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のんちゃん 便り

第59号 2000年 12月     文:向井 裕子

紐落し

 3才の時に、七五三のお祝いをしました。おじいちゃんおばあちゃんが来てくれて、初めて揃って記念写真を撮りました(内容は第11号、写真は第12号、参照)。その時に、望の成長のお祝いは、きちんとしていってやりたいと思いました。どんな子どもであろうと、親は、子どもの成長の節目の行事を堂々と喜び祝っていいのだと思いました。

 望は、10月で7歳になりましたから、今年、七五三をすることにしました。着物を着せて、写真屋さんで写真を撮ってもらった3才の時、望は泣いて大変でした。確かに写真はいい記念になりましたが、今回は我が家のカメラで素人写真とすることにしました。着物もやめておこうかなあと思ったのですが、3才の時の赤い着物の可愛らしい写真を見て、やはり着物がかわいいと思いました。子どもは親の着せ替え人形じゃないと叱られそうですね。でも、望も少し成長したので、大丈夫だろうと思いました。そして、今回もボランティアさんが着物を貸してくださるとのことでしたので、お言葉に甘えてお願いすることにしました。女児の7才のお祝いは、紐落しというようです。幼児の付帯をやめ、初めて帯を用いるお祝いだったようです。という事は、望は幼児を卒業するわけです。どんな少女になっていくのでしょう。

 11月5日。お天気を心配していましたが、暖かないい天気になりました。貸していただいた着物は、何十年も前のを大事にとっていらしたもので、とてもステキな柄でした。ボランティアさんに着物を着せてもらい、歩いて近くの氏神さんにお参りに行きました。望は、着物を着る時は、少し心配そうでしたが、お父さんに抱っこされて歩き始めると、ご機嫌で大きな声を出してはしゃいでいました。でも、神社に参りおはらいをしてもらう間は、神妙にしていました。今は静かにする時といった状況判断がよくできるようになりました。

 神社で、やはり紐落しのお参りに来ていた同じクラスの女の子に会いました。「のんちゃん」とお友達の方から声をかけてくれました。お母さんは、参観日でお目にかかったことがあると思い出しました。保育所の時は、保護者間の交流が活発でしたが、小学校では、参観日に会う程度で、なかなか会話もできません。お母さんが「一緒に写真を」と声をかけて下さり、とてもうれしかったです。「娘の友達の望ちゃん」として見ていただいたのだと思いました。きれいな着物を着た二人が並んだ写真は、本当に可愛らしいものでした。 お参りから帰ると、着物を脱いで、刺身の好きな望のためにお寿司をとって、ケーキも食べて、お祝いしました。

 それから後、しばらくの間、望は、外出しようと私を誘う時に、ほっぺたを右腕でパタパタして、『おしろいをして』と言っていました。鏡台に連れて行き、おしろいと口紅をつける真似をすると納得していました。お祝いの日が、よほど楽しかったのでしょう。

パートタイム

望を産んで、定年まで続けるつもりだった仕事を辞めて、約7年が経ちました。望が産まれてからの初仕事は、「障害をもつ子を産むということ」(中央法規出版)の本に載せる原稿書きでした。(これは、この春、某国立大学医学部の入試問題に使用されていました。医師を育てる方が親の気持ちを受け止めてくださったとありがたく思いました。)その後、講演会で話をさせていただくこともありました。本も話も、望を産んだ体験や望を育てている日常についてのものでした。望のために仕事を辞めて、望のおかげで仕事をしているような、ちょっと複雑な気持ちでした。

この春、福祉の専門学校で、非常勤講師をしないかと誘ってくださった方がありました。社会福祉士の資格がいかせると、ありがたく思いましたが、望の導尿に通う日々に、そんな余裕はないと考え、お断りしました。いつになったら、自分のやりたいことがはじめられるのだろうと思って半年以上が過ぎました。

学校生活での望の導尿を先生と私が頼んでいる訪問看護の看護婦さんとにお任せできるようになってすぐに、社会福祉士会の方が「仕事できる?」と声をかけてくださいました。少し充電期間をと思っていたので迷いましたが、関心のある所でしたし、自分の都合を言ったらいいからと言われて、あまりのタイミングの良さに「これも縁かな」と、引き受けることにしました。

仕事先は、小規模作業所です。私が行っているのは、主に知的な障害を持った方々が通って来られて、作業をしたり、リクレーションをしたりして過ごす所です。地域で暮らす障害者が多いこともあり、大阪には、多くの小規模作業所があります。11月から、週1度、10時から15時まで通って、通所される方々と一緒に作業をしたり、食事や排泄の介助をしています。

友人が「仕事って、コンピュータの?」と聞きました。「もうその仕事はできない」と答えました。コンピュータを使い、在宅で仕事ができる環境はできてきました。でも、もう私には、技術的に厳しいですし、戻る気持ちもありません。ただ、望を産むまでのF社でのハードな仕事があったから、私がここまで頑張れるのだと思っています。別の友人が「それって、社会福祉士じゃなくてもできる仕事やろ。パートのおばちゃんでもできるやろ」と言いました。そうです。パートのおばちゃんにいろいろと教わりながら一緒に仕事をしています。私もパートのおばちゃんです。社会福祉士会の先輩が「職種ややっている仕事で専門性は決まるのではなく、その実践の質である。与えられた役割をどう活かし、自分しかできない仕事に変えていくプロセスの中に社会福祉士としての専門性がある」と、教えてくださいました。専門性を持ったパートタイマーもありと私は思います。

どんな人の命も同じに尊いと、望が教えてくれました。エラそうな人になりたくはありません。いつも「のんちゃんのお母さん」であることを忘れたくないと思います。週に1度通っているだけで、多くのことを感じ、様々なことを考えさせられています。12月からは、週2日通う予定です。私なりのサポートをしていきたいと思っています。

ひとこと

 昨年から、我が家の電化製品が壊れ始めました。10年以上経つと寿命が来るのでしょうか。10月には、15年間使ったテレビが壊れました。それ以来テレビのない生活をしています。結構快適です。

どう? かわいいでしょ。

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