のんちゃん 便り
第57号 2000年 10月 文:向井 裕子
よ~いドン
10月1日(日曜日)に望の小学校で運動会がありました。前夜は雨で、夜中に望に起こされる度に雨音に耳を澄ましましたが、ずっと降っていました。明け方にようやくやみました。グランドコンディションは最悪ですが、決行です。望の小学校初めての運動会です。
最初は、入場行進。赤い車椅子に乗って1年白組の先頭にいる望は、すぐに見つけることができました。1年生から6年生までが一緒になって、赤組と白組に分かれて競うのです。入場行進している望を写真に撮ろうと保護者席の前列に行くと、望は、こちらを見て手を振りました。近所の方も、望ちゃんが手を振ってくれたと言っていました。望は、観客席ばかり見ていたようです。
1年生の最初の演技は、団体演技「モンキーマジック」です。チェッチェッコリーの曲では、担任の先生に抱っこしてもらい、手でリズムをとって踊っていました。背の高い先生の頭の上まで持ち上げてもらい、きりんになったり、友達と列を作ってジェットコースターになったりして、楽しそうでした。モンキーマジックの曲では、如意棒を手にベルトでつけてもらい、養護学級の先生に抱いてもらい踊りました。だんだん重くなって、抱っこで踊れるのもいつまでできるのでしょう。
次の演技は「よ~い ドン!」。30メートル走です。望は、ジョイスティックカーで走る予定です。前夜の雨で一番心配していたのが、グランドをカートが走ることができるかどうかということでした。1輪駆動のおもちゃのカートですから、天気の良い日でさえ、グランドの砂にタイヤをとられ蛇行するのです。雨をいっぱい吸い込んで、その上、でこぼこになったグランドを見ながら、私は、朝からそればかり心配していました。30メートル走をカートで走ることが決まった時、ゆっくり歩く速さのカートでは競走しても面白くないと思い、高専の先生にカートのスピードアップをしていただきました。望の勇姿を見ようと、高専の先生も運動会に来て下さいました。競技の直前に、コースが整備され白線が引かれました。グランド状態を心配していらした教頭先生は、自ら大きなT字型のブラシを引っ張って整地してくださいました。1組目がスタートしました。身体の不自由なRちゃんがポニーウォーカーでがんばっています。私は、ゴールが一番よく見える場所で、Rちゃんに心の中で声援を送りながら、望の番を待ちました。6番目のスタートです。心臓がドキドキしています。
よーいドン。他の子ども達は、一斉に駆け出すのに、望は動きません。やはりカートが動かないようです。少し動いて、また止まる。蛇行した時に軌道修正をするために横についている先生が、望の手をジョイスティックに持っていくのが見えて、動かなくて操作を拒否しているのかしらと心配になりました。他の子は、もうゴールしています。望は、まだ10メートル程しか行っていません。時間だけがどんどん経っていくように思いました。「こんな状態でゴールまで行ったら大ヒンシュク。次の組がスタートするのかしら」と思った瞬間、望のカートが走り始めました。走り始めると一気にゴールしました。高専の先生と、まるでプロジェクトチームが成功を祝うかのように「おめでとう」とお互いに言いあって、握手しました。「よかった~」とホッとしました。来年は、電動車椅子で、ドキドキすることなく見られたらいいなあと思いました。後で、担任の先生が「後ろから見ていたら、タイヤが空回りしていて、なかなか進みませんでした」と、そして、保育所の保育士さんが「のんちゃん、手を振ろうとしていて、手を振るとジョイスティックが押せないし、押すと手を振れないしという状態でした」と、スタート時の状況を教えてくださいました。担任の先生の話を聞いた時は納得しましたが、保育士さんの話を聞いた時は「手?観客に手を振ろうとしたの?」と呆れました。やはり望は、役者向きでしょうか。
最近の小学校の運動会は、「家族でお弁当」ではないのです。児童それぞれが弁当を持って行き、教室でクラスの皆で食べます。午後の1年生の演技は、赤白対抗玉入れでした。おもちゃのスコップを手にベルトで付けてもらい、それに白い玉を乗せて投げました。でも、降ってくる玉が怖かったようでした。
どの演技も、望なりにがんばりました。前夜の雨とはうって変り、厳しい日差しの暑い日となりました。望は、日焼けして赤くなりました。介助バイトの方が、望の身体を気遣って、教室で休ませようとしてくださっても、皆のところに行きたいと訴えてなかなか休憩しようとしませんでした。導尿のたびに、腕で頭を差して「赤白帽かぶせて!はやく、はやく!」と訴えていました。本当に皆と一緒が大好きなのだと改めて感じています。運動会までの日々は、体育が毎日あって、皆とダンスしたり競争したりして、はりきっていました。運動会当日も、元気で楽しそうに参加しました。他の養護学級在籍児も、友達と一緒に、楽しそうに踊ったり、一生懸命頑張る姿があったり、いきいきとしていました。いい運動会でした。
運動会の後で、夫が「孫でも見に来たのか、きれいな身なりをしたおばあちゃんが、望のことを変な目で見てた」と笑いながら言いました。なぜ笑いながら言えるのか。それは、私達が地域で暮らしていくことを選んだからです。歳をとった人の長い年月にできあがってきた価値観を変える事は難しいと思っています。歳をとっていなくても、優生思想に目隠しされて、そのままの望をまっすぐに見ることができず無視する人もいます。でも、いろんな人がいる地域で暮らしていく覚悟をするということは、いろんな人を受け入れる、いえ、たとえ受け入れることができなくても否定はしないということだと思っています。都合のいいことに、私は、そんな事あったっけ?なんて、いやな思いはすぐに忘れてしまうのです。望との暮らしの愉しさがそうさせているのかもしれません。
ステキな出来事や言葉は、心にしっかりと残ります。保育所の担任だった保育士さん達や、いろんな場面でお世話になったボランティアの方々が見に来て下さいました。望は幸せな子だと思いました。そして、高学年のお姉ちゃんに「のんちゃん、カート頑張ったな」と声をかけられたり、入場門に並んでいるリレー選手のお兄ちゃんに「のんちゃん、頑張るから応援してよ」と言われたり。そんな場面に出会う度、私は、心が温かくなって、人々の中で暮らすことの幸せを感じました。
お留守番
日本社会福祉士会から送られてきた全国研修の案内を見ながら、私は「あーあ、大阪での研修の時、望の用事が入ってるわ。でも、受けたいなあ。広島だったら行けるかなあ。新幹線で往復できるかなあ。無理かなあ」とつぶやきました。夫が、ひとこと「行ってきたら」と言いました。私は、思わぬ事の展開に驚きました。「でも、きっと無理」と思いながら、とりあえず申込書を送りました。
研修日が近づいて、私は、どの新幹線に乗れば日帰りで、2日間往復できるかを考えました。初日の研修が終わるのが午後6時半、翌日始まるのが午前9時。かなり厳しいスケジュールです。「のぞみに乗れば、行けるかなあ」と時刻表とにらめっこしている私に、また夫が「泊ってきたら」とひとこと。
会社員の頃は、出張でホテルに一人泊まることがよくありましたが、望が産まれてからは、望を置いて外泊など無理と思っていました。特に、望が、夜中に起きた時にお茶をもらうのは「母」と決めてしまった頃から、私は、夜に望から離れる事はあきらめていました。先輩の母達が、一人旅や友人と旅行に行った話をうらやましく聞いていました。いつになったら、そんなことができるのだろうかと、ため息をついて、そんな日を夢見ていました。
私は、夫に「望を置いて一人で泊まるなんて無理」と答えたものの、「いや、できるかも」と思ったのです。夜の留置カテーテルは、夫も手順を覚えてできるようになりました。望は、夜中にお茶をもらうのは、「お父さんでも大丈夫」になっています。後は、望が起きて泣いた時、夫がちゃんと起きてくれるかどうかです。かつて、夫に週末何度か望の隣で寝てもらったことがありましたが、望が汗だくになって泣いても起きず、結局、私が起きてお茶をやり着替えさせなくてはなりませんでした。今では、替わってもらうことはあきらめました。「夜中、ほんとに起きれる?」と私は何度も念押ししました。「なんとかなるって」と相変わらず楽天的な夫です。
そして、私の広島行きが決まりました。9月9日、新幹線のホームまで夫と望が見送りに来ました。望が泣いたらかわいそうと言ったのに、夫が連れて来てしまったのです。新幹線を待つ行列に並んでいる私を見つけた望は、「おいで。おいで」と手を振りました。私は、心が痛みました。やがてドアが開き、乗客が新幹線に乗りこみ始めると、望はようやく私に「バイバイ」をしてくれました。新幹線の窓越しに、また「バイバイ」をしてくれ、胸をなでおろしました。後で夫に聞いた話では、ホームを出る時になって泣いたそうです。自動販売機の缶ジュースを買ってやったら、機嫌がなおったとか。そういう納得のさせ方は、いやだなあと私は思いましたが、夫にまかせたのですからしかたありません。
夜、ホテルに着いて、すぐに自宅に電話をしました。「とってもご機嫌」と夫が言って電話を切りました。ちょっぴり寂しいと思いながらも、今日は、たっぷり寝るぞとベットに横になりました。ところが、夜中に目がさめてしまうのです。若い頃は、どんな所ででも熟睡できていた私です。熟睡できない身体になってしまったのでしょうか。以前、医師に言われたように、精神安定剤でも飲んで寝なければならないのかもしれません。あ~あ、貴重な夜が明けてしまいました。
翌日、帰宅しても、望はいつもと変わりありませんでした。夜中にどういう状況だったのかは知りませんが、とりあえず命に別状なさそうです。ただ、排便が夫ではできないので、帰宅してすぐに私が排便させました。望の初めてのお留守番は、拍子抜けするほどスムーズでした。これに味をしめた私は、早速、来年友人と一泊旅行をする約束をしました。