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のんちゃん 便り

第56号 2000年 9月     文:向井 裕子

夏休み

今年の夏は、恒例のキャンプには参加できず、毎年参加してきた先天性四肢障害児父母の会の全国総会も欠席の予定で、夏休みが近づいても、スケジュール表にあるのは、定期通院と訓練の予定くらいでした。暑いからといって、望は、朝から家でじっと過ごすような子ではありません。日曜であろうと関係なく早くから起きて、「ガッコ!」と叫んでいました。初めての小学校の長い夏休みをどうやって過ごそうかと思っていました。

そして、夏休み。8月2日までは、9時から1時間小学校のプール開放に参加して、その後は、いきいき教室に行きました。いきいき教室事業は、小学校の余裕教室で行われている放課後児童健全育成事業で、いわゆる学童保育のようなものです。大阪市のほとんどの小学校で行われており、望の通う小学校では今春から始まりました。望は、6月末から少しずつ参加を始めました。夏休みには、お弁当を持って昼食後まで参加することにしました。いきいき教室の指導員さんたちが、学校で、介助バイトをされているので、安心してお願いすることができました。

8月4日から21日の間は、度々、アイスノン持参で、電車やバスに乗って外出しました。望はルンルンでしたが、この頃は、電車に乗るだけでは物足りないようで、下車すると『なにか食べよう』と、右腕を口に持っていって合図してきます。段差が無く、店内が広いレストランに入ります。レストランで昼食を始めると、望は、左肩を頬にトンと当てて『おいしい』と私に伝え、幸せそうでした。これくらいで幸せになれるなんて、とっても素敵なことと思いました。

12日、13日は、家族3人で三重まで行きました。12日は、伊賀上野忍者屋敷に立ち寄り、その後、知人を訪問しました。三重では、友人のお宅に泊めていただきました。おいしい夕食をご馳走になり、みんなで花火をして楽しみました。翌日は、鈴鹿サーキットまで遊びに行きました。暑くて望の身体を心配しましたが、遊園地の乗り物がとても気に入ったようで、昼食後、帰ろうとすると帰りたくないと怒っていました。短かったけれど、望が楽しく疲れない行程で、私も懐かしい顔に会えて、とてもうれしい旅行でした。

夏休みの最後は、また、いきいき教室に通いました。散歩や公園に連れて行ってもらったり、友達と遊んだり、保育所に近い感じがあるのか、望は、朝、弁当を確認してうれしそうに出かけました。

27日には、昨年に続き神戸の「ひまわりコンサート」に行きました。今回はリハーサルから見学させていただきました。とても温かなコンサートです。後半、子ども達がステージに上がり皆で「おもちゃのチャチャチャ」を歌い演奏しました。望も鈴を手に持ってうれしそうでした。楽しい一日となりました。

長いと思っていた夏休み。意外と短く感じられました。7月下旬は、体調が今ひとつで心配しましたが、とても元気な8月でした。早寝早起き、充分な活動と休養、そして、栄養と言うことなしです。体力がついたこともあると思いますが、午後は2時間近い昼寝をして身体を休めたことが良かったと思いました。食欲もあり、毎朝、右腕をぐるぐる回して『納豆』と要求します。元気のもとは朝の納豆だったのかもしれません。

交通バリアフリー

 今年の春(5月10日)に交通バリアフリー法が制定されたので、この夏休みは、いろんな交通機関を使って回りました。

最もバリアが高いと感じているJRも利用してみました。JR大阪環状線の京橋駅、鶴橋駅は、駅員さんが車椅子に慣れている様子で、対応も良かったです。大阪駅、立花駅、神戸駅は、駅員さんは親切でしたが、ハード面の不備をカバーするまでには至りませんでした。一番厄介なのが、切符の購入です。望は、身体障害者手帳で、旅客運賃が壱種とされているので、望と介助者一名は料金が半額になります。「子ども料金の半額」が、券売機で買えないために、本人と介助者との切符を緑の窓口で発行するのです。夏休みで行列の緑の窓口に、わずかな近距離の切符を買うために並び、改札では介助の駅員さんが来てくれるのを待ちます。慣れていない駅員さんもいて、切符の発行に時間がかかることもありました。大阪駅などは、私が切符を買う手順がわからなかったこともあり、改札付近に着いてからホームまで15分以上かかり、目的の電車のドアが目の前で閉まってしまいました。優遇されているのだから、我慢しなければならないのかもしれません。でも、「子ども料金の半額」と「それに費やす時間」とを天秤にかけると、車椅子で駅員さんに手間をとらせるのですし、券売機で「子ども料金」の切符を買おうと思ってしまいました。

市営地下鉄は、エレベーターの整備が進み利用しやすいです。ただ、車椅子対応のエスカレーターだけの駅では、対応に時間がかかる上、その間は他の乗客がエスカレーターを利用できないので、肩身の狭い思いをしました。駅員さんは、大概親切でした。こればかりはいろんな人がいるから仕方ないですね。市バスは、車椅子対応でなくても、子どもだからか乗せてくれました。運転手さんと私とで車椅子を上げました。車中では、車椅子にブレーキをかけ、望は抱っこして座りました。

私鉄は、会社や駅によりまちまちです。一番いらいらするのが、京阪電車の京橋駅。エレベーターはあるのですが、エレベーター専用の改札口で、券売機から遠いのです。そして、下車駅にはエレベーターの付いていない駅が多いので、駅員さんが行き先を聞くべきなのに、改札は無人です。介助者用の半額料金の切符を入れると「ピンポン」と鳴って通れず、その度にインタホンで連絡します。その上、エレベーターが他施設と共用になっているため、待ち時間が大変長いのです。また、下車駅への連絡忘れもありました。

腹が立つことあり、「気をつけて」の一言に顔がほころぶことありでした。大阪、京都、神戸とうろうろして、多くの人の手を借りて、少しは草の根運動になったでしょうか。

ひとこと

 8月31日。「保育所でともに生活し、ともに育ちあってきた関係を学校にもつないでいきたい」という大阪市立保育所の5歳児担任集会で、私の体験談を話す機会がありました。100名を越える保育士さん達が集まってくださいました。大阪市の統合保育は、こんなふうに歴史を刻んできたのだなあと感じました。全国的に、親の選択により入所(園)でき、障害児もひとりの子どもとして受け入れ、ともに育つことを大切にする保育所(園)や幼稚園が、増えてほしいと願っています。

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