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のんちゃん 便り

第63号 2001年4月

壺中一萬年祭2001

昨年の3月に、劇団「態変」の「壺中一萬年祭」に出演しました。(第51号参照)

2000年を境に3年間行われた大阪演劇祭は、今年で終わりですから、その連携企画である「壺中一萬年祭」も今年が最後です。

昨年の「壺中一萬年祭」が終わってから、劇団「態変」発行の「イマージュ」という冊子に感想を寄せた方がありました。それを読んで、私は、複雑な気持ちになりました。舞台に登場した望を見て、涙が出たと書いてあったのです。そして、最後には、身体が美化されているように書いてありました。「望は、哀れみや同情の対象でもなければ、美化されるべきものでもない」と思っていた私は、「態変」主宰の金満里さんにEメールを送りました。何回かのEメールのやりとりがあり、「望が出たこと」は、間違ってはいなかったと、確信しました。その内容が、また「イマージュ」(VOL.20)に載りました。

そんな出来事の中で、「もう1回挑戦してみよう」という思いが湧いてきました。でも、毎週の稽古に付き添うのは、とても労力の要ることです。迷った結果、「望が出たいなら、やろう」と思いました。ある方が、「日々がお祭りよ」とおっしゃいました。「そうだ。今まで望には、いろんなことがあった。私も、しかり。きっとこれからも、いろんなことがある。人生、お祭りみたいにいこう。祭りだ、祭りだ、壺中一萬年祭だ!」と、単純な私は、思ったのでした。望にオーディションの意味は、わからないと思いますが、「望が決める」のだから、オーディションを受けることにしました。

オーディション当日。大阪駅近くの体育館に、たくさんの障害者達が集まって来ました。前回の「壺中一萬年祭」で、ご一緒した方々もいらっしゃいました。望はよく覚えていて、懐かしい顔を見つけては、「アーッ」と大きな声で呼びかけていました。オーディションが始まりました。「あっちまで行くんだよ」と教えると、望は『うん』と答えるのに、床に下ろすと動きません。「帰る?」と聞くと『いや』と答えるのに、ガンとして動きませんでした。『今、ここで動くのはいや』ということでしょうか。ここまで石のように動かなかったら、不合格まちがいなし。続いて、「役者さんと一緒に動く」ことをしました。これは、動きました。その結果、オーディションは合格。今年もエキストラで出演することになりました。

稽古が始まりました。題名は、昨年と同じですが、内容は異なります。今回、望は、他のエキストラに誘導してもらって移動することになりました。それに甘えたのか、なかなか自分で動こうとしませんでした。私は、もっと演技して欲しいなあと思いながらも、稽古日は過ぎていきました。

昨年の公演から1年が経って、望も少し成長しました。今回は、夜公演3回、昼公演2回の5回全公演に出ることにしました。夜の公演は、7時開演です。望の出番の8時過ぎは、ちょうど望の就寝時刻です。「まさか舞台の上で寝はしないだろうけれど、動きが悪いかなあ。連日の公演に身体が持つかなあ」と、無謀なチャレンジを後悔したりもしました。今回の望の目標は、「全ての公演に出る」ことにしました。その上で、いい演技ができたらいいなあと思いました。今年の冬は、望はよく風邪をひきました。私もよくダウンしました。稽古も3回ほど休みました。親子ともども、体調に気をつけ、本番を迎えました。

初日の22日(木)は、登校日でした。毎年クラス替えがあるので、1年1組の友達ともお別れです。休ませるのはかわいそうと思い、学校に行かせました。早退をして、楽屋入りをしました。初日なので、しっかりとリハーサルがあるのです。私は、エキストラが登場する「祝祭」の場面のリハーサルを観客席で観せてもらいました。

「祝祭」場面のリハーサルが始まってすぐに、私は「あらーっ」と思いました。今回の「壺中一萬年祭」は、舞台奥の幕が開いて、観客を凝視するエキストラ達が現れ、それから客席に向って出てくる(壷から出てくる)という設定なのですが、幕が開き、エキストラ達が前に出る直前に、舞台中央に桜の花びらが、はらはら落ちる演出があったのです。これは、稽古の時には無かったことでした。案の定、望は、落ちてくる桜の花びらを驚いて見つめていました。望を誘導するエキストラの方が、右腕を突っ張って動こうとしない望に困っていらっしゃいました。

リハーサルが終わって、楽屋で、金満里さんが「望が動かないなあ」と私におっしゃっいました。私は、「はい。花びらが降ってきたでしょう。望は、降ってくる物が大の苦手なんです」と説明しました。「えー。毎日降ってくるでー」と金満里さん。「リハーサルを繰り返しているうちに、少しずつ慣れているようなので、大丈夫とは思いますが…」と、ホントに大丈夫かしらと、ドキドキしながら私。本番では、疲れと怖さのためか、動きはいいとは言えませんでしたが、なんとか無事に終わりました。

23日(金)は、終業式でした。昼寝をさせてから楽屋入りしました。23日の夜公演、24日(土)の昼公演も、動きは今一つでした。でも、昨年までの望なら、繰り返されようが、諭されようが、『怖い物は怖い』と、降ってくる桜に全く動かなかったと思います。大勢の観客の観ている舞台の上で、苦手なことを乗り越えたと、私は思いました。24日は、昼と夜の2回公演なので、昼寝をさせたかったのですが、興奮していて寝ませんでした。夜公演では、たまりで、声を出してしまいました。その公演は、夫が観ていて、幕の中から望の声が聞こえたそうです。「舞台では、よくやっていた」と言っていました。

25日(日)は楽日でした。あいにくの雨でした。狭い楽屋は、大変な状態です。早く準備のできた望は、舞台でリハーサル開始を待ちました。朝からよく動いて大きな声を出して元気でした。この日もたまりで声を出してしまいました。出番になって、舞台袖から観ていると、望は、手をトントンしたり、お尻を動かしたりして、演技をしていました。金満里さんにも誉められました。

望は、たまりで声を出したり、動きが今一つの日が多かったりして、お客さんには申し訳なかったです。でも、全ての公演に出て、苦手なことも乗り越えて、最後の公演では、しっかりと演技できて、よくやったと、私もたくさん誉めてやりました。望自身、きっと何かを感じ取ったことでしょう。観客の方々に何か感じていただけるものがあったら幸いに思います。

私も、たくさんのことを感じ学びました。役者やエキストラ、介護者との交流もありました。ある稽古日の休憩時間、差し入れの手作りケーキをおいしそうに食べる望に、「がんばったら、こうやっておいしいのがもらえるんだよ」と私は冗談ぽく言って、「なんて教育したら、あきませんね」と笑うと、周りにいた役者さんや付き添いのお母さんが、「そうそう。ケーキは、頑張っても、頑張らなくても、皆がもらえる」とおっしゃいました。同じ価値観を共有しているようで、私はうれしくなりました。また、役者さんとピアカウンセリングについて語り合う機会もありました。それから、舞台が終わった時、エキストラ仲良し2人組が話してくれました。「わたしら、本番の前に話し合ったんです。思いきり楽しもうって。」

エキストラ達に、出演料はありません。それでも、自宅から施設から、たくさんのエキストラ達が出てきて、金満里さんの厳しい稽古にもめげることなく、いきいきと舞台に上がります。彼らのエネルギーは、すごいです。大勢が舞台でうごめく「祝祭」の場面で、小さな望は踏まれてしまいそうに思えました。歩く者、座って移動する者、這うもの、ゴロゴロ転ぶ者、そんな様々な人の中で、望は潰されることなく居ました。誰もが輝いて居て、そこに私は、金満里さんの描こうとした桃源郷を見たように思いました。

ありがとう、壺中一萬年祭で出会ったみなさん。ありがとう、望。

ひとこと

「壺中一萬年祭」のあった翌週、家族で志賀高原までスキーに行きました。先天性四肢障害児父母の会のスキーキャンプに参加しました。春間近というのに寒波が来て雪が降り、途中、事故で高速道路が通行止めになっていて、1日がかりで到着しました。でも、季節外れの雪でゲレンデコンディションは最高でした。望は、母から離れて子ども交流会にいきいきと参加したり、ゲレンデでは、父と母の抱っこで子ども達と列を作って大喜びで滑ったりと、楽しく過ごしました。望は、舞台の疲れも見せず、スキーの疲れも出さず、新年度を迎えました。親の方が疲れ気味です。

昨年度、望は、欠席が8日と、周りの大人たちを驚かせる程、元気に学校に通いました。年々、丈夫になっていることがあるかもしれませんが、望の「学校に行きたい。友達と一緒にいたい」という思いの強さが、そうさせたと感じています。1年生の終わりに文集を持ち帰りました。1年1組の子ども1人1人が短い文章と小さな絵をかいていました。そんな小さな絵の中に、望を発見しました。描いてくれた子ども達の顔を思い浮かべ、この1年間のずっしりとした重みを感じ、心が温かくなりました。

さあ、2年生。2年3組になりました。クラスメイトも替わりました。始業式の日からたくさんの友達が望の周りに来てくれました。始業式の日は、周りの様子を観察して、おとなしくしていた望ですが、翌日からは、元気な声が出ていました。今年度、転任していらした男の先生が、クラス担任です。養護学級担当の先生も替わりました。どんな年度になるでしょう。望は、何をしでかしてくれるのでしょう。楽しみです。

今月は、発行が大変遅くなり申し訳ございませんでした。望や私達の体調が悪かったわけではありませんので、ご安心下さい。

壺中一萬年祭オーディション(撮影 未来)

 

お父さんの腕の中に、サングラスをした望が

  見えますか? もう重くて限界です。

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