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のんちゃん 便り

第84号 2003年2月号

全て「遊び」から始まった

望は電動車椅子に乗っています。そして、コミュニケーションエイドを使ったり、パソコンを使ったりもしています。専門家からみれば、望の身体の状態では、電動車椅子を操作することは、「すごいこと」のようです。知的にも重度の障害をもつ望が、コミュニケーションエイドのスイッチを押して意思を伝えたり、パソコンを操作したりすることを驚く方もいらっしゃいます。そして、それは、親も子も「ずいぶんとがんばった結果」だと思われることもあります。でも、それは「楽しんできた結果」なのです。

望が、四肢のうち、右上腕部だけを持って産まれてきて、どうすれば自分で遊べるかを考えました。おもちゃを動かして見せたり、絵本を読んでやったりすることは、それはそれで大切なことですが、本人の意思とは関係なく、親の考えだけで「遊び」を与えてしまうことや、望が受身ばかりになってしまうことを感じました。最初に思いついた遊びは、赤い「おきあがりこぼし」の人形にゴムをつけて、そのゴムを望の右腕につなぐというものでした。望が右腕を動かせば、人形はカラコロ鳴りながら揺れます。これも、本人の意思と関係なく親が与えた遊びですが、望の右腕にゴムをつけ、腕を動かして揺らしている人形をじっと見ている望のようすを観察して、自分から興味を持って遊んでいるかどうかに気をつけました。その後、自分の意志で、おもちゃを動かすことをいろいろと考えました。おもちゃ屋さんに行っては、望が自分で動かすことができそうなおもちゃを買い求めたりしました。電池でスイッチON/OFFをして動かすおもちゃ、たとえば、熊がシンバルを叩くおもちゃに、コードをつなぎボタンスイッチをつけて、スイッチを押せばおもちゃが動き出すといった遊びを作業療法の先生が考えてくださいました。望は、すぐそれを理解して遊びました。

ボタンスイッチを押しておもちゃを動かすのも楽しいけれど、スイッチで自分の身体が動けばもっと楽しいだろうなと、「ジョイスティックカー」ができました。望は、自分の楽しいこと、やりたいことは、教え込まなくてもすぐに覚えて遊び始めます。そして、ジョイスティックカーは、電動車椅子へと変わりました。

望が、スイッチを使っておもちゃを動かし遊んだ時、最初は、おもちゃが動くのをおもしろがっていましたが、それよりも、おもちゃが動いた時の周りにいる人たちの反応を見て楽しむようになりました。スイッチで、人を動かせればおもしろいだろうな、お当番などの役割ができればうれしいだろうなと、スイッチを押すと音声が出るコミュニケーションエイドを使い始めました。人に「命令」して遊んだり、保育所の給食当番の時に、「いただきます」を「言う」ようにしたりしました。そして、シンボルを使い始めました。自分の好きな「保育所」「外に行く」などは、すぐに覚えました。そのシンボルをコミュニケーションエイドに入れれば、数は限られてはいますが、自分の意志が音声で明確に伝えられるわけです。スイッチが使えれば、パソコンも使えるかなと、マウスを「トラックボール」にしてみたら、予想以上にうまく扱いました。

こんなふうに、こうやれば楽しいだろうな、ああやれば楽しいだろうなと、遊びが広がって、電動車椅子になったり、コミュニケーションエイドやパソコンになったりしてきました。ハイテクを使うことを目的としたわけではなく、楽しむ手段としてハイテクを利用しただけなのです。それら全ては「遊び」から始まったのです。そこには、療育施設の療法士や保育士の大きな支援がありました。でも、その過程は、いかに望の能力を伸ばすかという治療的なものでなく、いかに生活を豊かにするかという親の思いが大切にされたものだったと思っています。

望は、療育施設に通っていた頃は、「積極性を引き出す」ことが目標になるくらい、両親以外の人に自分の欲求を伝えることのできない子どもでした。親から離れられず、じっと周りのようすを観察している子どもでした。望が、積極的になったのは、3歳の頃、ちょうど保育所に入った頃です。そして、それはジョイスティックカーに乗り始めた頃でもありました。望が保育所に入る時に、私は保育士さん達に「工夫して参加させてください。楽しんで工夫してください」とお願いをしました。「どうしたらいいんだろう。困った」と悩んでしまうのでなく、「こうしたらいいかな。こうやったらどうだろう」と楽しみながら行えば、より多くのアイデアがわき、子どもも楽しいだろうと考えたからでした。最初から「できない」と決めつけるのではなく、「工夫することで方法は違っても一緒にできる」ことを考えていただきたいと思ったのでした。望は、たくさんの友達の中で、一緒に遊んだり、自分の欲求を出したりという環境と、自分の意志で身体が動くという体験をして、本来持っていた強い自我が現れたのかもしれません。

いきいきと成長していく望の側で、私は、いかに大人の都合で子どもを動かしたり決めたりしてきたかという多くの反省を迫られています。昨年末の「のんちゃん便り」(82号)に4コマ漫画を載せましたが、あれは、私にとっては大きな気づきと反省の場面でした。もし、電動車椅子でなかったら、望の「NO」に、私は「何もいらないの?」と思ったかもしれません。望が「しかたないなあ、それならプリンで我慢しようか」と選択していたら、「好きなものを選ばせた」と自己満足していたかもしれません。子どもに選ばせる前に、大人の選択が入ってしまうことの自覚をしなければと思います。「ここにはないけど、別にある」という子どもの思いをちゃんと受けとめていかなければならないと感じました。

「がんばった結果」から学ぶことも確かにありますが、私たちは、日々の「楽しいこと」の中から、たくさんの気づきや学びをして、子どもに育てられている親です。

ひとこと

1月にスキーに行きました。今年は、写真を撮ることも忘れて滑りまくりました。

夏からずっと元気に過ごしてきた望でしたが、1月末、予防接種の効果なく、インフルエンザにかかってしまいました。40度近い熱を出しましたが、熱が下がればすぐに「おそと」と叫んで駄々をこねていました。

右腕で操作しているのが「トラックボール」
 球状の部分でカーソルを動かし、その横に
 ついているスイッチを押し、クリックをする