科の主治医が、養護担当の先生方に対し、長い時間をかけて導尿についての説明をしてくださいました。養護担当の先生方には、理解していただけたようです。先生方全員で話し合いをしてくださいました。
入学前は、看護婦の派遣や一握りの先生の善意ですむことと思っていた導尿が、こんなに大きな問題提起につながるとは、予想していませんでした。大学進学塾のバイトをしながらも教職をとらなかった夫と、子どもに道徳を教えられる人間ではないと教育学部を選べなかった私とが、学校ってなんだろう、教育ってなんだろう、などと語るようになるなんて事も、予想していませんでした。
二分脊椎の子どものお母さんがEメールをくださいました。「導尿のたび、生きている実感だらけ」と。導尿を単なる行為として、理論や法のこととしてとらえるのではなく、子どもの命と生活を守るために必要なもの、命のぬくもりを感じることと理解していただきたいと思うのです。私が、保育所でも小学校でも、押しつけたり、過激な方法を使ったりしないで、鎮痛剤を飲みながらでも通い続けているのは、それを待っているためです。
ひとこと
障害児を受け入れるということは、美談ですむことではなく、いろんな大変さをも抱えています。でも、それは決してムダなものではありません。私は、望を育てていく中で、ことある毎に様々な価値観を見直してきました。導尿も授業も、その機会となりました。
お父さんと登校をはじめたよ。