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のんちゃん 便り

第55号 2000年 8月     文:向井 裕子

暑中お見舞い申し上げます

初めての通知票

1学期が終わり、夏休みになりました。終業式の日、初めての通知票をもらいました。1年生の1学期は、学校生活になじむことをねらいとしているそうです。「落ち着いて人の話を聞くことができる」とか、「みんなと楽しく運動ができる」とかいう評価項目があり、それぞれの項目が「できる」「がんばろう」で評価されます。望は、1年1組で過ごしていますが、養護学級在籍児なので、評価については評定外ということで、別紙に「行動のようす」「学習のようす」について文章記述での評価がしてありました。

「行動のようす」は、当番活動を行ったことや給食や休憩時間のようす、そして、周りの子どもとのかかわりが自然にできていることなどが書かれていました。「学習のようす」は、映画を熱心に視聴していたこと、担任の話を顔を見てしっかりと聞いていることがあること、音楽の学習を意欲的にしたことなどが書かれていました。良い所を一生懸命に探した書いてくださったようでした。いい事ばかり書いてある通知票で、ありがたく思いましたが、夫曰く、「良くないところも書いてくれたらいいのに」。ああ言うとこう言い、こうするとああ言う、文句の多い望の親です。

学校生活になじむことが1学期の目標ならば、望なりに目標に向けてがんばったと思います。欠席はわずか3日だけでした。その欠席も、大事をとって休養させた3日で、高熱や気管支炎になることはありませんでした。身長と体重がこの1年間でぐっと増えたこともありますが、学校生活が、望にとって辛いものではないという証拠でもあります。毎朝、はりきって登校しました。仲良しの友だちもできました。2学期からの学習の評価は、評定外にしかならないのですから、最初だけでも評価して欲しかったなあと思いました。「がんばろう」がたくさんあってもいいと思います。だって、小学校生活は始まったばかりです。これから、がんばってやっていくのです。事務的に全部斜線ではなくて、「友だちとなかよく遊ぶことができる」くらいは「できる」にマル欲しかったなあと思いました。友達とクラスに一緒にいても、しっかり区別されていることを感じた通知票でした。でも、まあ、望の評定は気にしないで行きましょう。

ところで、私が自分に通知票をつけるとすると、「5」でしょうか。いきなり10段階評価です。望の世話が、満点5としたら4点。がんばって導尿に通いましたから。自分のことは、満点5の1点。仕事どころか勉強もせず、資料は山となり、読みたい本も積み上げたままです。年賀状に「今年は仕事を」と書いたのに、そして、春には資格をいかせる仕事の話が舞い込んできたというのに、生活の現状を考えると、残念ながら受ける事ができませんでした。障害児の親という事だけがウリの社会福祉士ではため息ものです。0点にしようかと思いましたが、親の会等の活動を少ししたので1点。合計で「5」。

終業式の日の下校時、他のクラスの先生が、「明日から夏休みで、みんなうれしそうに帰っているのに、のんちゃんはあまりうれしそうじゃないね」とおっしゃいました。はい、そのとおり。どんなにお勉強がいやでも、家で過ごす夏休みより、学校の方が好きな望です。

伝えたいこと

 あっという間の1学期でした。1学期初めに、クラスの子ども達に対して望の自己紹介をさせていただいた時、私は、望は皆と違うけれど、皆もそれぞれ違っていて、世の中にはいろんな人がいて、それは変なことではないということを話しました。ひとりひとり違う皆が、一緒に勉強したり遊んだり歌ったりすることが大切と思うことを話しました。私には子ども達に伝えたいことがあります。子ども達が望と一緒に成長していく中で、知って欲しいことがあります。

 望は、他の人とは大きく異なります。できないことが山ほどあります。でも、一生懸命に産まれてきて、堂々と生きています。いえ、そう生きて欲しいと願っています。重症心身障害児と呼ばれる子ども達は、生きていくことに一生懸命です。「ただ、生きている」のではなくて、一日一日精一杯に命をつないでいます。彼らは、命そのものです。多くの人は、彼らの隣にいると、その命を感じると思います。望の近くで、そんな命のぬくもりを感じて欲しいこともありますが、私は、子ども達が、いつも傍にいる、自分たちとは大きく違う望を通して、自分自身を見つめてくれたらと思っています。

 他人と違っても、他の家庭と違っても、自分は自分。できないことがあっても、成績が悪くても、友達とうまくいかない事があっても、それで自分が否定されるわけじゃない。子ども達が、自分に自信を持って欲しいと思います。がんばって何かをしたことは、大きな自信につながります。でも、人間、がんばってもできないことがあります。がんばれない時もあります。逆に自信を持つことでがんばれる時もあります。自分のことを大好きになって、自分の命を大切にして欲しいと思います。そして、他人もそれぞれ違うことを認め、他人の命も大切にしてくれたらと思っています。

 「人間は、ひとりひとりが違うから、だから、みんな平等」とおっしゃた方がありました。ひとりひとりが違って当たり前で、社会は、そのひとりひとり違う人間で構成されている、なんて、これこそ当たり前のことですが、当たり前だから気づかないこともあって、だから、ノーマライゼーションとかバリアフリーという言葉が必要になるのかもしれません。ひとりひとり違うみんなが、一緒に育つことで、ひとりひとりが輝いて欲しいと思います。「あなたも、あなたも、そのままでとってもステキな子どもだよ。だから自信を持って」と、伝えたいと思うのです。

ひとこと

 小学校では、6月下旬からプールが始まりました。スクール水着を改造しようかと思ったのですが、結局、またボランティアさんに紺色の布で作っていただきました。日差しの強い暑い日も、小雨模様の日も、プールに入っています。肩が真っ黒になりました。

 学校のプールの横(短い方・10メートル)を先生に体を支えて進んでもらい、伏し浮きで、息継ぎ1回で泳いだそうです。私とプールに行く時は甘えているのか、そんながんばりを見せてくれないのに。友達の真似をしているのでしょうか。望なりのプライドでしょうか。いちど見てみたいものです。

プールボランティア(NPO)の

 お兄さん(?)お姉さんと遊んだよ。

あちこちのプールに出現している望です。

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