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のんちゃん 便り

第69号 2001年10月

運動会は何日あるの?

9月後半はよい天気が続き、運動会の練習は順調に進みました。いうまでもなく、お祭り大好き少女望は、はりきって練習していました。自分の出る2年生の種目だけでなく、導尿が終わって教室に戻る途中、他の学年が練習をしていると、ちょっと見せてとばかりに先生を引きとめて、見学したようでした。いえ、見学というより、先生に抱っこをせがみ、廊下で一緒に踊っていたようでした。放課後も、高学年や応援団の練習を見ては、右腕で指して『行く』と訴えていました。全学年の演技を覚えているのではと、先生方に言われるほどでした。毎日練習が続き、体力的には疲れているはずですが、気合充分という感じで、楽しくてしかたないようすでした。

9月30日(日曜日)、朝早く起きて外を見ると曇りでした。天気は昼前から雨の予報が出ていました。望も早くから起きてきました。早朝に車で自宅を出発した私の両親が8時過ぎに到着して、望はみんなに見送られて、右腕をるんるんと振って登校しました。登校途中から、雨がぽつりぽつりとしてきました。雨は、ぽつぽつしたり止んだりで、運動会は行われることになりました。でも、雨は継続して降り始め、入場行進の始まる9時前には保護者席ではみんな傘をさしていました。

入場行進は、雨の中でした。降ってくる物の苦手な望ですが、何とか電動車椅子を操作して行進していました。今回の運動会は、入場行進とかけっこに電動車椅子を使用することになっていました。入場行進で望が止まってしまっては他の児童の迷惑になるのですが、先生が、電動車椅子の方が望がいきいきしているからと言われ、電動車椅子での入場行進となりました。だんだんと雨足が強くなってきて、準備体操の前に、運動会は中断されました。残念ながら2日後に延期となりましたが、田舎から出てきたおじいちゃんおばあちゃんは、望が電動車椅子で入場行進をするところを見ることができてよかったと、喜んで帰っていきました。望は、いきなり終わった運動会に物足りないようすでした。

10月2日(火曜日)、いい天気になりました。夫は仕事が忙しくて、せっかくの運動会なのに休みを取ることができませんでした。望は、午前中は、団体演技とかけっこに出ました。団体演技は、先生に抱っこしてもらい、棒(太鼓のばちのつもり)を手につけて、それを上げたり下げたりして真剣な表情で踊っていました。一生懸命さが伝わってくる演技でした。かけっこは、スタートしてすぐにみんなにおいていかれました。養護学級の先生がスタートに、担任の先生がゴールにいて見守って下さり、望はゆっくりのスピードでしたが、まっすぐに止まることなく無事にゴールまで行きました。1人でできることは1人で、友達とできるところは友達と、先生がいなければならない時だけ先生も、大人はなるべく手を出さないで目をかける、それが子どもの中で育つということなのだなあと思いました。午後は、大玉ころがしに先生に抱っこしてもらい参加しました。右腕で一生懸命に大玉を押しました。

望の通う小学校には、たくさんの障害児が在籍しています。開会式には車椅子が3台並びました。みんなと一緒に勉強したり遊んだりしています。連帯する力が希薄になったといわれる今の子ども達ですが、運動会を見ていてそれを感じることはありませんでした。いろんな子どもが一緒にいて、いろんなハプニングがあって、笑ったり怒ったりしながら共に過ごしていくことが、子ども達の心を育て、つないでいくのだと思います。

楽しかった運動会が終わり、翌朝、望は干してある体操服を見て『体操服、着る!赤白帽を被せて!』と訴えました。「今日も運動会するつもりなの。今年は、2日も運動会があったというのに。何日運動会するつもり、望は」と笑ってしまいました。望には、練習が始まったときからずっと運動会だったのです。望にとって、「みんなで一緒に、友達と一緒にする」ということが、本当に楽しくて大切なことと感じました。

先生が「お母さんは、ひやひやされたでしょう・・」と言われましたが、そんなことは全くなく楽しんで見ました。今回は電動車椅子を使うことで、途中止まってしまったり、行列を止めたり乱したりするようなハプニングが想定されたわけですが、そういうこともまたおもしろいと思えるほど、母はたくましくなりました。何でも楽しいことにしてしまうのは、私が望から教えられたことです。

電動車椅子GET!

この夏、望に電動車椅子の許可が出ました。身体的にも知的にも重度の障害をもつ望に、歳という年齢で、電動車椅子の許可が出たのは、早かったのかどうなのか、私にはわかりません。望が、電動カートに乗りはじめたのが3歳の時です。あれから4年半が経ちます。

最初は、ボタンを押して進むカートとジョイスティック操作で前後に動くカートでした。スイッチを使っておもちゃを動かし遊んでいた望には、そのスイッチとカートの動きの関係が理解できたようで、すぐに運転をしはじめました(5号参照)。やがて、直進だけでは物足りなくなりました。前後左右に動けるジョイスティックカーを作ってくれる人を探しまわり、高専の先生と学生さんに作っていただいたのが、6歳の時でした(47号参照)。改造は簡単といわれながら、実際に作ってくれる人がおらず、長い年月が経ちました。

望は、4歳の頃から、年に1回程度、兵庫県立総合リハビリテーションセンター(兵庫リハ)に行っています。そこには、四肢切断の外来診察のある病院があります。それまで望は、整形外科に通っていなかったのです。自助具や補装具などのアドバイスをしてもらうことが目的で行っています。診察に行った時、ジョイスティックカーを持って行きました。それを見て、整形外科の医師が、電動車椅子を作ろうと言ってくださいました。

そして、昨年末に、兵庫リハで電動車椅子の作成をしていただきました。望は、初めて乗るこの電動車椅子を上手に運転し、周りを驚かせました(60号参照)。電動車椅子は、ジョイスティックカーより運転が簡単だったようです。2回目に兵庫リハに練習に行った時、安全回避できているということで、貸し出しをしてくださいました。でも、大阪市ではまだ許可が出ていないので、近くの公園などで休日に時々乗る程度でした。それでも望は、乗るたびに操作がうまくなるようでした。学校で乗った時、「大分練習したのでしょうね」と聞かれ、私が「いえ…」と言いながら返事に困った時、替わりに担任の先生が「いえいえ、本能です」と笑いながら答えてくださいました。望は、「がんばって練習をした」わけではなくて、「遊んでいるうちにうまくなった」のです。

大阪市リハビリテーションセンター(リハセン)に座位保持椅子の判定診察に行く時に、電動車椅子を持って行ったのですが、まだ危ないからようすを見ましょうと整形外科の先生に言われてしまいました。ここで引き下がるわけにはいかないと、この夏、電動車椅子を許可して欲しいと診察に行きました。望が療育センター内を運転してまわったり、エレベーターの乗り降りをしたりするようすをセンターの保母さんがビデオに撮ってくださいました。そして、ちょうど、電動車椅子の8の字コースを実際に乗っているところを医師に見ていただくことができました。望の訓練担当の療法士も、今の望にとって電動車椅子がどんなに大切か伝えてくださいました。その結果、必ず介助者がつくことを条件に許可が出ました。

運動会が間近でした。早速、業者と療育センターの療法士に相談しながら、電動車椅子の選定をしました。展示場でいろいろな電動車椅子に私たちも乗ってみました。想像以上に運転は難しく、私は、改めて望の「腕」に感心しました。大人用には性能のいいものがいろいろあって迷いましたが、結局、兵庫リハで作っていただいたものと同じ型の子ども用の電動車椅子に決めました。身体の小さな望には、やはり小さな車椅子の方が似合っています。電動車椅子に座位保持椅子を取り付けるように改造していただきました。運動会に間に合うよう、業者さんもハードなスケジュールで作ってくださいました。すべりこみで運動会に間に合い、前章に書いたとおり、望の電動車椅子はデビューをしました。

ここまでに多くの出会いがありました。東京の理学療法士さんと義肢装具士さん達に立位を取る装具(スタビライザー)を作っていただいて、立位の姿勢で箱車やスケボーに乗り友達に動かしてもらいました。ボランティアの方々のおかげでジョイスティックカーを運転しました。今回、兵庫リハで電動車椅子を作っていただかなかったら、電動車椅子を手に入れる道のりはもっと遠かったはずです。そして、望自身の電動車椅子を手にするのにあたっても、医師、療法士、保育士や義肢製作会社に支えられました。皆さんのおかげで、望は電動車椅子を手に入れることができました。望はラッキーな子です。心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願い申し上げます。

望が電動車椅子に乗り始めて、私は、いろんな発見をしました。望は、エレベーターの乗り降り時や、段差や坂でゆっくりと進むという慎重さがあります。カーブもうまく曲がって運転技術はなかなかのものです。でも、道を行く時、望はゆっくりと進み、周りの景色を楽しんでいるのです。いろんなことに興味津々です。行きたいところに自分で行けることを楽しんで、公園の滑り台や自動販売機の前で止まったり、コンビニに入って行こうとしたりします。私は、今まで、目的地に向かって一直線に車椅子を押していました。いかに大人の都合で望を動かしていたかを反省させられること度々です。これからの望の生活がどんなふうに変わっていくのか、また、楽しみが増えました。

 

「力いっぱい」。望も先生も。

 

おいていかれても、やめなかったよ。

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