のんちゃん 便り
第66号 2001年7月
がまん、がまん
望は、赤ちゃんの頃、父と母以外の人をなかなか受け入れませんでした。人見知りが早くから始まって、いつまでも続きました。療育センターに通い始めた1歳半頃はひどいものでした。全く母から離れることができませんでした。2歳になった頃から、ボランティアの方に、療育センターがお休みの日に遊びに来ていただくようになりました。これをきっかけに、人を信頼することができるようになればと思いました。ゆっくりと人見知りは落ち着いていきました。療育センターでも、母から離れ、友達に興味を示すようになり、集団での遊びが面白くなってきたようでした。でも、友達の中で、自分の欲求を出すことはできませんでした。
3歳になった頃、私に甘えて、離れると泣くようになりました。療育センターの保母さんが、「甘えたい時には甘えさせてあげた方が、納得して、離れるのも早いよ」と教えてくださったので、甘えたがるときには、充分に甘えさせるようにしました。保母さんのおっしゃる通りでした。保育所に通い始めた時、泣くこともなく、私から離れました。母と離れても必ず迎えに来てくれると、望が思っていると感じました。母が来るまでは、ここで楽しく遊ぼうと過ごしているようでした。療育センターの頃、積極性を引き出すことが目標でしたのに、保育所に入ってすぐに、大勢の友達の中で、自己主張をするようになりました。保育所の3年間で、望はすっかりたくましくなり、初めての場所で、初対面のボランティアさんに、欲求を伝えて遊ぶことができるようになりました。
小学校に入った時も、初日からいきなり私に「バイバイ」をして、友達と一緒に教室で過ごすことを受け入れました。35人以上もいるクラスで、先生とも初対面です。他の子でさえ不安そうな子がいるというのに、望は平然としていました。親ながら、我が子のたくましさに驚いたものです。嫌なことは、相手が誰であろうと『イヤー!』と拒否をしています。先日、「望は、勉強がキライなのに、なんであんなに教室が好きなのでしょうね」と私が言うと、養護学級の先生が「だって、のんちゃんは、嫌いな勉強は絶対しませんもの(注:楽しいと思った時は、しているのですよ)。すぐに楽しいことを見つけるんです。」と笑いながらおっしゃいました。
保育所生活を送っている頃から、病院も怖いところではなくなり、診察に協力的にさえなりました。体温が高くなりがちの望は、体温が体調のバロメーターになりません。時々、耳から血を少し採って検査をしてもらいます。最初は、大泣きしていましたが、だんだん我慢するようになりました。我慢しても泣いてしまうのですけれど、教えたわけではないのに、「こんにちは」といって検査室に入り、終わると、検査員に「ありがとう」と泣きながらも言うようになりました。
私は、昨年から少し仕事をはじめました。はじめるにあたって、私に仕事があって、望が体調が悪くて学校を休む日に預かってもらうよう、風邪の時などにかかっている近くのこども病院にお願いに行きました。私の厚かましいお願いを院長先生は快くうけてくださいました。お願いに行ったものの、体調の悪い望を1人にするのがかわいそうで、預けることができず、仕事先の理解もあったので、わずか週に1日2日の仕事なのに、休んだり、早退させてもらって看病をしてきました。
6月は、望の体調がすぐれませんでした。12日の朝、軟便をしました。いつもと変わらず元気そうだったので、学校に行かせ、私も仕事に行きました。学校では元気だった様子で、ホッとしましたが、夕方にまた軟便をしました。翌朝も軟便をしました。でも、この日の午後、私は、ある障害者福祉センターでボランティア講座を担当することになっていました。パスはできません。望は、元気そうに見えました。「行ってしまおう」と登校させました。ひどい親です。先生には、下痢気味であることと、私が仕事を休めないことを伝えました。昼過ぎ、障害者福祉センターの近くに行った時、緊急用に持っているPHSが鳴りました。養護学級の先生が「昼前、元気がなくグッタリしていましたが、給食頃から元気になってきたので様子を見ます」と状況を知らせてくださいました。講座が終わるとすぐに、学校に向いました。学校に着くと「先ほど下痢をしました」とのことでした。
下痢をしても、3日と続くこともなく、整腸剤を飲むのは嫌いな望です。お茶を欲しがり、食欲もあります。大丈夫そうです。でも、この状態で学校に行かせるわけには行きません。私は、翌日、障害者就労のことで、ある会社の社長さんと会う約束をしていました。午前中で済むことです。迷う暇もなく、私はすぐにこども病院に電話をし、事情を話し、明日の一時預かりをお願いしました。
翌朝、雨の中、こども病院に連れて行き、診察をしてもらい、望と一緒に病室に行き、看護婦さんと話をしました。望をベッドに寝させて、「お母さん、行ってくるね。待っててね。早く帰ってくるからね」と言うと、望は、ウンウンと頷き、私に右手を振ってバイバイをしながら――泣いたのです。嫌だけれど、我慢をしなければならないとわかっていたのでしょう。私は、後ろ髪をひかれながら、出かけました。
昼に病院に迎えに行くと、給食を出してくださっていましたが、望は食べないようでした。誰からでも食事をとる望なのに、よほど悲しかったのかしらと思って見ると、流動食でした。嫌いな薬も飲まされているし、警戒して、どうやら「訳のわからないもの」を食べることを拒否したようでした。野菜スープだけ飲ませました。そして、望に「さあ、帰ろうか」と言うと、望は、『いや』『ここで寝る』と言うのです。「えーっ」と私が驚くと、「ふふふっ」と笑いました。親をからかっているようでした。お母さんの負け!です。その日、下痢は止まりました。翌日、創立記念日で学校は休みでした。その翌日の土曜日は、参観日でした。無事、出席することができました。そういえば、昨年の土曜参観も体調が悪くヒヤヒヤだったと思い出しました。
親の勝手で、辛い思いをさせながら、「そうやって成長するんだ」と心で言い訳し、自分を納得させようとしている私です。望は、どう思っているのでしょう。『ホンマに勝手な母親だなあ。しゃあないなあ。がまん、がまん』と思っているのかもしれません。
ひとこと
身体が大きくなり抵抗力もついてきた望ですが、やはり、この時期は、安心できません。下旬も咳が続きました。7月になり、やっとプール授業に参加できました。先生方が、望のプールを心待ちにしてくださっていました。