のんちゃん 便り
第75号 2002年4月
学校
テレビニュースで、アフガニスタンの子ども達が学校に通い始めたようすが伝えられていました。学校は、いい環境といえる状態ではないのに、子ども達の瞳は輝いていました。まだ半数以上の子どもが学校に通うことはできていませんが、苦しい生活の中でも何とか子どもを学校に行かせようとする親達の姿もありました。教師達の心にも熱い情熱があることを感じます。日本の子ども達の瞳は、輝いているでしょうか。学校に行きたくて、学校に行けるのがうれしくて、そんな子どもはどこにいるのだろうと考えたら、いました。望です。そして、そんな子ども達を思い浮かべていくうちに「学校」を必要としているのは、障害の程度で線引きをされ普通校への入学を拒まれている障害児のような気がしてきました。「学校」ってなんなのでしょう。
今年度は、学習指導要領の改訂により、学校教育の内容が変わります。新学習指導要綱は、「ゆとり」の中で、各学校が「特色ある教育」を展開し、子どもの「生きる力」をはぐくむことをねらいとしているそうです。「ゆとり」を持たせるために教育内容を厳選し縮小するということで、巷では、週5日制や授業の削減縮小による学力の低下を心配する声が聞かれます。お気楽な私などは、土日が休みだと家族で遊びに行きやすくなるなんて思っているのですが、そんなことを言ったら「そりゃあ、のんちゃんは知的障害児だから」などと言われそうなので、口には出せません。学校だけでは勉強が不安と、塾通いなどが増えれば、「ゆとり」もなにもあったものではありません。下手をすれば学校が「休養の場」かつ「ストレスを発散させる場」となってしまい「先生の役割って何?」なんてことにならないかしらと心配しています。
また、新学習指導要綱には、生きる力をつけるために「総合的な学習」の時間を設けるという内容があります。「生きる力」というのは、自ら学び自ら考える力だそうです。かつて、「生きる力」は障害児教育でよくいわれたものだったように思います。私は、望が生きる力をつけるために、子ども達の中で育って地域の中で暮らして欲しいと考えてきました。望にとって生きる力とは、自分で考え選び決定する力、つまり、自分に心地よい介護をしてもらい、自分の人生を決めていく力だと考えています。障害児にとって生きにくい社会だから生きる力を身につける必要があるわけですが、今や普通の子ども達にとっても生きにくい社会になってしまったということなのでしょうか。文部科学省は、「ふつう」の子ども達には「生きる力を」という一方で、統合教育により生きる力をつけさせたいという障害児の家族の思いを無視しています。能力が一定以上の子どもには生きる力をつける必要があるが、障害児には生きる力は必要ないということなのでしょうか。でも、それ以前に、統合教育に理由などは必要なくて、子どもの当然の権利だと思うのですが。
昨年末より、私は、区内の作業所(身体的、知的、精神的な障害をもつ人たちが通っているそれぞれの作業所)の方々と、月に1回集まって、草の根のネットワークによる町づくりについて話し合いをしています。ホワイトボードいっぱいに書かれた内容を見て、社会福祉協議会の職員さんが、「総合学習の内容に悩んでいる学校の先生達に、これを見せたら、泣いて喜びそうだ」とおっしゃいました。教師が一方的に教えるのでなく、一緒に考えていくことが必要になってきたようです。身体障害をもつ参加者が「小学校で、車椅子押したり、アイマスクしたりして、バリアフリーの勉強なんてやってるけど、あれってどうだろう。小学校に講演をしに行ったけど、その時は宇宙人見るみたいに私を見ていた子ども達が、町で会ったら声をかけてくれるようになって、だんだん知り合いになって、そこから始まると思うけど」とおっしゃいました。
障害児と一緒に育っていくことや、障害者と一緒に行動していくことによって、バリアフリーは理解できていくもので、車椅子に乗ったり押したりして不便だったとか、アイマスクして怖かっただけじゃわからないと、私も思います。「総合的な学習」で、大人の作ったメニューを与えて、選らばさせることで、本当に考え創る力を育てられるのでしょうか。一過性の体験で得ることはそんなに多くないし、与えられたメニューから選んでも、それが考え決める力になるかどうか疑問です。学習の過程でたくさんの人や物に出合い考えることが力につながると考えられているのでしょうが、それだけで充分なのでしょうか。いろんな人のいる社会では、いろんなできごとが起こります。その中で、いろんなことを考えながら育つことが、ひとつの生きる力になっていくと思います。「学校」って、たくさんの友だちや人といろんな関係を持ちながら成長していくところのように思います。
教科の能力では他の子と比較できない望も、「生きる力」の評価が通知表につくようになれば、評価ができるかもしれません。瞳輝かせて好奇心いっぱいに、たくましく生きる力をつけていく望ですから。でも、「生きる力」の評価なんて、可能なのか意味があるのか、私にはわかりません。今の子ども達の抱える問題はとても複雑で、学校だけで簡単に解決できるものではなく、学校と家庭と地域の協力や連携が必要です。各学校が「特色ある教育」を展開するという新学習指導要綱のもと、望の学校がどういう特色を出していくのか楽しみにしていきたいと思います。
ちょっと長いひとこと
3月9日に、またスキーに行きました。望は風邪をひいていて、夫は仕事が忙しくて午前様続きで、どうなることかとヒヤヒヤでしたが、なんとか行くことができました。朝早くに出発したのに事故渋滞で遅れ、帰りは夫が疲れてしまい、途中のサービスエリアで仮眠をとる始末。でも、スキーはとっても楽しくて、望は、親よりもたくさん滑りました。いい天気で、「くまのんちゃん」になってしまいました。また、来シーズンが楽しみです。
2年生が終わりました。望は、担任の先生とも友だちとも仲良く楽しい1年でした。3年生も、望は、きっと楽しい年にすることでしょう。でも、「ステレオタイプの価値観を捨てて、柔らかな心で人と向き合う」ことを研修などで受講者に話している私が、昨年度は人間関係で疲れました。気力がわかず、文章もなかなか書けなくて苦しみました。春休みになったとたんにダウンしてしまいました。人とつながることの大切さを充分に知りながら、自然の中で1人きりになりたいと思いました。でも、疲れた心は人の温もりででしか癒せないことはわかっています。私も、いろんな楽しみをみつけながらいこうと思います。