見出しへ戻る

のんちゃん 便り

第58号 2000年 11月     文:向井 裕子

追悼 天音様

山口天音ちゃんが呼吸停止で入院したと聞きました。身体がだるくて腰痛もひどく、最悪の体調だった私は、ズーンと落ち込んでしまいました。FAXが届く度に、山口平明さんからかとドキリとしました。私には、祈って待つことしかできませんでした。「退院したよ」という報告を。祈るって何に?神を持たない私には、何にかはわからないけれど、わからない何かに向って、心の中でただただ祈るしかありませんでした。

天音ちゃんが亡くなった報告が「わ・はは」の仲間からありました。お通夜とお葬式に、それぞれが行くことを連絡しあいました。祈るしかなかった日々。そして、天音ちゃんを精一杯に見送ることだけが、その時の私にできる唯一のことでした。ご近所の人に望を預けてお通夜に行きました。後で、夫が望を連れて駆けつけて来ました。お通夜の席には、線香の匂いはなく、19才の女の子らしく、白い花を皆が献げました。山口ヒロミさんが、「あの人は最期までとっても親孝行な子でした。病室の窓の外にはまっ青な空が広がって…」と天音ちゃんが逝った時のことを話されました。そうでした。あの日は、とてもいいお天気でした。私は、がっかりすることがあって、外に出て大きなため息を一つついて、空を見上げました。「あぁ、きれいな青空だ。さぁ行こう」と気を取りなおして、時計を見ると11時でした。天音ちゃんが逝ったすぐ後の空を仰いでいたのでした。「あの空を見ながら、天音ちゃんは逝ったのだ」とヒロミさんの話を聞きながら、病室の美しい光景が目に浮かんで、涙がボロボロこぼれました。天音ちゃん、あなたとヒロミさんは、ずっとわたし達のお手本だったけれど、最後の最後に、あなたはすごいお手本を見せてくれましたね。誰にも真似ることのできないお手本。本当にありがとう。

翌日、お別れ会で、ヒロミさんは、「天音をここまで生かしたのは、こんなにたくさんの皆さんが天音を支えてくださったから」と挨拶されました。「障害児を美化することは、おかしい」と私に教えてくれたのは、ヒロミさんでした。でもね、ヒロミさん、皆を支えていたのが天音ちゃんだったと、私は思います。だから皆こんなに悲しいのです。美化するつもりはないけれど、不思議な力を感じています。お通夜にもお別れ会にも、たくさんの人が来て泣きました。物言えぬ、わずか8キロにも満たない少女のどこに、こんなに多くの人をひきつける力があったのか。本当に不思議の天音です。

生きてきたのは、天音ちゃんの力、それを支えてきたのがヒロミさんと平明さんです。

ヒロミさんが言いました。「なんだか夢をみていたみたいなのよ。だって、楽しかったことばかり思い出すんだもの」と。天音ちゃんを抱きつづけた19年間を振りかえれば、思い出すのは楽しかったことばかりというのです。天音ちゃんは、なんてステキな人をお母さんに選んだのでしょう。

天音ちゃん、ゆっくりと休んでください。

<天音本、3冊ご紹介>

「寝たきり少女の喘鳴(こえ)が聞こえる」

   文・絵 山口ヒロミ 自然食通信社

「娘天音妻ヒロミ」 山口平明著 

「不思議の天音」山口平明著、山口ヒロミ画 

      2冊とも ジャパンマニシスト

7才

望、7歳になりました。元気に通学して、楽しい日々を過ごしています。誕生日には、おじいちゃんとおばあちゃんが、大きな鯛と赤飯を持って来てくれました。今年は、5人で食卓を囲んでお祝いです。ケーキのロウソクも1人で消すことができました。

10月には、学校でいろんな行事がありました。運動会は、前号の通りです。遠足もありました。春の遠足は、近くの緑地公園だったので、私が導尿の度に自転車で行きました。でも、今回は、電車に乗って動物園まで行きます。「望だけが親子遠足かしら」と嘆いていたら、養護学級担任の先生方が導尿の方法を習得してくださり、先生に導尿をお任せすることができました。望は、母から離れて、しっかり友達と楽しんできました。

また、ウォークラリーもありました。1年生から6年生までが一緒に小グループを作り、近くの緑地公園で、オリエンテーリングをするのです。6年生のお姉ちゃんが、望の車椅子を押したり、導尿中も待ってくれたりして、よく皆をまとめてくれたとのことでした。

参観日もありました。今回は、算数でした。授業の最初の問題は、「9+3」でした。1年生では、「9に1を足して(10にして)残りの2で、12」と習います。先生が黒板にブロックを9個と3個並べて、ブロックをどう動かせば良いのか質問されました。たくさんの子が勢いよく手を挙げました。ふと見ると、望も手を挙げています。「おいおい」と私は苦笑いをしました。担任の先生が、望が手を挙げているのを見て、「向井さん」と当ててくださいました。先生に抱っこされ、黒板のブロックを一つ動かしました。それから、皆の方を見て右手を挙げて、『これでいいか』と聞いているのか「あーっ」と、大きな声を出しました。先生が代わりに「いいですか」と言ってくださいました。お友達が「いいでーす」と言うと、満足そうに右手を前後に振りながら席に戻りました。

この頃、望はとってもはりきっています。体操服を着たり赤白帽を被ると楽しいことがあると思うのか、洗濯干しにあるのを見つけると、『着せて』とうるさいくらい訴えます。勉強もこれくらい熱心だといいのですが。下校時に「今日はよく勉強をしました。体調が良くないのかもしれません」とか、「素直に勉強しました。体調が下り坂でしょうか」などと、介助してくださる先生から、それもいろいろな先生から、言われることがありました。まあ、普通、みんな勉強は嫌いですから、望は正直ということにしておきましょう。

ある方が「のんちゃんに久しぶりに会ったら、相変わらず『フンッ』されたわ。でもな、のんちゃんは今のままでいいと思う。あの子は、人生を楽しむことを知ってる。頑張る時には頑張れる子だし」と言ってくださいました。「望、7才、おめでとう!」

ひとこと

気がつけば、もう11月でした。スケジュール帳は真っ黒で、本当にたくさんのことがあった長い長い10月でした。望は元気ですが、私は疲れもあるのか体調がすぐれません。

10月には、市立の子ども園(通園施設)でお母さんたちにお話をさせていただいたり、福祉の専門学校の学生さん達とメッセージのやり取りをしたりしました。出会いと別れと。

天音ちゃんとお別れをした10月18日は、私が初めて望に会った日でした。

57号 見出しへ戻る 59号